阿南姫(おなみひめ 1541年~1602年)とは、伊達輝宗の姉であり、伊達政宗の伯母であり、顔芸二階堂盛義の妻であり、須賀川二階堂氏最後の砦である。号は大乗院。通称は阿南の方など。
1541年伊達晴宗の長女として出生。母は久保姫、兄に岩城親隆。
須賀川城主・二階堂照行の嫡男・二階堂盛義へ嫁ぐ。
領土を隣接する二階堂家、田村家、蘆名家は長年に渡って何度も干戈を交えており、伊達家にとってはいずれも婚姻を結んだ縁戚の家であった。
照行の妻は伊達稙宗の娘(晴宗妹)であり、この二代に渡る伊達との結びつきは結果的に阿南姫にとって波乱の幕開けとなる。
1561年嫡男・平四郎を産む。
1564年盛義が二階堂家当主となる。
1565年蘆名盛氏・盛興父子が松山・横田両城に侵攻を開始。長兄・岩城親隆や次弟・伊達輝宗が蘆名の背後を突いて協力するも二階堂家は合戦に敗れてしまった。
さらには敗戦の代償として平四郎を人質に取られ臣従させられるという悲劇に見舞われる。
この時伊達・蘆名間の和睦条件として伊達家から蘆名盛興へ四妹・彦姫が嫁いでいる。
1570年待望の次男・二階堂行親誕生。ひとまず跡継ぎの問題は安泰となった。
この他に岩城御前(長兄・岩城親隆の嫡男・岩城常隆室、死別後に伊達成実継室)を産んでいる。
1575年蘆名盛氏の後継・蘆名盛興が早世。
蘆名盛興と彦姫の間に男子はなく、人質の身であった平四郎が隠居の蘆名盛氏と養子縁組を結んで当主・蘆名盛隆となった。未亡人となっていた彦姫は正室として蘆名盛隆に再度嫁している。
二階堂家にとってはまさしく幸運の出来事であり、実子と妹が治める大国の力を最大限利用して勢力拡大に成功している。
1581年夫・二階堂盛義が病により急逝。阿南姫は大乗院と号した。
次男・二階堂行親を嫡子に立て当主とするが、まだ幼かったため行親実兄の蘆名盛隆が二階堂家を取り仕切ることになり、にわかに暗雲が立ち込める。
同年末から翌年にかけて蘆名家、五妹・宝寿院が嫁いだ佐竹家と大国二家の援軍を得て田村に奪われていた城を取り戻し、さらに多くの領土を攻め取る。
1582年不幸は続き、二階堂行親も早世。
阿南姫は須賀川城主として気丈に振る舞い、須田盛秀を始めとする家臣団の助けもあって家中の統制に成功している。
1584年長子・蘆名盛隆が痴情のもつれから愛童に刺殺される。二階堂寄りの政策が家中の反発を招き、居城・黒川城が家臣に占拠され鎮圧するなど混乱の直後に起きた凶事であった。
この頃既に二階堂家は反伊達派の意志を明らかにしている。
田村清顕と婚姻を結んで以降も侵攻を黙認し、あまつさえ裏で支援し続けてきた伊達家より、戦ごとにたびたび援軍を差し向けてくれる佐竹家の方へ恩義を感じたためである。
1585年次弟・伊達輝宗が畠山家の処遇を巡って死去。前年より家督を継いでいた伊達政宗の苛烈な軍略の前に南奥羽の諸侯は佐竹義重を盟主として糾合して抗う。
この連合には伊達輝宗の兄弟姉妹が殆ど伊達家の敵として参加しており、長兄・岩城親隆の嫡男・岩城常隆が治める岩城家、長女・阿南姫の二階堂家、四弟・石川昭光の石川家、四妹・彦姫の嫡男・亀王丸を戴く蘆名家、そして五妹・宝寿院の夫である佐竹義重率いる佐竹家と、その急逝は奥羽に大混乱をもたらす結果となった。
1586年人取り橋の戦いにおいて須賀川が連合軍の集合地となる。
1587年五妹・宝寿院の次男が蘆名へ入嗣して当主・蘆名義広となり、四妹・彦姫と先夫・蘆名盛興の娘・小杉山御台を正室とする。
佐竹家に庇護を求める二階堂家にとっては佐竹義宣、蘆名義広兄弟の結びつきは喜ばしいことではあったが、当の蘆名家では佐竹からの新参者を快く思わず、結果としてこのことが蘆名滅亡の遠因となった。
