河野通有(?~1311)とは、鎌倉時代に活躍した武将である。
父の所領伊予国久米郡石井郷を相続し、本拠を縦淵城に置いた。文永の役後、元軍の再来に備えて九州の防備にあたる。
『八幡愚童訓』によると10年以内に蒙古が来なければ自分から攻めに行くという起請文を書き、実際8年目にやってきたので参戦し、大暴れしたと書かれている。さらに『予章記』では1281年の弘安の役において筑前博多で幕一重後ろに築地を築き、敵を率いれ戦う策をとり、「河野の後築地」と呼ばれたことが記された。さらに伯父・河野通時を失いつつも敵の大将を一人生け捕ったほどの活躍を遂げた。
竹崎季長の『蒙古襲来絵巻』にもその活躍は記されており、息子の河野通時ともに承久の乱で没収された給料なども回復したと伝わるが、こちらに関しては明確な資料はない。
以後瀬戸内海の海賊たちの惣領的な立場にある一方で、少弐盛資などと九州で幕府の依頼を請け負うこともあった。
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最終更新:2024/12/23(月) 18:00
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