神奈川フューチャードリームス #76 ヘッドコーチ | |
---|---|
武藤孝司 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県川崎市 |
生年月日 | 1973年6月6日 |
身長 体重 |
176cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1995年 ドラフト3位 |
引退 | 2002年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
横浜商業高等学校へ進学。2年時には夏の甲子園大会に出場し、ランニング本塁打を記録している。
卒業後、創価大学へ進学。1年時からレギュラーとして活躍。在学4年間で、ベストナインを3度、首位打者・盗塁王・最多打点・MVP・最優秀新人のタイトルをそれぞれ1度獲得している。
1995年ドラフト会議にて、ドラフト3位で近鉄バファローズから指名を受け入団。同期入団には岡本晃・平下晃司らがいた。また、入団拒否となったが、1位指名は福留孝介であった。
入団初年度の1996年は14試合に出場。
1997年、開幕直後にショートのスタメンに定着。規定打席に到達し、119試合に出場し、打率.282、29打点、26盗塁、29犠打を記録。同期入団の岡本とともに新人王候補に名前が挙がったが、新人王は小坂誠が選ばれた。
1998年、初めて開幕スタメンを勝ち取ると、1、2番や9番打者として活躍を続け、オールスターゲームにも初出場を果たした。ただ、夏場にスランプに陥り、シーズン終盤はベテランの吉田剛にスタメンの座を奪われることも目立った。127試合出場、打率.250、32打点、16盗塁、38犠打を記録。
1999年、シーズン半ばに二軍降格を経験するなど苦しい時期もあったが、プロ初本塁打を放つなど復調し、打率.280、1本塁打、19打点、25犠打を記録。
2000年、打順は9番中心の起用と下位打線を打つことが多かったが、これが良い方向に働き、安定感のある活躍を見せた。しかし、8月の試合で併殺プレーの際にランナーと交錯し肩を負傷。以降は故障を抱えたまま、指名打者やセカンドとしてプレーした。最終的にはパ・リーグ7位の打率.311を記録し、得点圏は打率.370を記録、盗塁数も20盗塁を記録するなど、手負いの状態ながらキャリアハイの成績を残した。
シーズン終了後、完治していなかった肩の手術を受けた。当初の見立てでは開幕前後には復帰できる予定であったが、術後の状態は思わしくなく、2001年は一軍出場無しに終わる。
2002年、二軍では盗塁王を獲得したが、一軍での出場はわずか18試合の出場にとどまり、打率も.180と活躍できなかった。
2003年、一軍出場無しに終わり、シーズンオフに戦力外通告を受け、そのまま現役を引退した。
引退後、近鉄やオリックス・バファローズ、東北楽天ゴールデンイーグルスでスカウトを務めた。担当した選手には渡辺直人らがいる。
2012年限りでスカウトを退任し、以降は徳島インディゴソックスや愛媛マンダリンパイレーツ、社会人野球のHonda鈴鹿でコーチを務めた。
2024年からは神奈川フューチャードリームスのヘッドコーチに就任している。
巧打力の高さと俊足を武器に、いてまえ打線のチャンスメーカーとして活躍した内野手。足の速さに加え肩の強さも相まって守備範囲は広かった。
通算:6年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 497 | 1728 | 1465 | 207 | 408 | 2 | 123 | 71 | 110 | 8 | 132 | 13 | 150 | 7 | .278 | .342 |
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/23(月) 16:00
最終更新:2024/12/23(月) 15:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。