株式会社長崎屋 東京都目黒区青葉台2-19-10 小売業[非上場/親会社:PPIH] |
元々布団屋からスーパーマーケットに転身した経緯もあり、衣料品をメインにした売り場作りを行い、かつては全国各地に店舗を持つ準大手チェーンにまで成長した。
一方、食料品販売は長年地元の地場スーパーにテナントとして出店してもらう形式を取り、長崎屋自身では運営を行わない方針を取っていた。
1990年、兵庫県尼崎市にあった尼崎店が放火され、多数の死者と重傷者を出した「長崎屋火災」が発生。尼崎店は無期限休業に追い込まれ、再開されることなくそのまま閉店した。
そしてこの直後にバブル景気も崩壊。特に食料品販売に弱く、衣料品販売をメインにしていた長崎屋は大打撃を受ける。1994年には優良子会社であったコンビニチェーンのサンクス(現:ファミリーマート)を売却するものの有効打にはならず、ついに1999年に倒産した。
その後キョウデングループに入り、大半の店舗の閉鎖と人員削減を行い再建。再建後に大手ディスカウントストアのドン・キホーテグループに売却された。
ドン・キホーテグループに編入後、ラパークを含む殆どの店舗を順次「MEGAドン・キホーテ」または「ドン・キホーテ」に転換し(ただし店名を変更しても、それらの店舗の運営企業自体は長崎屋のまま)、「長崎屋」名義で営業している店舗は7店舗まで減少している(2020年4月末現在)。一部店舗は「長崎屋」と「ドン・キホーテ」の併設店となっている。
「MEGAドン・キホーテ」はドン・キホーテと長崎屋が一緒になったような形式を取り、運営は長崎屋のためMEGAドンキ店舗で長崎屋のロゴが見ることができる。
かつて長崎屋のテレビCMや店内ソングに「サン・サン・サンバード」という曲が流れていた。
「サン・サン・サンバード」
作詞:伊藤アキラ 作曲:小林亜星
倒産後はキョウデングループ入りし、店内ソングは作詞作曲が橋本ひろし(キョウデン創設者兼会長)による曲に変更。
なお、橋本ひろし氏は「SHOP99テーマソング」の作詞作曲を手がけていることでも知られる。
「SHOP99テーマソング」 同様に、さまざまなバージョンが作られたらしい。(和風バージョンなど)
「サンバード長崎屋」(正式な曲名は情報不足のため不明)
作詞・作曲:はしもとひろし
ドン・キホーテグループとなってからは、上記の楽曲を聞くことはない。
ローソンの子会社となった「SHOP99」の曲は現在でも公式サイトでさえ聴けるのに、なんだよこの差?
あの哀愁ただよう長崎屋はもう戻っては来ないをよく表している。
掲示板
12 ななしのよっしん
2022/02/27(日) 18:54:56 ID: HwyM+K3Vui
一階が食料品で二階が洋服で本屋やおもちゃ・ゲーム売り場もあって…
今で言うイオンみたいな総合スーパーのように捉えてるけど、なんでイオのようになれなかったか
13 ななしのよっしん
2022/09/25(日) 00:11:11 ID: OJ6IrgN1Ht
>>12
多分大きく分けてこの3つが原因
・食品が弱い
創業当初、魚を仕入れたものの売れ残ってフードロスを招いたトラウマから長年食品売り場の運営をしなかった。
尤も、地方の店からはこの戦略が有り難がられて食品売り場は地元スーパーのテナント出店、それ以外は長崎屋という共存共栄ができた。
しかしイオンやヨーカドーを見ての通り、服より食品のほうが買う頻度高いので儲かりやすい。食品に手を出さなかったせいでジリ貧になった。
・胡坐掻いて値上げ
創業者が「服は家電と違って他店と比較することができない」という謎理論を唱えて強引に値上げした。なので客はそこで服を買わなくなった。
仕入先をも突っぱねて無理矢理値上げして更に客も減ったのでメーカーも問屋も卸さなくなった。
・電子化の遅れ
他の店がとっくにAIを導入してトレンド予測してる頃、未だにバイヤーの勘で仕入れていた。そのバイヤーが定年退職したり勘が外れることが増えて在庫を多く抱えた。
14 ななしのよっしん
2023/07/26(水) 21:03:40 ID: fW3pRCj3VY
数少ない生き残りの帯広店が閉店、解体決定
果たして最後に長崎屋の名前を残す店はどこになるだろうか
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最終更新:2025/01/09(木) 07:00
最終更新:2025/01/09(木) 07:00
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