1588年南奥連合として郡山合戦に派兵。
1589年摺上原の戦いでついに蘆名家を滅ぼした伊達政宗は敵対し続ける二階堂家を睨み侵攻の構えを見せた。
この時阿南姫は、前年逝去した四妹・彦姫にあらかじめ懇願し養女としていた蘆名盛隆との遺児・岩瀬御台をようやく迎え入れたばかりであり、いずれ婿養子を娶わせて御家を復興しようと一縷の望みにかけていた。
伯母へ降伏を呼びかける伊達政宗に憤った須賀川領民は夜遅く松明を手に手に十日山へ集い、城方へ決起を促す。
二階堂家中は阿南姫が伊達の出身であるから辱めを受けることもないだろうと助命を願って降伏を進言した。
そこで「はかない女性の身でありながら思うところはある」として自身の思いを家臣へ話して聞かせる。
「長年田村清顕の侵攻に耐え、今日までつつがなく暮らせているのはひとえに佐竹義重の恩によるもの。またやすやすと降伏しては仙道筋の諸将に反抗する者がいなくなる。そうなれば愚か者の伊達政宗は嬉々として増長するでしょう。ここは一日でも抵抗し、佐竹の恩に報いる心としたい」
「我もと思う者は私と命運を共にせよ。さにあらぬ者は今日を限りに暇を取らせるゆえ思い思い降参されるがよい。私は決して恨みには思うまいぞ」
この言葉に感涙した家臣一同は籠城を決心し、高らかに申し述べた。
「そこまでの御覚悟を前に年来の御恩を忘れて伊達に下る者がありましょうや。何程の軍勢が寄せて来ようともまず我々が討ち果てて見せます。御身の上はその後と思し召し下され」
そして、誓書をしたためて焼いた灰を酒に溶かして皆で酌み交わした。
その頼もしげな様を見た阿南姫は涙を拭って喜色を浮かべたという。
こうして名実ともに須賀川城主となり、その御旗の下へ家臣が一致団結したのである。
やがて侵攻してきた伊達軍は二階堂勢に襲い掛かったが、各城の守りは堅く一進一退の激戦が繰り広げられた。
須田盛秀のように股肱の臣のみで兵を構成し幾度となく寄せ手を押し返す隊もおり、城方は頑強に抵抗し続けた。
ところが、日も暮れかかって今日は引き上げか、という頃にひそかに伊達へ内応していた二階堂家臣が謀反を起こして郎党へ合図を送り、長禄寺の便所に火を放った。
猛火は天をも焦がす勢いで、やがて本丸へと延焼したため落城が決定的となってしまった。
火元を見定めた阿南姫は内応者の妻へ詰め寄り「(ようやく今日一日を堪えたところなのに)譜代の家臣がなぜこのような情けないことをするのだ」と涙をこぼしたという。
妻は「愚かなる我が身にも御方様のお恨みこれ以上無くと思います。どうか如何ようにもご成敗なさって下さい」と泣いて詫びた。そこで襟首を掴んで懐刀を抜いたところ周囲の者が取りすがったため、刃を翻して自害しようとしたがまたも大勢の者に大慌てで制止された。
炎上を目の当たりにした佐竹・岩城の援軍も敗れ去って落ち延びていったが、八幡崎城の将兵は本丸落城後も抵抗を続け一兵残らず討ち死にしたという。伊達の諸将は二階堂勢を評して敵ながら天晴れ剛なる振る舞いかな、実に稀代の事なり、などと口々に賞賛したと伝わる。
また後世にはこの時の阿南姫を評して「上古には、尼なる将軍だにおわしたりとはいえども、近代にかかる勇なる女性もたぐい少なくぞ聞えし」との記述が残されている。
※会津四家合考巻之四(1662年成立)、須賀川の城落つる事の項。
岩瀬御台を伴って焼け落ちた城から出た後は伊達政宗の命によって杉目城へ移されたが、9人の侍女・従者を謀殺されるなどしたため甥で娘婿の岩城常隆を頼って落ち延びた。
