アマチュア
あまちゅあ
世界的視点
スポーツにおいて、1970年代まで国際大会においてはアマチュアリズム(アマチュア限定の意味)が台頭していた。特にオリンピックは憲章でプロの選手が出場することを禁止しており、プロ活動をしていただけでメダル剥奪のうえ追放という徹底ぶりであった。しかしソ連などの共産主義国は国家が実質スポンサーになっており、手厚い保護を受けるなど「実質プロであった」という見方が強い。そのため憲章を遵守している西側国家と比べて成績の格差が激しかったことや、IOC(国際オリンピック委員会)の方針変更により憲章の改定でプロフェッショナル化が進み、アマチュアは別途アマチュア限定の大会に移行するなど次第に廃れていった。
日本的視点
日本は所謂「企業が選手を社員として受け入れる」形態が一般的で、選手は午前中は一般社員と一緒に仕事をこなし、午後または業務終了後にスポーツ選手として練習を行ない、休日にアマチュア選手として大会や試合に出場することが一般的であった。そのため報酬は一般社員と同じ給与体系となっており、スポーツでの報酬は手当程度で、それも企業が支払うことが多かった。各競技の管理組織も企業チームの幹部が出向することが多く、縄張り争いもしばし起きていた。唯一プロリーグがあった野球も国際大会に出場するのは社会人野球などのアマチュア選手で、プロ野球はアマチュア野球とは隔離された独自のリーグという扱いで、(ドラフト会議などのトラブルもあり)プロとアマチュアが交流することは皆無であった。また、日本は学校や企業の縄張り意識が強く、たとえばサッカーは三菱重工、日立製作所、古河電工による所謂「丸の内御三家」が台頭しており、バスケットボールはトヨタ自動車と東芝、アイスホッケーは西武鉄道グループ(コクド、西武鉄道)と製紙会社(王子製紙、日本製紙)とその他(雪印、古河電工)の三極構図となっていた。
この形態は1970年代までは世界でも通用するシステムであったが、1980年代になると世界中でプロフェッショナル化が進む中で日本は出遅れ、オリンピックをはじめとする世界大会で低迷する要因となった。さらに1990年代のバブル崩壊によって企業チームが次々と休廃部に追い込まれ、選手は失職し行き場を失うことが多く、競技レベルの低下も懸念された。これを象徴する事例が1996年のアトランタオリンピックで、金メダルは柔道のみの3、メダル総数も14と1964年の東京オリンピック以降最低の成績となってしまった。一方アトランタオリンピックでは男子サッカーがマイアミの奇跡を起こすなど躍進し、1993年に誕生したJリーグが効果を表したことの裏付けになったことから、他の競技でもプロ化または社員として契約するが専らスポーツ活動のみを行なうセミプロ化が進んでいった。日本政府もプロ活動を支援するため国立トレーニングセンターの設置や支援の充実化などを行なったことから、現在ではプロフェッショナルが優位となっている。一方で地盤の未発達などを理由にアマチュアリズムを大事にしている競技も存在する。