織田信包(おだ・のぶかね 1543?~1614)とは、日本の戦国時代の武将である。織田信秀の四男で織田信長実弟。
長野信良、織田上野介信兼とも。
天文12年(1543年)に生誕。織田信長の北伊勢攻略に伴い、長野家に養子として送り込まれ「長野信良」を名乗る。
1573年の浅井長政討伐、1574年の長島一向一揆攻め、1575年の越前一向一揆攻めなどに参加。同じ伊勢に勢力を張る甥の織田信雄と協力している。1577年には長野家重臣の細野藤敦を追放し、長野家の完全統制に成功する。
その後は当主の織田信忠に従い、雑賀攻め、荒木村重討伐、別所長治討伐などに従軍。1581年の天正御馬揃えでは織田信忠、織田信雄につぐ10騎を率いて参加。また同年、織田信雄とともに伊賀を討伐し、伊賀にも領地を得た。
1582年6月、本能寺の変が発生。信包は領国におり、特に何もしなかった。
1584年の小牧長久手の戦いでも羽柴秀吉に属し、織田信雄・徳川家康らと戦った。戦後、伊勢での加増を受け、以降も秀吉に従う。
1585年の佐々成政討伐や1590年の北条氏政討伐にも参陣。しかし1594年に秀吉に領土を減らされる。表向きは太閤検地の不正発覚らしいが真相は不明。この時出家して「老犬」と号する。
関ヶ原の戦いでは西軍に属し、細川幽斎の籠る田辺城を攻めた。戦後は特にお咎めもなく本領の丹波柏原を維持。
世間での知名度はかなり低く、創作やメディアでの露出はほとんどない。名前の読みづらさや役割の地味さ、戦功の無さ、人物像を読み取れるような史料がないことから、「隅の方で堅実に行動していた」というイメージを持たれているようだ。最近、戦国大戦や大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」で出番があった。
「全軍、突撃せよ!」
戦国大戦でもVer1.0から登場している。がとにかく地味の一言に尽きる。
織田の1.5コストは激戦区で、鉄砲隊に限っても武力6の橋本一巴、金森長近、滝川益氏がおり、武力5ではやたら耳に残るボイスの織田信勝がいた(しかも当初は呪縛の術がえらく強かった)。
そんな中武力5統率7は決して低い能力ではないのだが、特技も持っておらず地味であった。
計略の「方陣」も、それで大暴れしたのはもう一人の方陣使いである一条信龍であり、信包は彼の暴れっぷりのとばっちりで方陣を下方修正されるという大変カワイソスな扱いである。
しかもVerが下る程、織田の武将も増えていき対抗は増えていくばかりで彼の立場はどんどん薄くなっていくことに…
そんな中下記の関連動画にもある通り「滝川と信包デッキ固定で頑張る」会話つき大戦動画も登場しており、コアなファンはいる。イラストもイケメンだしな!
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最終更新:2024/12/23(月) 15:00
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