小麦戦略でお米が衰退したのか【前編】

荻原由紀著、パンとアメリカ小麦戦略「べき論」に惑わされないために【前編・後編】と謂う専門誌掲載の記事を読みました。これは技術と普及*1と謂う雑誌の2006年10月号から11号にかけて掲載されたものです。
どらねこがどうしてこの記事を読んだのかと謂うと、過去にとても興味深いと思って紹介した論文の著作者によって書かれたものだからです。いつか読みたいな、と思っていたのですが、入手することが出来たので早速読み進めてみました。前回同様、これも一般の方が目にする機会はまずないだろうと思います。それではあまりにももったいないですから、書評ではあるものの、記事の内容を引用多めに紹介したいと思います。

■そのまえに
パンとアメリカ小麦戦略とはいったいどのようなモノなのでしょうか?
第二次世界大戦後、経済的に疲弊し食料事情も悪化していた日本に、経済的援助をエサに日本の主食を小麦に変えてしまおうと謂うアメリカの戦略とされております。これによりアメリカの余剰農産物である小麦の一大消費地に日本は仕立てあげられたとする説です。そう謂えば、どらねこも食養系食育本でもこれと似た話をいく度も見かけました。ネットでも同じような論調でアメリカの戦略により日本の米ばなれが進んだと訴えるサイトを検索でいくつも見つけることができます。たとえばこんな感じに。

ttp://plaza.rakuten.co.jp/wellness21jp/4016より引用
大変残念なことは、医療が進歩しても、健康が大ブームでも、
国民の健康レベルは悪くなる一方です。
人間ドックでの異常者は年々増えて昨年は何と87%とボロボロで、
生活習慣病になって一生治療しながら亡くなることも死因統計上も
はっきりしていました。
この最大の原因は、戦後の間違った栄養改善運動により洗脳されて定着した
不健康を招く欧米型食生活です。

リンク先を見ればわかるように、マクロビオティックやマクガバンレポートと謂ったおなじみの単語がでてくるところが味わい深いですね。


■荻原氏のけねん
荻原氏は「〜するべき」と語られる根拠のないあやしい言説、それも『昔は良かったというようなべき論』が農業をあやまった方向に導いてしまう可能性があると、警鐘を鳴らしております。こうした『べき論』が架空の敵を仕立てあげ、本質的な問題が解決されないまま温存されてしまう事が問題であると指摘します。農業分野における憂慮される『べき論』とはどのようなものなのでしょうか?早速本文から引用してみます。

10月号p35より
パン好きが増えて自給率が下がった!?
 「日本人は昔は小麦粉を食べていなかったが、第二次世界大戦後にパンが学校給食に出て、子どもの舌が慣れてしまった。実は、アメリカが日本人の味覚を変えようと画策したためであった。戦略は成功して子どもたちは成長してもパン好きになり、パンや小麦の消費が増えたので、米の消費が減り食料自給率が低下した。だからパンや小麦料理を止めるべきだ。」
 インターネットで検索すると、食育から大学の講義まで浸透しているようです。これを聞いて愛国心に目覚めて米国への怒りを露にする人や、パンと肉を止めて伝統食の玄米菜食に変えましょうと奨める人もいます。もっとも、民俗学上、玄米菜食は伝統食ではないのですが。実は、この通称「小麦戦略」説は典型的な「べき論」で、統計の誤読と史実と異なるレトリックで構成されています。まず、論点を次の3点に分けて整理しましょう。
(1)1人当たりの小麦消費は増えたか?
(2)1人当たりのパン消費は増えたか?
(3)では、何が原因で米の消費量は減ったのだろうか。

食料自給率を考えれば、パン食をやめてごはん食を推進すべき!と謂う、ごはん食運動はどらねこもよく見かけます。パンが普及することで食が欧米化し、食料自給率に悪影響をあたえている、などと展開されることが多いようです。筆者の荻原氏は、パンの普及はアメリカの小麦戦略が大きな影響をあたえていると謂う説に疑問を投げかけます。そもそも、1人当たりの小麦消費量はそんなに増えているのでしょうか?

■小麦消費量は爆発的に増えている?

同p35より
図1は農水省の食料自給率HPからダウンロードしたものですが、1人当たり食事カロリーに占める小麦の割合は、昭和35年から平成16年までたった2%も増えていません。
同書より図1および図2

なるほど、確かにそれほど増えていませんね。その分油脂や畜産物の割合が大きく増えている事が容易に見てとれます。荻原氏はさらに続けます。

同p36より
 農文協の「わくわく食育授業プラン」(2004)も小麦戦略説を支持しています。しかし掲載された「消費量」グラフは、実は食料需給表の「国内消費仕向量」と同一でした。(図2)。国内消費仕向量は非食用(加工用・飼料用・廃棄部分)を含み、加工用とは醤油やアミノ酸原料、合板の接着などに使う工業用糊等です。食用の量は、食料需給表の「供給純食料」欄を見なければなりません。しかも、日本人口は、昭和35年〜平成12年に約1.4倍増えていますので、小麦戦略がなくてもただ年月が経つだけで、あたかも消費が増加したように見えます。もしも本当に味覚が変化して小麦が好きになったならば、昭和35年と同じ人口で比較しても増えなければなりません。図2の「人口調整供給純食料」がそれですが、小麦は昭和41年移行ほとんど増加していません。ところが全く同じ期間に、人口調整した米消費量は急落しています。米と小麦の消費増減には何も関係がないことの、動かぬ証拠です。
 「日本人は小麦好きに変化させられたため、米の消費が減退した」説は誤解に過ぎません。

