李氏朝鮮とは、朝鮮に存在した王朝である。日本や中国では統治者の姓から李朝、李朝鮮と略して呼称することもある。韓国では単に朝鮮、朝鮮王朝と呼ぶ事が多い(古代に存在した「朝鮮」を国号とする国(衛氏朝鮮など)は「古朝鮮」と呼んで区別している)。
建国より近代に至るまで中国王朝(明・清)の冊封国であった。
1392年から1910年まで(中国の冊封国としては1897年まで)続いた朝鮮半島最後の王朝である。918年より半島を統治していた高麗を、武人の李成桂が簒奪して建国した。首都は初期に開城、後に漢城(現在のソウル)。
当時、大陸では中心部の統治国家が大元から明へと変化しており、李成桂は簒奪後すぐに明帝国へ使者を送りその正当性を認めさせた。この際、国号を高麗から改めるように命じられ、明の洪武帝に「和寧」と「朝鮮」の2つの国号を提案し、平壌付近の古名であった後者が選ばれたので「朝鮮」の国号が採用された。
建国時より朱子学(儒教)を重んじ、仏教を弾圧する「崇儒廃仏」体制が採られた。前王朝の高麗が仏教を重んじていたため、それとの差別化を図る意図があったと言われている。
4代国王世宗の時代に王朝は最も繁栄したと言われている。現在のハングルのもととなる訓民正音の編纂が行われたのはこの頃である。尤も、官僚らの反対も強く訓民正音の普及はこの段階では限定的なものに留まっていた。
その後、王朝は王族と両班の権力争い、更には豊臣秀吉の出兵(文禄・慶長の役、壬辰倭乱)や後金(後の清帝国)による侵略(丁卯胡乱)によって大きく疲弊。特に後者の結果、清への従属を余儀なくされる。
1897年、日清戦争の講和条約である下関条約により清帝国の朝鮮への主従権が失われ、国号を「大韓帝国」と改める。これにより君主も王から皇帝となった。
その後は日本による保護国化が進み、最終的に1910年の日韓併合条約によって王朝は滅亡、李王家は日本の王公族となった。
掲示板
101 ななしのよっしん
2024/01/23(火) 20:09:15 ID: OSzCZJbLe6
>>98
あまり気にしないでいいと思う。理由は
李氏朝鮮の人口圧力は緩やかだった
そもそも出展となる文献の誤りではないか?
という大まかに二点。
文献の誤りというのはよく引き合いに出される「一日に千頭の牛を屠殺する」という承政院日記の誤り
どう誤りかというと、そもそも17世紀前半、戦乱や口蹄疫、飢餓によって半島内の牛が絶滅状態になる。この時わざわざモンゴルまで繁殖個体二百頭を買い付けに行くという記録が残っててそれから50年後の承政院日記の記述であり食用の余裕はないのではないか?という疑問
また記述の数年前に李氏朝鮮史でも最大規模の飢饉が起きて、食糧事情はひっ迫してるはずなのに一日千頭は年間換算で20世紀初めの半島内での一年間の牛肉消費量の3倍はある。なので一日ではなく一週間、もしくは一カ月の間違いではないかという疑問
102 ななしのよっしん
2024/01/23(火) 20:12:32 ID: OSzCZJbLe6
続きだけど、もっと根本は半島内の人口圧の問題で、日本は江戸以前から温暖な気候と進んだ農業技術で朝鮮より一人当たりでも生産量が多かったんだけど江戸初期から人口は約2.5倍。マルサスの罠上限である3100万人に約100年で到達した
朝鮮はというとマルサスの罠に嵌るのは人口1800万で1600年から200年後の1800年までかかって人口も1,7倍程しか増えなかった
日本は人口圧が強いのに清朝の華僑やイギリスの新大陸行みたいに海外棄民出来なくてマビキという解決しかできなかったけど、朝鮮は低い人口圧、日本より平均寿命が10年ほど低い30前半で死ぬからあんまり問題にならないという利点?もある
このように牛肉を食えるからと言って健康状態や食糧事情が日本よりいいと言えるのか?という話。
個人的にこう解釈してるけど他に意見ある人いるなら興味あるから聞いてみたい
あと日本は19世紀初めから余剰生産を都市消費に変えて農耕社会では見られない一人当たりGDPが増えるという近代への基礎ができるんだけど朝鮮は植民地統治までこの兆候はないんだよね
103 ななしのよっしん
2024/09/24(火) 11:33:44 ID: 1kQqJJDeRI
この国って長く続きすぎたんじゃね?、末期は国体の耐用年数超えた事による弊害が出まくった感じ。
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最終更新:2024/12/23(月) 00:00
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