メジロファラオ(Mejiro Pharaoh)とは、1993年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
障害競走の名門メジロに、障害グレード制導入最初のGⅠタイトルを届けた馬。
主な勝ち鞍
1999年:中山グランドジャンプ(J-GⅠ)
父*アレミロード、母メジロストーク、母父*モガミという血統。
父はドイツとアメリカでGⅠを勝ち、1986年のジャパンカップでジュピターアイランドと激しい叩き合いを演じた馬。種牡馬として日本に輸入され、12歳で早世してしまったが仕上がりの早い短距離馬を出す種牡馬として活躍した。最も知名度の高い産駒は宇都宮の快速娘ベラミロードか。メジロファラオは5年目の産駒。
母は主に芝中距離を走り、1987年のオークス(9着)とエリザベス女王杯(8着)にも出走したが42戦4勝の900万条件馬で終えた。メジロファラオは第2仔。
母父はメジロラモーヌやシリウスシンボリ、レガシーワールドなどを輩出した名種牡馬。産駒は障害競走にも非常に強く、シンボリクリエンスなど中山大障害馬5頭を輩出している。
8歳下の半妹に、牝馬ながら新潟ジャンプSを勝ったメジロベイシンガー(父メジロライアン)がいる。
いとこにメジロドーベルがいるほか、近親については3代母メジロボサツの記事も参照。
1993年4月17日、伊達市のメジロ牧場で誕生。メジロマックイーンやメジロドーベルと同じく「メジロ商事」名義での所有となった。
※本項では当時の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記する。
1歳下のメジロドーベルと同じ、美浦・大久保洋吉厩舎に入厩。1995年10月7日、東京・芝1800mの新馬戦にて後にドーベルの主戦を務める吉田豊を鞍上にデビューしたが、特に見せ場なく7着に終わる。
その後はダートメインに切り替えたが、なかなか掲示板にも載れないレースが続く。4歳となった1996年3月の7戦目、中京・ダート1700mの未勝利戦で3着に入ると、中1週で向かった中山・ダート1800mの未勝利戦を逃げ切り、8戦目でなんとか勝ち上がった。
しかし500万下では12着→8着→10着→11着→5着→14着→5着→15着と、1年間ほとんど勝ち負けには遠いレースが続く。掲示板に入った2戦は逃げての結果なので、逃げ馬であることはわかったが、どう見たってこのまま500万下条件馬で終わり……かと思いきや、5歳となった1997年、また3月に入ったところで中京・ダート2300mの500万下を急に2着に逃げ粘り、中1週で向かった同条件の500万下を逃げ切り勝ち。何? 君は1年間で3月しか走らない馬なの?
もちろん別にそういうわけではなく、続く900万下では芝に戻ると、昇級初戦を2着に逃げ粘り、5月の東京・芝2400mの陣馬特別(900万下)を逃げ切って準OPに昇格。1500万下の昇級初戦は9着に終わり、900万下に降級になってしまったが、降級初戦の函館・芝2600m、松前特別(900万下)を生涯初めての1番人気に応えて逃げ切り、準OPに復帰する。
これで果敢に函館記念(GⅢ)、京都大賞典(GⅡ)と重賞にも挑戦したが、さすがに家賃が高くブービー15着、10頭立て8着。自己条件に戻り京都・芝2400mの高雄ステークス(1600万下)を勝ったが、なぜかそこからぱたっと走らなくなってしまい、同じ1600万下でも14着→9着→14着。6歳となっての万葉ステークス(OP)も11着、久々にダートに戻してみてもブービー15着に終わり、ここで平地に見切りをつけて障害競走に転向することになった。
1998年5月、大江原隆騎手を新たに迎えて障害に転向したメジロファラオ。曲がりなりにも準OPまで勝ち上がった平地力を買われてか転向初戦から2番人気に支持されると、いきなり9馬身差で圧勝。続く障害400万下も10馬身差でレコード圧勝。メジロアンタレスやメジロマスキットなどで障害競走の名門としても知られるメジロ軍団の新たな障害の期待馬となった。
半年休み、11月の平場オープンは8着に敗れたが、陣営は年末の中山大障害(秋)に彼を送り出した。春の覇者ノーザンレインボーが断然人気で、メジロファラオは8頭立ての15.3倍の4番人気とさほど注目されていたわけではなかった。しかしレースは大生垣で1番人気ノーザンレインボーが転倒、落馬。ノーザンレインボーを追っていた2番人気ゴッドスピードが独走する展開となったが、こちらも最終障害前で失速し後退。結局3番手あたりにつけていたビクトリーアップが突き抜けて大差勝ちした後ろで、メジロファラオは終盤ポジションを下げながらも最終直線で盛り返して2着に入った。
明けて7歳となった1999年。この年、障害競走界は大きな変革の時を迎えていた。障害グレード制の導入である。障害重賞にJ-GⅠ~J-GⅢの格付けが導入され、春秋の中山大障害がJ-GⅠに格付け。うち中山大障害(春)は中山グランドジャンプへと改称されることになった。
