玄武洞とは、兵庫県豊岡市にある柱状節理が発達した洞窟・岩壁・採石場跡である。
玄武洞 | |
玄武洞は発達した六角柱状節理が美しい岩壁である。節理というのは岩に入った規則的なひび割れの事で玄武洞は文字通り六角柱状の岩が無数に集合しているように見える。玄武洞の成り立ちは約160万年前に噴出した溶岩が冷え固まり約6000年前に海や川で削られ柱状節理が露出した。露出した柱状節理は採石が容易で河口に面し輸送も容易であったため江戸時代から採石が行われ人為的に掘り進められた結果洞窟となった。江戸後期にこの地を訪れた儒学者の柴野栗山がその様子が四神の玄武が連想させることから「玄武洞」と名付けた。玄武とは亀と蛇が合わさった中国の伝説上の生物で六角柱状節理が亀の甲羅と蛇腹を連想させたのだろう。明治に採石が禁じられ1931年に天然記念物に指定されると観光地となったが崩落の危険性から中に立ち入ることができず外から眺めるだけになる。洞窟探索を期待して行くとがっかりするかもしれないが実際に目の前にすると写真では伝わらない迫力があるので一見の価値あり。周辺は無料の玄武洞公園として整備されているので城崎温泉など周辺の観光地を訪れた際に立ち寄ってみるのはいかがだろうか。
玄武洞とその周辺は玄武洞公園として整備され遊歩道の敷石や石積みには玄武洞の石材が利用されている。玄武洞以外にも柱状節理が観察できる洞窟(採石場跡)があり四神にちなみ青龍洞・白虎洞・北朱雀洞・南朱雀洞と名付けられている。なお玄武洞以外のネーミングは大正時代以降に観光用に名付けられたもので、かつてはまとめて玄武洞と呼ばれていたようだ。玄武洞と青龍洞は規模が大きく天然記念物に指定されている。一方で白虎洞・南朱雀洞・北朱雀洞は規模は小さく天然記念物にも指定されていないが間近で柱状節理を観察できるメリットがある。
玄武洞 |
青龍洞 |
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白虎洞 |
南朱雀洞 |
北朱雀洞 |
玄武洞公園の目の前に位置するミュージアム。玄武洞の解説のほか世界の鉱物や奇岩や化石、加えて豊岡伝統の杞柳細工も展示されている。展示のほかにも石のアクセサリーや杞柳細工の製作体験や土産物販売もされている。玄武洞駅からの渡し舟はここが運営しているので休館日には運休になるので注意。
六角形の頭にねじり鉢巻きに太い眉と怒った顔といういかにも頑固おやじな豊岡市のマスコット。着ぐるみの状態でもしゃべったり眉が動くという他のゆるキャラとは一線を画す。出身地は豊岡市玄武洞公園、年齢は玄武洞の玄武岩と同じ推定160万歳という公式設定。玄武洞公園にも顔出し看板が設置されているが何故か顔を出す部分は玄さんに砕かれる岩。
第一に六角柱状節理の典型例である。柱状節理自体は各地でしばしば見られるが大規模で整った美しい柱状節理が見られる場所は限られる。理論上均一な溶岩が一面から均一に冷却されれば六角柱状節理は形成されるのだが実際には溶岩や温度にムラができて不規則な形になりやすいので大規模に整った柱状節理が発達する場所は珍しい。
第二に玄武岩の名前の由来となった場所である。「玄武岩」は明治に「Basalt」を翻訳する際に東京帝国大学の小藤文次郎によって玄武洞にちなんで名付けられた。玄が黒色を意味し特徴を表していることも適当だった。
第三に地磁気逆転の証拠が見いだされた場所である。1926年に京都帝国大学の松山基範が玄武洞で採取された岩石の磁気方向を測定したところ現在の地磁気と逆方向であったことが見出された。[1]松山は他の地点の岩石も採取測定し前期更新世に地磁気の逆転があったと結論付けた。[2]発表当初は注目されなかったが1960年代に地磁気逆転が広く受け入れられるようになり功績が認められるようになった。地磁気逆転はその後の地学の発展に重要な発見で[3]その端緒となった玄武洞は世界的にも重要な場所である。
このような重要性から玄武洞を含む山陰海岸国立公園は山陰海岸ジオパークとして日本ジオパークおよびユネスコ世界ジオパークに認定されている。
玄武洞から円山川の対岸にその名もズバリ玄武洞駅があるが近くに橋はなく渡し舟(当日事前予約)はあるものの荒天などで運休するので豊岡駅や城崎温泉駅からタクシーやレンタカーやレンタサイクルを利用するのが無難。
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最終更新:2024/12/23(月) 20:00
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