茶の湯とは、
江戸落語では滑稽噺に分類され、江戸流の笑いのエッセンスが凝縮された怪作(間違いなく作者は病気である)。正直、茶の湯とは名ばかりで、あまりにシュールすぎる展開、とことん破天荒なギャグが続き、ただただ本家本元の茶の湯と千家に謝れと言いたくなるような、どこまでもカオスな噺だが、歴とした江戸時代から続く古典落語の演目であり、決して戦後に誰かが作った創作落語ではない。立川志の輔の十八番の一つであり、三遊亭金馬なども得意としていた。
なお、上方落語では桂歌之助が東京から移入したが、笑いのベクトルが違うのか、そんなに演じられていない。やはり、江戸っ子気質や江戸の粋という土台があってこそ生きる噺なのであろう。
旦那が根岸でご隠居生活を始めたが、何か一つ趣味に興じてみようと茶の湯を嗜むことにした。幸い、前の持ち主が茶人であったらしく、茶道具と茶室が揃っている。しかし、自分が無知だと思われたくないので、あやふやな記憶を辿り見よう見まねで、定吉の前で茶の湯の真似事をする。そこに丁稚の定吉、彼も茶の湯はろくに知らないのだが、思い込みが強く、茶の湯には青い粉(本来は抹茶)が必要だとご隠居に言われるや、さっそく青きな粉を買ってくる。当然、それで茶が点てられるはずもないのだが、泡を出すために、今度は何と椋の皮を買ってきた(椋の皮は、昔は洗剤代わりに用いた)。そしてぶくぶくに泡だった青黄な粉の茶が出来たのだが、どっちが飲むかで言い合いになる。結局、言い出しっぺのご隠居が一口啜ると、思わず「(舌が)痺れるほど美味い!」と一言。半信半疑で定吉も啜れば、彼も思わず涙を溜め、我を忘れるほどであった。
それも風流とばかり嘯いて茶の湯(のようなもの)を続け、3日も経てば二人とも下痢に嘖まれる。それでも、そんな気ままに窶れていき、柳のようにふらふらとする姿すらも風流と勘違いする始末。剰え、この新しい茶の湯(に似た何か)を他人にも知ってもらおうと、長屋連中を呼び集める。だが、彼らはその得体の知れぬお茶(とは似て非なるもの)を飲んでは吹き出し、げんなりして帰っていく。だが、一緒に出される茶菓子の羊羹だけは上物で、それ目当てに茶の湯に顔を出していた。
だが、このままでは茶菓子代も馬鹿にならない。何とかいい方法はないかと、旦那は自前で茶菓子を作ろうとする。そして芋を潰し黒砂糖に混ぜ、それを茶碗にはめ込んだまではいいが、ねとついた芋がすっかりへばりついて取り出せない。そこで、あろうことか灯し油を流し込んで取り出し、それを利休まんじゅうと勝手に名付けて、件の茶と一緒に出す。そんなこんなのせいで、旦那の元には誰も訪れなくなってしまう。
しばらくして、知り合いの旦那が、隠居の元を訪ねる。彼が茶の湯を始めたと耳にしていたので、お手並拝見とばかり窺うと、ご隠居は得意顔で、例の茶の湯(に似ry)を点て始めた。久々の来客でいつもより青きな粉も椋の皮もふんだんに放り込んだせいで、これがもう想像を絶する味。思わず旦那が手前の菓子を取ろうとすると、これも格別なる代物で、すっかり悶絶してしまう。おまけに灯し油が衣にしみこみ、たまらなくなった旦那は廊下に出て、この毒物利休まんじゅうを畑に投げ棄てた。
そこに運悪くたまたま仕事に精を出していた百姓に直撃する。彼はすっかり激怒するが、投げ入れられたまんじゅうを見て一言
「ああ、また茶の湯やってんのか」
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最終更新:2024/12/24(火) 04:00
最終更新:2024/12/24(火) 03:00
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