というわけで中山大障害(春)改め中山GJを目指すことになったメジロファラオと大江原騎手だったが、年明け初戦の中山新春ジャンプステークス(OP)は1番人気に支持されながらまさかの11着撃沈。2月の春麗ジャンプステークス(OP)はゴッドスピードに2秒6も離されて3着。3月のオープンも勝ち馬から4秒近く離された5着に終わる。
この内容では、本番で人気するはずもない。記念すべき第1回中山グランドジャンプ(J-GⅠ)、人気は平地重賞2勝馬のゴッドスピード、前年の中山大障害(秋)覇者ビクトリーアップ、それからゴッドスピードを前走阪神SJで下したファイブポインターの3頭が分け合った。メジロファラオは14.9倍の10頭立て6番人気と、まあ勝ち負け有力とは見られていない評価であった。
桜花賞と同日の中山10レース、雨で不良馬場となったこの年、青嶋達也アナ(!?)が初心者向けにかコース解説を交えつつ実況するレースは、3番人気ファイブポインターが逃げ、メジロファラオは2番手でそれを追走、徐々に3番手以下を離していく。大生垣でファイブポインターが大きく外に膨れ、その隙をついてインを回ったメジロファラオはハナを奪い、後ろを離して逃げる態勢へ突入。ファイブポインターが力尽きて完全に独走となったメジロファラオは、向こう正面の竹柵障害で大江原騎手が少し態勢を崩したがなんとか持ち直し、そのまま先頭で直線へ。不良馬場で全馬ヘロヘロの消耗戦となり、後ろから追いかけてきたのは11歳馬ケイティタイガーぐらい。直線で一度は詰め寄られたものの再び突き放し、最後は6馬身差をつけてゴールへと駆け込んだ。
障害の名門メジロが、記念すべき最初のJ-GⅠタイトルを奪取。大江原騎手は重賞初制覇がJ-GⅠのビッグタイトルとなった。
かくして初代J-GⅠ馬となったメジロファラオだったが、輝きはこの一瞬だけだった。半年休んでオープン4着のあと中山大障害(J-GⅠ)に2番人気で乗りこみ、スタートから逃げを打ってレースを引っぱったものの、最終障害で捕まって沈み7着。JRA賞最優秀障害馬もゴッドスピードに持って行かれてしまった。
翌2000年の春麗ジャンプステークス(OP)8着が最後のレースとなり現役引退。引退の理由は詳らかでないが、おそらくは怪我であろう。通算41戦8勝 [8-3-2-28]。
引退後は乗馬となり、日本大学馬術部で馬術競技馬となったのだが、性格が温厚で小柄だったこともあってその後八王子乗馬倶楽部に引き取られ、同クラブの高尾にある恩方ステイブルという施設で2005年の東京ダービー馬シーチャリオットなどとともに過ごした。
2014年にnetkeiba.comにて八王子乗馬倶楽部での様子を取材した記事が出て以降は特に報道がないが、2019年夏のホースショーに出ていた記録が見つかる。
現在の八王子乗馬倶楽部のサイトには彼の名前はなく、確認できる2022年のホースショーにも名前がない。2022年11月に大江原元騎手が八王子乗馬倶楽部を訪れたと公式Twitterがツイートしているが、そこでも大江原元騎手がメジロファラオと対面したとは書かれていないので、年齢も考えるとメジロファラオは26歳だった2019年から2022年までの間に亡くなったものと思われる。乗馬クラブで長い間大事にされた、幸せな余生であっただろう。
*アレミロード 1983 鹿毛 |
Tom Rolfe 1962 鹿毛 |
Ribot | Tenerani |
Romanella | |||
Pocahontas | Roman | ||
How | |||
Why Me Lord 1974 黒鹿毛 |
Bold Reasoning | Boldnesian | |
Reason to Earn | |||
Tomorrowland | Pappa Fourway | ||
Gleam | |||
メジロストーク 1984 黒鹿毛 FNo.10-d |
*モガミ 1976 青鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer |
Goofed | |||
*ノーラック | Lucky Debonair | ||
No Teasing | |||
メジロナガサキ 1971 栗毛 |
*ネヴァービート | Never Say Die | |
Bride Elect | |||
メジロボサツ | *モンタヴァル | ||
メジロクイン |
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最終更新:2025/01/08(水) 16:00
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