須賀川の地は一足先に伊達家へ臣従していた四弟・石川昭光に与えられている。
1590年岩城常隆が死去。五妹・宝寿院を頼って甥・佐竹義宣の下へ身を寄せている。
1602年佐竹家の秋田転封に従い北上の徒についていたが、故郷の須賀川付近で病に罹り、先年再建された長禄寺にて療養に入るも平癒することなく逝去。享年62。
岩瀬御台は佐竹義宣の側室として秋田に入るが、二階堂の終焉を受け入れて横手にて旧臣とともに隠棲した。
戒名:大乗院殿法岸秀蓮大姉
墓所の長禄寺には享年42と伝わるが生年と矛盾する。
亡き須賀川領主と戦死した多くの人々を思った旧領民が、新しい領主の目を憚るために「むじな狩り」と称して毎年10月に火灯りを持ち寄り、松明に火をともして死者の鎮魂を祈ったのが始まりという。
現在では新暦に合わせ毎年11月の第2土曜日に開催され、日本三大火祭りに数えられている。
「ここは私の城!もう決めたから!」
2012年10月11日より稼働中のアーケードカードゲーム 戦国大戦 -1582 日輪、本能寺より出ずる- に参戦。
ボイス付プレイアブルキャラクターとしてのゲーム登場は他の戦国ゲーを含めても史上初。
スペックは下記の通りかなり良い部類、撃滅の馬術も敵を倒すと効果が上がる長時間計略と優秀。
突撃ボイスの「行くわ!」が「イグわ!」に聞こえると評判。衣装はサムスピのいろはに似てる。
イラストレーターもおっぱいに定評のある小室和生氏。やったね!
Ver | No. | レアリティ | コスト | 特技 | 武力 | 統率 | 兵種 | 計略 | 必要士気 | 計略種 | 効果時間 |
2.0 | 他083 | R | 2 | 魅力 | 7 | 5 | 騎馬隊 | 撃滅の馬術 | 4 | 強化 | 統率時間 |
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
嵐世紀 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
創造 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
戦国立志伝 | 統率 | 70 | 武勇 | 64 | 知略 | 50 | 政治 | 65 | ||||||||
大志 | 統率 | 68 | 武勇 | 63 | 知略 | 65 | 内政 | 64 | 外政 | 58 |
掲示板
17 ななしのよっしん
2018/06/30(土) 02:54:03 ID: BDN9fdVw7I
分家の一つに過ぎない矢田野が
二階堂を名乗られてもなぁ
>>14
伊達なんて知らん
何年か前に行ったときに
小学生くらいの女の子二人が燃えてる近くまで見に行って
つまんねぇって言ってた。それが現実。
18 ななしのよっしん
2023/07/09(日) 08:49:14 ID: oXRcqExIhA
ID: BDN9fdVw7Iくんはなんの執念があってここまで粘着してるのか…
19 ななしのよっしん
2024/01/27(土) 13:46:05 ID: /lQJHFhaHF
関ヶ原の戦いの時に義宣に西軍に付けとか言ってたのかな?
まぁ実家が東軍だから西軍に付けと言ってたのも考えられるし。
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最終更新:2025/05/18(日) 12:00
最終更新:2025/05/18(日) 12:00
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