青山浩二 単語

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アオヤマコウジ

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青山浩二あおやま こうじ1983年8月12日-)とは、北海道出身の元プロ野球選手投手)である。

現役時代は東北楽天ゴールデンイーグルス一筋でリリーフとして活躍し、通算625試合登板、通算159ホールドは球団記録である(2020年終了時点)。

概要

小学校から野球を始め、北海道函館工業高等学校から投手に転向する。高校時代は甲子園出場はなかった。

八戸大学では通算20勝を挙げた。2005年ドラフト3位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団する。

楽天時代

2009年(4年)は一時期クローザーを務めていたが、福盛和男楽天イーグルスに復帰したため裏ローテーションでの先発が増えた。
楽天が球団史上初のクライマックスシリーズ出場を決めた10月3日埼玉西武ライオンズ戦(Kスタ宮城)では先発を務め、9回完投勝利を挙げた。


2010年は当初先発での起用の予定だったはずが、3月30日の初登板を痛めわずか2球で降した。その後中継ぎとして復帰したが、以前のブルペンエースぶりが全く見られず、8月4日時点で防御率1.00と不調に陥った川岸強入れ替わり勝利の方程式の一を担った。この年後半の青山浩二・片山博視小山伸一郎リリーフ三山(スリーマウンテンズと呼ばれ、楽天には稀有であった勝利の方程式として期待を集め、結果を残した。その好調の秘青山は「自信を持つこと」と語った。


2011年オフスリーマウンテンズ解散を宣言し星野体制の下で再び序盤の先発ローテーションを任されたが、勝ちに恵まれ中継ぎへ出戻り。結局スリーマウンテンズ復活となった。しかし、その後も精神面の弱さからか、3連続フォアボールの後に4失点exitを喫し、その場で監督二軍落ちを命じられるなど苦難も多かった。二軍落ちをその場で宣告されたことに発奮したのか、一軍復帰後は安定した勝ち継投として復活した。もしかしてわしがこれを狙って(ry
また、2010年ドラフト大学後輩に当たる塩見貴洋が入団。塩見の勝ちを守るために先輩として奮闘する熱い姿が度々見られた。


2012年中継ぎに専念。5月にこれまで守護神を務めていたダレル・ラズナーが怪で離脱したためそのまま抑えに定着。すると5月9日から15日にかけて6試合連続セーブ日本タイ記録を達成し、自身初のMVPを受賞。7月にはオールスター監督推薦で初出場した。10月6日の本拠地最終戦では2006年福盛和男記録したセーブ数の球団記録更新する22セーブを挙げた。この年は偶数調子を落とし奇数無双するといういわゆる隔投手状態だったが、チーム最多の61試合に登板し5勝4敗22セーブ防御率2.51の成績を収めた。


2013年は抑えから始まったが不振に陥り、ラズナーと入れ替わって中継ぎとなった。配置転換後は安定した投球で前年に引き続きチーム最多の60試合に登板したが、シーズン終盤に不調に陥り、チーム初の日本シリーズではロースターに名前があるにも関わらずベンチ入りすら出来なかった。


2014年久々先発起用されたが援護がなく勝ちを挙げられず、中継ぎでも不調で、1勝4敗1ホールドに終わる。


2015年中継ぎとして復活。年間を通してセットアッパーとして起用され、リーグ2位タイ&球団新記録の35ホールドポイント記録した。この年をもって小山伸一郎引退したため、創立時から楽天に在籍する現役投手がいなくなり、青山生え抜き投手の最年長になった。


2016年セットアッパーとしての活躍を期待され、開幕メンバーに名を連ねるが、前年の安定感は何処へいったのか、投げる度に試合を壊す投球を繰り返し、楽天の低迷の大きな一因となる。
シーズンでは9月こそ13試合の登板すべてを防御率0.00で切り抜けたが、それ以外のは全て防御率が3点以上(6月以外は全て5点以上)、WHIPが1.74以上と安定感には程遠い投球を繰り返し、オフには野球協約上の減額制限をえる減俸となった(3000万減の推定6000万でサイン)。
また川井貴志引退に伴い、34歳ながら楽天投手ではチーム最年長となった。


