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山本昌

やまもとまさ

神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。本名は「山本昌広」。
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概要編集

1965年8月11日東京都大田区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。

ポジションは投手

日大藤沢高校から1983年ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。本名は「山本昌広」であり、登録名の「山本昌」は1996年以降使用、引退後の現在もこの名義を引き続き用いている。


1980年代、1990年代、2000年代、2010年代の4世代かつ中日ドラゴンズで優勝を経験した唯一の選手。また彼の引退をもって東京・後楽園球場でプレーした現役選手がいなくなった。

現役引退後は野球解説者として、テレビ・ラジオなどで東海地区で活動している。2022年、野球殿堂入り。


現役時代編集

一軍初登板は3年目の1986年、翌87年には開幕一軍になるもののナゴヤ球場初登板で負傷退場、そのままシーズンを終える。

88年には中日と交流のあったMLBロサンゼルス・ドジャースへ留学。この野球留学は戦力外通告とほぼ同じ性質であったため、一時期は成績が落ち込んみ生活態度も不貞腐れたものであったが、現地コーディネーターのアイク生原氏の指導や偶然のスクリューボール習得で一変、メキメキと実力を伸ばし、シーズン終盤に帰国し先発として5連勝、優勝に貢献する。日本シリーズでは工藤公康と投げ合うが敗戦。

89年は不振からアメリカ再留学。スローカーブの習得に励んだ。

93、94年は最多勝投手となり、93年は防御率1位、94年は沢村賞を獲得。

97年は初の開幕投手となり、ナゴヤドーム初の公式戦で初めて勝ち星を付ける。同年3度目の最多勝、初の最多奪三振となるもチームは最下位であった。

99年は4月に月間MVPを獲得。

2006年、新井貴浩から通算2000奪三振、その1週間後にプロ野球最年長(41歳1か月)でノーヒットノーラン(9回97球、5三振)を達成。

07年、セ・リーグ最年長(41歳8か月)で完封試合達成。

08年、セ・リーグ最長実働年数を更新、8月に通算200勝を達成。200勝目は完投勝利で、どちらも42歳11か月と最年長記録であった。同月最年長完投記録、最年長二桁勝利を更新(43歳0か月)。8月月間MVPに選ばれ(もちろん最年長)、出身地である茅ケ崎市から市民栄誉賞を贈られた。

09年は二軍暮らしが続くものの、シーズン終盤で一軍昇格、初勝利を挙げセ・リーグ記録となる22年連続勝利となった。

2010年は最年長完封および完投記録を更新(45歳0か月)。クライマックスシリーズではポストシーズン最年長出場記録を更新した。

11年には工藤の退団によりプロ野球現役最年長選手となる。この年はケガにより一・二軍とも登板がなかった。

12年は開幕ローテーションに入り開幕3戦目(4/1)に登板、セ・リーグ最年長登板記録、最年長勝利記録、プロ野球最年長先発勝利記録を更新。また、4/22にはゴロによる打点を挙げ、金本知憲の持つセ・リーグ最年長打点記録を更新した(いずれも46歳7か月)。4/30には球団最多となる通算212勝目を挙げる。その後2軍に降格するも復帰、10月に47歳1か月でセ・リーグ最年長勝利記録を更新した。

30年目となる13年はプロ野球最年長先発登板とセ・リーグ最年長登板・勝利記録を更新。また、野村克也を抜いて歴代2位となる実働27年を記録している。

14年、実働28年目。49歳0か月で迎えた9月5日の対阪神戦で先発で今季初登板、5回無失点で勝利投手となり、自らのセ・リーグ最年長登板・勝利記録をさらに更新。浜崎真二の持つNPB史上最年長試合出場記録、NPB史上最年長勝利投手記録などの最年長記録も塗り替えた。

15年、実働29年目となり、工藤らの持つプロ野球記録に並ぶも、9月25日に今シーズン限りでの現役引退を発表。大リーグ最年長勝利記録を上回ることはできなかったが、10月7日の広島戦(シーズンラストゲーム)で打者1人限定という形で先発登板、プロ野球初の50歳登板を成し遂げた。結果は打者をゴロで打ち取り、見事有終の美を飾った(試合も中日が2-0で勝利した)。