なるほど、日本人は小麦好きになったからお米ばなれが生じてしまったと謂う説にはデータの裏付けがない、と。確かに、1人当たりの小麦粉消費の伸びはそれほどでないように見えます。ただちょっと、『米と小麦の消費増減には何も関係が無い』と謂う表現には違和感があります。同じ穀類と謂うカテゴリで考えると、穀類摂取がここ40数年で大きく減少したわけですが、その中で小麦消費が減っていないと謂うことは、穀類の中で小麦が占める割合は大きく増加しているとも謂えるからです。
とはいえ、小麦の消費が米と同じように減少していたとしても、それで米の消費向上にどれほどの影響があるのかと問われれば、米離れを解消するようなレベルではないような気もします。
あと、もう一つ気になるのは、このような嗜好の問題を推察する場合に、食料需給表を参考にするのは妥当であるのか?という事です。食料需給表に現れるのは実際に消費された量ではないからです。そこで、どらねこは国民栄養調査(現在は国民健康・栄養調査)のデータも検証してみたいと思います。

さて、昭和30年と平成21年を比較すると、米からのエネルギー摂取が少なくなり、穀類エネルギー比が大きく低下している事に気がつきます。それに比べて、小麦からのエネルギー摂取は若干ではあるものの増えていて、それにともない、穀類に占める小麦の割合が多くなっている事がわかります。
ちょっと面白いなぁと思ったのは、穀類エネルギー全体に占めるお米の割合はほとんど変わっていないところです。では、小麦の割合が増えたのは何が減ったからなのでしょうか。実は、昭和30年には大麦からのエネルギー摂取が205kcalもあって、小麦からのエネルギーよりも多かったのですね。現在では、その他の穀類・加工品からのエネルギーはわずか12kcalに低下しているのです。この表からどらねこが読み取ったことを書くと次のようになります。

【日本人の米離れと謂うよりもむしろ穀類ばなれが進んでいる。特に大麦ばなれが著しく主食としての役割はほとんどなくなってしまった。数字の上では大麦減少分を小麦が吸収したと見ることが可能ではある。】
こうしたデータからは色々な解釈が可能ですが、表面的には日本人の穀類ばなれ、とりわけ大麦ばなれが深刻である事がうかびあがりました。価格の割に応用範囲の広い小麦はシェアを伸ばし、深刻な穀類ばなれの割に米食は健闘しているようにみえます。やはり、小麦好きになったから米消費量が低下したと断定するのは無理がありそうです。

■そんなにパンを食べているの?
いや、そうじゃなくて自給率の話をしているのだ。輸入小麦でないとふっくら焼き上がらないパンを食べるようになった事で、食料自給率が下がったのだ!コムギ戦略説を訴える側からはそんな説も出されているようです。

同書p37より
 「うどんは国産小麦で作れる。小麦消費量は一定でも、うどんが減ってパンが増えたから、自給率が落ちたのでは。また、パン消費が増えるとおかずに肉が付き物だから、ますます自給率が落ちたのでは。」

筆者はパン摂取が増えたのかをデータで検証します。

同書p37より
図3を見てください。1970年から2005年まで、1人当たり米消費(供給純食料)は31kgも減っています。同じ間に、食パンや菓子パンを含めたパン全体の、原料小麦粉消費量の増加はたった0.2kg未満。麺類も変化がありません。しかし肉類は14.4kgも増えています。「パンが増えた。だから肉も増加した。」説は間違いだと分かります。
同書より図3

なるほど、パンの消費はどうやら横ばいのようです。それでは、麺類の中でもスパゲティの割合が増え、うどん離れが起こっているのでは?そんな説にも筆者は反論します。

同書p37より
図3の麺類に占めるマカロニ類の割合は、ここ近年でようやく1割程度です。ましてや小麦消費量全体と比較すれば、自給率に与える影響はごくわずかです。
<中略>
 実は、日本人が好む真っ白で腰の強いうどんは、外国産麦(特にオーストラリア産のASW)が大部分です。国産麦のうどんは価格・色調等で課題を抱えています。諸外国は消費者ニーズの充足という商売の基本に忠実なだけで、「日本人の味覚を変えた」説とは正反対です。

うどんと謂えばさぬきうどんを直ぐに思いつきますが、かの地でも地粉よりもオーストラリア産小麦*2を主に使用しているようです。国産小麦であるとさぬきの夢2000をオーストラリア産小麦粉とブレンドしたうどん用小麦粉も生産されるなど頑張っているようです。これらの取り組みがどこまで評価されるのか気になるところです。いまのところ、パン好きにされた=自給率低下と謂う図式は成り立たない印象ですね。