2017年は不調に悩まされ、17試合の登板に終わった。シーズン最後の登板となった10月9日北海道日本ハムファイターズ戦で通算500試合登板を達成した。


2018年4月下旬に一軍に昇格し、5月からセットアッパーを務める。52試合に登板し、4勝1敗26ホールド防御率1.85と復調した。


2019年8月14日福岡ソフトバンクホークス戦で通算600試合登板を達成した。62試合に登板し、16ホールドだった。


2020年は開幕から二軍暮らしで、9月に一軍昇格したが、11試合に登板したものの1ヶ二軍落ち。そのままシーズンを終え、戦力外通告を受ける。現役続行をしたがわず、現役引退引退会見では「ここ数年、スライダーが曲がらなくなってきたのが、引退を決めた理由の1つ」と語った。

引退後

そのまま楽天に残り、2021年からはベースボールアカデミーコーチを務める。

プレースタイル

スライダーを得意球とする選手で、素晴らしいキレと球威を持つ(ブルペンで)。

物怖じすることなく投球できるのが強みで、見学に来た首解説者をうならせる(ブルペンで)。時には同じく投球練習をしている同僚にさえそのキレを見せつけて「凄い」と言わせるほど(ブルペンで)。

…こう書けばもはやお分かりだろうが、ブルペンで凄まじい投球を披露するものの持ち前のチキンハート、精神面の弱さから本番に弱い投手である。な活躍の場は中継ぎ時々抑え。稀にローテーションの谷間先発も任される。

人物

甘いマスクイケメン投手

ニコ生中継のコメントでは完璧調子で抑える彼をブライアン・ファルケンボーグにたとえ「ブルペンボーグ」と呼ぶ一方で、何かの拍子に乱れ始めるとマウンドをブルペンと思い込ませるために催眠術師を探すコメントが絶えない。
そんな中で、2010年後半からは精神面の弱さはだんだん薄くなりつつあり、本物のブルペンボーグとして頼れる存在となってきている。

野球ch楽天イーグルス専用スレでは、「ブルマン」や「アオヤマン」、ごく稀にカレーが好物な事とひっかけて「カレーの浩二様」などとも呼ばれる。

なお、呼び名の由来は青山ブルーマウンテンブルマンから。残念ながらブルマーブルマ)とは関係である。

成績

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
2006年 楽天 42 2 0 0 1 3 0 4 .250 65.2 18 46 48 43 5.89
2007年 26 12 1 1 4 8 0 0 .333 84.2 33 62 54 44 4.68
2008年 41 6 0 0 3 8 4 5 .273 78.2 26 61 39 34 3.89
2009年 28 6 1 0 3 5 5 2 .375 62.1 25 53 43 38 5.49
2010年 41 1 0 0 5 1 1 15 .833 52.1 14 63 13 10 1.72
2011年 51 2 0 0 3 4 2 23 .429 71.0 23 64 23 22 2.79
2012年 61 0 0 0 5 4 22 2 .556 64.2 19 54 18 18 2.51
2013年 60 0 0 0 3 5 11 17 .375 60.1 20 60 24 23 3.43
2014年 22 6 0 0 1 4 0 1 .200 52.2 20 49 30 26 4.44
2015年 61 0 0 0 4 5 0 31 .444 57.2 18 58 18 18 2.81
2016年 50 0 0 0 1 5 0 14 .167 50.1 24 46 29 27 4.83
2017年 17 0 0 0 1 1 0 3 .500 15.2 6 16 4 4 2.30
2018年 52 0 0 0 4 1 0 26 .800 48.2 21 37 11 10 1.85
2019年 62 0 0 0 2 4 0 16 .333 53.1 18 36 16 16 2.70
2020年 11 0 0 0 2 0 0 0 1.000 10.1 6 8 6 5 4.35
NPB:15年 625 35 2 1 42 58 45 159 .420 828.1 291 713 376 338 3.67

表彰・その他

MVP 1回 2012年5月
その他
オールスターゲーム出場 2回 2012年2013年

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