青函トンネルとは、本州と北海道を結ぶ世界一の長さを誇る海底トンネルである。青函隧道とも。
本州と北海道を結ぶトンネル、現在は北海道新幹線と貨物列車が運用中。トンネルの前後にもいくつもトンネルが存在する。
青函トンネルの全長は53.85km(この為、青函トンネルには『ゾーン539』なる愛称が付けられた。が、ほとんど定着していない。)でうち海底部23.30kmで陸上部のほうが長い。殉職者34名。
安全性に関しては、防火対策に特に力を入れており、火気厳禁。当然禁煙であり、ライターの持ち込みも不可である。煙を出すと火災警報器がなるため、ディーゼル機関車や気動車の自力走行は禁止される他、自動車を貨物輸送する際も、燃料は必ず抜かなければならない(なおED79形牽引で、ノースレインボーエクスプレスことキハ183系が臨時列車として走行した実績は存在する)。
明治時代より本州と北海道の間に位置する津軽海峡では船による連絡(以下、青函連絡船と記述)が行われていた。津軽海峡は海の難所であり昔から苦労して渡っていた経緯もあり、あまり知られていないが計画の言い出しっぺは北海道側の函館市(函館区)の政治家たちであった。明治中頃に区長(今の市長にあたる)が、「野辺地から大間までの鉄道を開通させ、大間と函館間を連絡船で結んだほうが早く結ぶことができるんじゃないか」提言し、その後に関門トンネル(在来線のほうのトンネル)の話を聞いた市議が、「いっそのこと函館から大間に鉄道海底トンネルを掘っちゃえ、海難多発海域だし」と夢を語ったのが始まりである(大函館論)。
そのことを国の鉄道の偉い人が聞いたか分からないが、太平洋戦争が始まる前に青森側の未成線の大間線(大間線第二期工事区間)や下北交通大畑線(大間線第一期工事区間、旧大畑線)は津軽要塞の砲台への兵員や物資輸送、地域開発だけでなく、対北海道連絡鉄道も意識して建設することになった。
一方、北海道側の戸井線(未成線)の(現函館市の東部にあたる)沿線住民はとにかく函館へ行き来できればいいとして、「対本州連絡鉄道作るべ」と誘致運動をしたことがない。
戦後直後より詳細な調査が行われ、当初の下北半島ルートより津軽半島ルートが水深が浅く火山地帯ではないことが分かり、津軽半島ルートを軸に下北半島ルートを比較対象として計画を進めていった。
着々とデータが集まる中、戦前の函館市民が気づいていた嫌な予感が戦後に的中する。1954年に台風15号による青函連絡船洞爺丸の遭難事故(洞爺丸事故)との大事故が起きてしまったのである。これにより海底トンネル構想が具体化、1964年より津軽半島ルートで掘削が開始された。
掘削開始時は東海道新幹線が開業したばかりとあって在来線の運行を予定していた為、総延長は36.4kmだった。
しかし、東海道新幹線が大成功を収めたため、全国を新幹線網でつなぐ整備新幹線計画が発足。
これによって青函トンネルも新幹線用のトンネルとする事となった為、勾配やカーブを抑えるために総延長が53.85kmへと大幅に延長されている。
海底の工事は困難を極めていたが、それでも新幹線の運行を夢見て掘削は続いていた。
しかし、国鉄の財政難から整備新幹線計画が凍結されてしまった。こうして青函トンネルは「埋没費用にしてしまおう」とか「きのこ栽培地か石油の貯蔵庫にしよう」とか「昭和三大馬鹿」(その建設経費のあまりの巨額さに当時の大蔵省の官僚は、戦艦大和の建造、伊勢湾の干拓事業と青函トンネル建設工事を指して『昭和の三大馬鹿査定』と揶揄した)とか言われたい放題を言われてしまった。とにかく新幹線が来なかったが、それでも建設は続いた。
トンネルは完成したが新幹線が来ないため、やむを得ず一時しのぎとして在来線を繋いで運用を開始する事となり、1988年3月13日に海峡線として暫定的に青函トンネルの運用を開始、同日をもって青函連絡船はその歴史に幕を閉じる事となった。
ところが、予想外の事態が発生する、それは貨物列車の盛況であった。日本近海、特に北海道から東北の沖合は荒天故に船は天候に左右されやすく、中でも津軽海峡はその際たる場所であった。
北海道からは農産物が、本州からは雑誌等が輸送されることになり、青函トンネルの貨物列車は旅客列車の倍の本数を抱えることになったのである。貨物列車の盛況は想定外であり、これが北海道新幹線の足かせになってしまったのである。
現在、北海道新幹線新青森駅~新函館北斗駅間の工事が完了し、青函トンネルは前述の通り新幹線と在来線との共用となった。
鉄道建設・運輸施設整備支援機構が現在保有しておりJR北海道は線路使用料を払う形で使用している。
一方で、貨物列車の安全性の問題から速度が在来線時代と同様の140キロに制限されてしまっており、トンネル本来の力を発揮できていない。
北海道新幹線は上下合わせて26本であるが、貨物列車は51本の本数を抱えており、貨物列車にどいてもらうのは困難なのである。
その後160km/hまで速度を上げ、現在一部の列車で東海道新幹線開業時の210km/hで走っている。
北海道と本州を繋ぐ送電網の一部として、青函トンネルを利用しての送電網の強化がおこなわれる。
2014年4月から北海道本州間連系設備工事が開始。送電量は30万kWで稼動は2019年3月予定。完成すれば北斗変換所から今別変換所の123kmの直流幹線となり、北本連系設備が全体で90万kWに増強される。
青函トンネルはその長さから非常時に備える形で青森県側と北海道側の二ヶ所に定点を設けており、それぞれ「竜飛海底駅」「吉岡海底駅」と命名されている。
共に見学者は見学出来る駅であったが、吉岡海底駅は北海道新幹線の資材基地とする為に2006年8月27日の臨時特急の運転終了をもって長期休止となっている。
また、竜飛海底駅も2013年11月10日をもって休止となり、最終的に竜飛海底駅・吉岡海底駅は2014年3月に廃止された。現在は当初の計画通り、「竜飛定点」「吉岡定点」として保線基地および非常時の避難所として使用される。
この海底駅の非常避難所としての利用は、在来線の駅時代は1度も無かったが、駅廃止から僅か1年後の2015年4月3日に初めてその機能を全うした。
新幹線化となる際に不要とされた2駅だが、スピードアップだけでなく、万が一の安全対策が今後も必要であることをまざまざと見せ付ける事例となった。
掲示板
54 ななしのよっしん
2023/08/30(水) 00:58:25 ID: Wh0fiUCyPU
設備ボロボロ?「青函トンネル」の劣化深刻に 過酷な環境で機能保全に苦心
https://
55 名無し
2023/08/30(水) 15:59:04 ID: /lVyf3bopI
第二青函トンネルなんて役人が適当に想像した産物なんだから実現する可能性皆無だろ。
56 ななしのよっしん
2024/03/14(木) 21:06:46 ID: 74JfcnSsmn
戦時開通の関門トンネル(鉄道)もそうだけど、海底だから劣化も早いだろうし更新できるなら越したことはない
(山陽新幹線の新関門トンネルは早鞆の瀬戸経由で海底部が1km未満と短いからそこまで表面化してないけど)
関門エリアの橋新設案もトンネル・橋の老朽化で九州と本州が首の皮1枚でつながってる現状の改善策だから、
北本連携の強化策として青函トンネルで2本目の話は出てもおかしくはない
現実的にできるかどうかは別として
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最終更新:2024/12/23(月) 11:00
最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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