独特の投球術編集

自他共に「カッコワルイ」と言われてしまうような、大きくワインドアップする独自の投球フォームだが、アクシデントによる怪我を除けば32年の長きにわたり故障なく自身を支えてきたフォームであり、毎年改良を加え現役中ずっとストレートの球速を維持し続けた

そのストレートは自著にも「133キロ怪速球」と題名をつける通り球速が非常に遅い。だが、その球の回転数は毎秒約52回転と、"火の玉ストレート"こと藤川球児をも上回る。このストレートを中心とした個性的な技巧派スタイルが持ち味。上述のワインドアップ動作の派手さも、この"速球"の遅さと組み合わせて打者の目を眩ますためのテクニックである。チームメイトの捕手・谷繁元信やドラゴンズのコーチたちからは「140キロ出てる日の方が打たれる」とすら評されるほど。

これにスライダー、スローカーブ、そして代名詞とされるスクリューボールを変化量をつけて混ぜ、撹乱する。巨人の主力打者として対戦を重ねた高橋由伸は特に山本を苦手としており「130キロ、140キロが豪速球に感じる」「全てに(タイミングが)合わなかった」と振り返っていた。

またコントロールも抜群であり、両コーナー低めのストライクゾーンの出し入れが球1個の感覚で出来た。「球を投げる」ことに拘り研究を続け、「語らせたら誰にも負けない」と豪語するほどである。


野球は副業!?編集

  • ラジコンプレイヤーとしての一面もある。2002年の全日本選手権には中京地区代表(1位!!)として出場、4位入賞を果たしている。趣味として好きになる一方で、細かくデータを取りセッティングを詰めていく姿に「野球もただ一生懸命やるんじゃなくて、こんな風にシステマティックに出来ないだろうか」と大いに感銘を受け、その後の野球人生にも反映させていたという。当然、実車も凄いものに乗っており、愛車遍歴にはフェラーリがズラリ。
  • 他に「本業」扱いされたものとしては、カブトムシの育成も挙げられるが2008年頃からやめていた。
  • 競馬もその趣味の1つとして挙げられ、引退後は競馬関連のテレビ番組に度々出演する一方、アルアインシャフリヤールの兄弟の一口馬主としても知られる。その縁からかアニメ『ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP』『ウマ娘プリティーダービー Season3』では、解説者役で本名の山本昌広で声優として参加した(声優参加自体は過去に「グラゼニ」のアニメ版、シーズン2で実績あり)。

2021年の日本ダービー、興奮し過ぎて頭をぶつけた山本昌


エピソード編集

  • 幼少期の頃から毎日2㍑飲むほど牛乳が好きだったらしく、小学校の給食の時間には牛乳が嫌いなクラスメートから牛乳を貰うほどだったという。
  • 現役生活が余りにも長かったため、『「バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ」にて、デロリアンが作中で到達する未来でも未だに現役で投げている』という例え方をされる事もある。
  • 長女は2020年1月に元マラソン選手の瀬古利彦の次男と結婚。
  • 2024年7月9日にX(旧Twitter)にて「ゲームソフトに一番登場したキャラクターはマリオではなく山本昌」という投稿が話題となり、西村博之が引用リポストしたことで広まり話題となる。しかし、こちらのサイトによると、この投稿は山本昌の出演したゲーム数が具体的に語られていないことや、仮に山本昌の出演ゲーム数を32年×8本として計算したとしてもマリオの出演したゲーム数に追いつかないとして間違いであると指摘されている。

関連タグ編集

引退したプロ野球選手一覧 中日ドラゴンズ 投手 ラジコン カブトムシ


谷繁元信:彼の5年後にプロ野球入り。当初は横浜大洋ホエールズの選手であったがのちに中日に移籍、そして監督(兼任)として指示を仰ぐ立場になる。

高津臣吾:同じ2022年に野球殿堂入り。


非関連タグ編集

仮面ライダーウィザード山本昌宏という登場人物が出て来るが、おそらく無関係。


関連リンク編集

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