みんなかがやけ~!
佐野慈紀(1968年4月30日~)とは、近鉄バファローズ、中日ドラゴンズ、オリックス・ブルウェーブに所属していたお笑い芸人、元プロ野球選手である。本名及び91年から2000年までの登録名は佐野重樹。
90年代のプロ野球において、中継ぎ投手として初めての1億円プレイヤーの仲間入りを果たし、それまで存在感と髪が薄かった中継ぎ投手というポジションと自身の頭頂部に光を当てた選手である。
OB | |
佐野慈紀 | |
基本情報 | |
出身地 | 愛媛県 |
生年月日 | 1968年4月30日 |
身長 体重 |
175 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1990年 |
引退 | 2005年? |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
松山商業から近畿大学工学部を経て90年にドラフト3位で近鉄バファローズに入団。
ルーキーイヤーではなぜかほとんど投げないにも関わらず「シュートが得意」という触れ込みが広がっており、佐野はそのイメージを利用してガンガン内角をストレートで攻め、本来の武器であるスライダーとの相乗効果もあっていきなり6勝を挙げる。
94年は47試合に全試合中継ぎとして登板、93と1/3回を投げて8勝4敗2セーブと、チームの中継ぎの柱となる活躍で7月には月間MVPを獲得し、翌95年にはチームが不調な中44試合で10勝4敗6セーブと活躍ぶりと額が光り、先発登板が1度も無かったにも関わらず2桁勝利を挙げている。
96年はリーグ最多となる57試合に登板し、2勝5敗5セーブという成績だったが、プロ入りから6年連続30試合以上登板とチームを支え続けてきたことが評価されたのか、この年のオフ中継ぎ投手として初めての1億円プレーヤーとなり、それまであまり目立たなかった中継ぎ投手としては一躍頭と共に光り輝く存在となった。
97年も52試合に登板したが、98年は右肘を痛めてしまいプロ入り以来初めて1軍登板なしに終わる。
手術を経て復帰した99年はプロ入り初完封勝利を挙げるなどしたが、シーズンを通じて3勝8敗という成績で、2000年には中日ドラゴンズに移籍したがここでも1イニング4被本塁打の記録を作ってしまうなど不調から脱出できず11試合の登板に終わり、オフに戦力外通告を受ける。
野球を続けたい思いが強かった佐野はアメリカのマイナーリーグや独立リーグを転々とし、2003年にはオリックスのテストを受けて合格し入団したが、シーズンでは1軍登板は2試合に終わる。
2004年から2005年は再びアメリカの独立リーグに挑戦したが、2006年からはサンケイスポーツにて評論家として活動を開始。
現在は評論家の他、解説者お笑い芸人としても活動、さらに前田幸長や古木克明らと共に「OBTV」という動画サイトの運営も行っている。
また、BCリーグの石川ミリオンスターズの取締役も務めており、ブログやツイッターでその情報を話すこともある。
キレのあるストレートとスライダーを武器とし、特にスライダーは4つの握りで投げ分けた他、常に球速やリリースに変化をつけて多くの球種をもっているかのように打者を翻弄。ちなみにスライダーは大学時代にたまたま書店で呼んだ本に投げ方が書いてあったため、それを真似したらあっさり習得してしまったとか。
また制球力も良く、審判ごとのストライクゾーンまで研究するなど観察眼に優れていた。
佐野は中継ぎ投手のため、基本的にはセットポジションで投げることが大半だが、ある時オリックス戦でワインドアップで投げた際に手が帽子のツバに当たり、帽子が飛んでしまって自慢の頭が露わになってしまい、打者の中嶋聡が笑いながらタイムをコールするという事態に発展。
無論このプレーはすぐさま「プロ野球珍プレー・好プレー」にて取り上げられ、番組内で佐野はこれを「テカテカ投法」と命名し、これをきっかけに佐野の知名度は大きく上がることになる。なお本人によればこれ以降成績は大きく下がったとかなんとか。
最終的に「テカテカ投法」は「ピッカリ投法」という名称で広まることとなったが、佐野は観客を楽しませるために東西対抗戦やマスターズリーグなどでこのピッカリ投法を度々披露している。
またマスターズリーグではランナーをけん制する際に帽子を取り、頭頂部の光でランナーを「うおっまぶしっ」とさせる「ピッカリ牽制」なるものを編み出している。無論相手が大笑いするだけで牽制として役立っているかは不明。
概要などを読んだいただいた方にはもうおわかりだと思うだろうが、佐野は現役時代から頭髪が薄く、さらに上述のピッカリ投法の件もあってか自らこれを自虐ネタとして度々テレビなどで披露しており、現在ではすっかりハゲキャラとして認識されている。
そのためかプロ野球選手時代からオフには吉本新喜劇に出演するなどサービス精神にあふれた人物であり、ブログやツイッターでは最後に「みんなかがやけ~」で締めくくるのがお約束。決してお前らみんなハゲてしまえとか言ってるわけではない。
そんなこんなで薄毛キャラとして有名な佐野だが、2015年1月11日に「有吉反省会」という番組に「現在もいまだに薄毛をネタにして仕事を増やしていること」を反省するために出演。有吉弘行から「薄毛キャラを卒業、カツラで宣材写真を撮影」という禊を課される。その言葉通り佐野はカツラをかぶって宣材写真を撮影し、自身のブログのプロフィール写真を変更。またそれまで「ピッカリブログ」だったブログ名を「フッサリブログ」に変えている。(現在は再びピッカリブログに戻った)
その他の主なエピソードは関連動画を参照に。
一応プロ野球選手としてのエピソードを載せておくと、プロ入り初完封の試合は当初監督であった佐々木恭介が手術明けの佐野に気を遣い、リリーフエースだった赤堀元之と大塚晶則に「赤堀、今日は4イニング投げろ。大塚は3イニングだ。」と声をかけているのを聞きつけ、佐野が「完投しますよ!」と啖呵を切ったためであり、佐野はその試合で7回にコーチから降板を打診されても頑として受けず、最終的に完封勝利を挙げている。
通算:10年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 353 | 1 | 1 | 41 | 31 | 27 | -- | .569 | 648.1 | 210 | 414 | 301 | 274 | 3.80 | 1.40 |
掲示板
7 ななしのよっしん
2024/04/30(火) 08:05:32 ID: DQQQdFowhS
糖尿で右腕切断かあ、当然切ったら完治なんてものでは無いから全く予断を許さない所に来ちゃってるな
8 ななしのよっしん
2024/05/02(木) 22:47:50 ID: bsy3Rm2Z4J
右腕切断報告の元近鉄・佐野慈紀氏 一部の声に反論「不摂生はしてない。だから糖尿病は怖いんや」
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9 ななしのよっしん
2024/05/09(木) 12:12:33 ID: rzexJ/GhRO
スレ違いっぽくなってしまうけど
切断した部位って燃やして骨壷で保管するんだろうか?
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最終更新:2024/12/23(月) 15:00
最終更新:2024/12/23(月) 15:00
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