真中満(まなか みつる、1971年1月6日-)とは、栃木県出身の元プロ野球選手(外野手・一塁手)である。2015年から2017年まで東京ヤクルトスワローズの一軍監督を務めた。
OB | |
---|---|
真中満 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県大田原市 |
生年月日 | 1971年1月6日 |
身長 体重 |
170cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 1992年ドラフト3位 |
引退 | 2008年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
宇都宮学園高等学校時代は3年次に春夏連続で甲子園に出場し、選抜大会はベスト4、全国選手権は3回戦で敗退となった。
卒業後は日本大学に進学し、東都大学リーグに71試合出場し、首位打者1回、ベストナインに4回選出されるなど活躍。
1997年にセンターのポジションを飯田哲也と競ってレギュラーに定着。全133試合に出場し、優勝と日本一に貢献した。
2001年は初めてオールスターゲームに選出される。打率.312、7本塁打、36打点の活躍で優勝と日本一に貢献した。日本シリーズ第3戦で大阪近鉄バファローズの香田勲男から記録したホームランは大回転打法として話題になった。
2005年に青木宣親が台頭してからは控えに回り、"代打の神様"として活躍。
2009年はヤクルトの二軍打撃コーチ、2010年シーズン終盤にはフェニックスリーグ監督代行、2011年からは二軍監督、2014年からは一軍打撃コーチを務め、2015年以降の強力打線の礎を築いた。
2014年シーズンオフ、退任する小川淳司監督の後を継ぎ一軍監督に就任が決定した。
2015年(1年目)は異例ともいえる大混戦を勝ち抜き、ヤクルト14年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた。オフにはドラフト会議で高山俊を引き当てたと思い込みガッツポーズをしたが、後に間違いだったことが判明するトラブルを起こす。このことでゆうもあ賞を獲得している。詳細は2015年度新人選手選択会議とドラフト会議を参照
2017年も怪我人続出、更に山田哲人の打撃不振などが響き、最終成績は45勝96敗2分と球団最多敗戦を更新。5位と15.5ゲーム差の最下位に終わった。8月22日に監督辞任を発表。フロント入りも固辞した。
内角打ちが非常にうまく、そのスイングは体ごと駒のように回転させている。2001年の日本シリーズ第3戦で元近鉄の香田勲男から放ったホームランは「回転ホームラン」「回るおっさん」と呼ばれている。
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
ヤクルト | 応援歌のピコカキコ一覧#305 | 9273 |
通算:16年 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 1368 | 4274 | 3918 | 477 | 1122 | 179 | 25 | 54 | 335 | 64 | 80 | 17 | 237 | 19 | 394 | 61 | .286 | .329 |
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2015年 | ヤクルト | 1位 | 143 | 76 | 65 | 2 | .539 | 日本シリーズ敗退 |
2016年 | 5位 | 143 | 64 | 78 | 1 | .451 | ||
2017年 | 6位 | 143 | 45 | 96 | 2 | .319 | ||
NPB:3年 | 429 | 185 | 239 | 5 | .436 | Aクラス:1回、Bクラス:2回 |
表彰 | ||
---|---|---|
日本シリーズ優秀選手賞 | 1回 | 2001年 |
セ・リーグ最優秀監督賞 | 1回 | 2015年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 1回 | 2001年 |
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最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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