同書p37より
 「アメリカ小麦戦略」説がもしも事実であれば、結論はきわめて簡単です。「アメリカは日本人の味覚変更に失敗した。なぜなら1人当たりパン消費はあまり増えていないし、うどん離れも起こっていない。それどころか、うどん市場をオーストラリアに奪われた。」

どらねこも今のところ同感です。

■コメの消費量が減ったのはなぜ?
パンのせいでもなければ、どうしてお米の消費量が減ったのでしょうか。筆者は次のように分析します。

同書p38より
日本人はパンと肉をそれほど一緒に食べません。パンをいつどう消費しているかチェックしましょう。おやつや朝食に菓子パン(アンパン、メロンパンなど)を食べる時は、肉はほとんど付いてきません。食パンは朝に食べる傾向がありますが、その理由は多忙と食欲不足です。
<中略>
その点食パンは1斤買っておけば日持ちがして、後かたづけも楽です。また、残業・勉強・遊び等で夕飯が遅いと、朝に食欲が出ないため、食パン1枚で十分です。

なるほど、パン食をする時にお肉はそれほど消費しない、ですか。謂われてみればその通りですね。ハンバーガーのイメージが強いのかもしれませんね。日本では主食としてのご飯に様々なおかずを組み合わせて食べますが、そんな主食の概念でパンをとらえるような考え方が、もしかするとパン食のおかずが肉類であると認識をもたせたのかもしれません。

同書p38より
夜に家族で囲む天ぷら、メンチカツ、すき焼き、中華料理などを思い起こしてください。いずれも、ご飯を主食に肉や油を沢山食べています。揚げ物は口の中に入るよりも大量に、油を使用することにも留意してください。
 そうです、肉や油の消費が増えた主要因は米のご飯が色々な食品によく合うからなのです。

主食としてのご飯は肉や油を多く使ったおかずにぴったり合う、これには同意します。どらねこも、カレーライス大好きですからね。最近のデフレ下では、激安牛丼店が大繁盛しているようですしね。しかし、米のご飯が色々な食品によくあうから肉や油の消費が増えたと謂う考えには同意できません。おかずと合わせて食べると謂う主食文化をあまりもたない国々の事情をみればそう簡単にまとめられないでしょう。よくよく考えてみれば肉や油の消費量が日本以上の欧米諸国の主食はご飯ではありませんから・・・。
さて、この点の解釈は難しいのですが、どらねこは次のように推察します。主食のご飯が色々な食品によくあうからこそ、外国からの食文化を次々に採り入れながらも完全に移行せず、主食はご飯のまま維持されながらもその量は少なくなり、色々なおかずを食べるという食生活に変化していったのだろうと考えます。
もう少しくわしく書くと、米の消費量がへったのは日本の高度経済成長とその後の労働環境の変化等に対応した当然の結果なのだろうと謂うことです。日本の戦後の復興から経済成長期に入った頃の昭和30年に米の大豊作がありましたが、この時にあこがれの銀しゃり(麦の入っていない白飯)に消費が向かったとされております。さらに豊かになると、外国からの燃料調達や交通機関の発達により、物流が活発となり、沿岸地域だけでなく内陸部でも鮮魚をいつでも食べるような習慣ができてきます。所得が更にふえると、各家庭に家電製品が普及し、家庭料理のバリュエーションが多くなった*3ことでしょう。米で腹をふくらませる事から、様々な食材を楽しむ方向にシフトします。また、労働環境の変化も重要です。肉体労働者がへり、いわゆるホワイトカラー労働者がふえると、当然の事ながら運動量は少なくなり、身体が要求するエネルギー量も低下することでしょう。つまり、お米をバクバク食べる必要性があまりなくなってきたのですね。この状況でそれまでと同じようにお米を食べていれば、日本人の肥満傾向はこんなものじゃ済まないことでしょう。
このように、お米の消費量が減ってしまうのは当然の帰結だと考えることができるのです。

■データは支持しない
「小麦戦略」説はデータからみるとどうもスジが悪いようです。少なくともアメリカの思惑(?)通りにはいかなかった模様です。どうやら、日本人の心である稲作が危機にさらされ、自給率が壊滅状態にあるのを認めがたいような何ともいえない気持ちのゆき場として、『パンが悪いと謂う主張』がぴったり当てはまったためにこれほど広がってしまったのかも知れません。関係省庁はパンを憎んでも何も解決しないのだから、ご飯を炊いてゆっくり食べることのできるような労働・生活環境の整備をしっかりやってもらいたいところです。その方がよっぽど効果があるような気がするんですよね。
以上で前編の紹介を終わりにいたします。べき論後編では、日本人と小麦のエピソードやアメリカの小麦戦略説ではよくでてくる、キッチンカーの真実(?)などが詳しく検証されております。こちらは次のエントリで紹介したいと思いますので、楽しみに待っていてください。

*1:社団法人全国農業改良普及支援協会刊行で全国改良普及職員協議会の機関紙と謂う位置づけ

*2:Australian Standard White

*3:テレビからの情報、冷蔵庫の普及により鮮度維持、オーブンなど今までに使えなかった調理法の普及等々