岡本晃(おかもと あきら)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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岡本晃 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 兵庫県神戸市 |
生年月日 | 1973年5月3日 |
身長 体重 |
180cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1995年 ドラフト2位 |
引退 | 2007年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
三田学園高等学校に進学。3年時には春の甲子園大会に出場したが、初戦で敗退している。
卒業後、関西大学に進学。4年時にはノーヒットノーランを達成するなどエースとして活躍し、最優秀選手とベストナインに選ばれている。
1995年ドラフト会議にて、近鉄バファローズを逆指名し、2位指名を受け入団。同期入団には武藤孝司がいた。また、入団拒否となったが、1位指名は福留孝介であった。
即戦力として期待されたが、初年度の1996年は一軍登板なしに終わっている。
1997年、投球フォームをスリークォーターからサイドスローに転向。これにより制球力が増し、先発ローテーションに定着。小池秀郎とともに投手陣を支え、10勝6敗、防御率2.82と好成績を残し、新人王のタイトルこそ小坂誠に譲ったが、ブレイクを果たした。
1998年、前年の活躍もあり投手陣の中心として期待されたが、8勝13敗、防御率4.03と前年ほどの活躍はできなかった。
1999年、開幕投手を任されるなどエースの役割を任され、前半戦に7勝を挙げるなど活躍を見せたが、後半戦は失速。9勝12敗(パ・リーグ最多敗戦)、防御率4.79という成績を残した。
2000年、右肘を故障し9試合の登板に終わり、手術を受けた。
2001年、開幕直後にリリーフに転向。大塚晶文の不調時には抑え投手を任され、大塚復調後はセットアッパーとして活躍。オールスターゲームにも初出場を果たし、最終的には61試合に登板して4勝4敗8セーブ、防御率2.73という成績を残し、リリーフとしての適性も見せた。
2002年、大塚が故障で出遅れたことから抑えを任され、大塚復帰後はセットアッパーとして活躍。65試合に登板し7勝2敗18セーブ、防御率1.82と不安定な投手陣の中で安定感が光った。
2003年、45試合に登板したが、1勝3敗2セーブ、防御率4.76と今一つな成績に終わる。
2004年、背筋を痛めた影響で、わずか4試合の登板に終わる。シーズン終了後、近鉄が解散し、分配ドラフトの結果、オリックス・バファローズ所属となる。
オリックスでは一軍登板なしに終わり、1年限りで戦力外通告を受けた。
オリックス退団後、オランダやアメリカ独立リーグでのプレーを経験し、2007年限りで現役を引退。
引退後は整体院を営んでいるようである。
高い制球力と、スライダーやシュート、シンカーなどを武器に活躍したサイドスロー。
2001年には、リリーフ投手ながら100イニング以上に投げており、重宝されていた事がわかる。
通算:8年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 271 | 13 | 4 | 39 | 42 | 28 | --- | .481 | 698.0 | 217 | 414 | 312 | 289 | 3.73 |
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最終更新:2025/06/10(火) 18:00
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