日高剛(ひだか たけし、1977年8月15日-)とは、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)である。
阪神タイガース #84 二軍バッテリーコーチ補佐 |
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日高剛 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県北九州市 |
生年月日 | 1977年8月15日 |
身長 体重 |
182cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 捕手、一塁手 |
プロ入り | 1995年ドラフト3位 |
引退 | 2014年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
九州国際大付高校から1995年ドラフト3位でオリックス・ブルーウェーブに入団。
1998年三輪隆がプロ野球脱税事件で離脱したのを受け一軍に昇格。以降正捕手となる。2005年オリックス・バファローズとなり的山哲也が移籍してきたが、正捕手の座は譲らなかった。
2008年は最多の134試合に出場し、打撃でも自己最高の成績を残すが、一方で守備は捕手のリーグワーストの6失策と精彩を欠いた。盗塁阻止率も規定試合数に達した捕手の中では最低だった。
2010年に岡田彰布が監督になると、岡田にリード面を酷評され鈴木郁洋に正捕手を奪われた[1]
2011年には若手の伊藤光が正捕手に抜擢されたため、プロ入り後最低の26試合に終わり、すっかり影が薄くなる。
2012年も前半戦は代打で出るぐらいしか出場機会が無かったが、鈴木、伊藤、斉藤俊雄らの捕手陣が軒並み岡田の不興を買って二軍に落とされた結果、8月後半から一時正捕手の座を取り戻し52試合に出場。しかし岡田が解任され森脇監督代行が指揮を執るようになると再び伊藤が正捕手となった。
2012年オフ、2度目のFA宣言。阪神タイガースが獲得に乗り出し、移籍が決まった。背番号37。
2013年は主に榎田大樹先発時にスタメン。左の代打としての出場も多かった。7月に守備中の接触で2か月近い離脱があり44試合出場に留まったが、打率.289と打撃復活の年となった。
そのまま、阪神のスカウトとなり他チーム戦力の分析を担当。後に球団本部企画担当へと移動。
2018年、チームにトラックマンの弾道測定器が導入されたのにあわせて、(現役時代の監督であった)和田豊テクニカルアドバイザーらと共にトラックマンのデータの分析を担当した。
2019年より現場に復帰し、二軍育成兼分析担当コーチに就任。2020年からは二軍打撃兼分析担当コーチとなる。
通算:17年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1517 | 4530 | 4031 | 367 | 956 | 195 | 11 | 79 | 434 | 11 | 145 | 28 | 285 | 41 | 702 | 89 | .237 | .292 |
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 捕逸 |
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NPB | 捕手 | 1414 | 7743 | 695 | 47 | 120 | .994 | 983 |
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最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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