日高剛 単語

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日高剛(ひだか たけし1977年8月15日-)とは、福岡県出身の元プロ野球選手捕手)である。

概要

九州際大付高校から1995年ドラフト3位でオリックス・ブルーウェーブに入団。

1998年三輪隆プロ野球脱税事件で離脱したのを受け一軍に昇格。以降正捕手となる。2005年オリックス・バファローズとなり的山哲也が移籍してきたが、正捕手の座は譲らなかった。

2006年FA宣言するも、獲得に動く球団は現れず残留。

2008年は最多の134試合に出場し、打撃でも自己最高の成績を残すが、一方で守備は捕手リーグワーストの6失策と精を欠いた。盗塁阻止率も規定試合数に達した捕手の中では最低だった。

2010年岡田彰布監督になると、岡田リード面を酷評され鈴木郁洋に正捕手を奪われた[1]

2011年には若手の伊藤光が正捕手に抜されたため、プロ入り後最低の26試合に終わり、すっかりが薄くなる。

2012年も前半戦は代打で出るぐらいしか出場機会がかったが、鈴木伊藤斉藤俊雄らの捕手が軒並み岡田の不を買って二軍に落とされた結果、8月後半から一時正捕手の座を取り戻し52試合に出場。しかし岡田が解任され森脇監督代行が揮を執るようになると再び伊藤が正捕手となった。

2012年オフ、2度FA宣言阪神タイガースが獲得に乗り出し、移籍が決まった。背番号37。

2013年榎田大樹先発時にスタメン。左の代打としての出場も多かった。7月に守備中の接触で2か近い離脱があり44試合出場に留まったが、打率.289と打撃復活の年となった。

2014年はわずか2試合に終わり、現役を引退した。

引退後

そのまま、阪神スカウトとなり他チーム戦力の分析を担当。後に球団本部企画担当へと移動。

2018年チームトラックマンの弾道測定器が導入されたのにあわせて、(現役時代の監督であった)和田豊テクニカルドバイザーらと共にトラックマンのデータの分析を担当した。

2019年より現場に復帰し、二軍育成兼分析担当コーチに就任。2020年からは二軍打撃兼分析担当コーチとなる。

その他

成績

通算打撃成績

通算:17年 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1517 4530 4031 367 956 195 11 79 434 11 145 28 285 41 702 89 .237 .292

通算守備成績

機構 守備位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 捕逸
NPB 捕手 1414 7743 695 47 120 .994 983

関連動画

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関連項目

脚注

  1. *ファンの間では、リード面が鈴木べてそこまで悪くもなかったため、顔が(イケメンと定評のあった鈴木より)悪いからとネタにされることもあった。
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