Windows 95とは、Microsoft社が開発した9x系オペレーティングシステムである。内部バージョンはWindows 4.0。
ニコニコ動画でのタグは、スペースを抜いた「Windows95」が多い。
概要
Windows 95はそれまでのWindowsとMS-DOSを組み合わせたような形になっている(ワンセットになったという意味では3.1から変わらない)が、特筆すべきは32ビット命令への本格対応と、スタートボタンからのアプリケーション、機能選択の採用に尽きる(裏にはアップルとのGUIデザインに関する訴訟結果が影響している)。
ただし、根本部分はDOSや16ビット命令のモジュールであるため、Windows NTと比べても信頼性の低さがネックとなっていた(それでもブルースクリーンの頻度は3.1から下がっている)。DOSのみだったユーザーやWindows 95から始めた新規ユーザーにとって、ブルースクリーンはトラウマになっているかも知れない。
コマンドプロンプトに依存しない、純粋なGUI OSである初めてのWindowsという事で、一般ユーザーにパソコンを訴求する大きな原動力となった事は疑いようもないが、厳密に言えばMS-DOS上でWindowsが動いている(普段はMS-DOSを触らなくてもいい、というレベル)。
しかし、TCP/IPなどのネットワーク機能が追加され(3.1時にはネットワーク機能の追加ソフトがあったが、日本未発売)、インターネットの火付け役となったと考えれば、かなり優秀なOSといえよう。実際、日本ではWindows とインターネットはほぼ同時に普及している。
インターフェースにおいても、従来のファイル一覧から選択する方法(Windows 1.0~3.1)や、プログラムマネージャありきの方法(Windows 3.x)から一転し、スタートボタンからすべてのアプリケーション、機能を選べるようになった。 このインターフェースは、タッチパネル主体の操作系となるWindows 8がリリースされるまで、17年間継続して採用された(なおWindows 10で復活した)。
他にも当時としては革新的な機能としてプリエンプティブなマルチタスクが可能となった。
当時のMac OSや前バージョンまでのWindowsは、CPUを占有するタスクを実行すると他のウインドウに切り替えられないという致命的な欠点があったが、Windows95で一般向けOSとしては初めてこれが改善され、「裏で何かを動かす」という事が可能になった。
但し16bitアプリケーションや周辺機器とやりとりするアプリケーションは依然としてOS全体をロックする事があり、3.1以前にあったシステムリソースの不足(メモリーがあるのにメモリー不足が表示される問題)もまだ残されていた。これが解決された家庭向けWindowsは、XPの登場まで待たなければならなかった。
なおUNIX系OSでは遥か以前から常識的な機能である。
ほかにも、機器を接続することで自動的にセットアップを開始する、プラグ・アンド・プレイ[1]、ファイル名8文字+拡張子3文字の制限を撤廃した長いファイル名のサポート[2]および4GBまでのディスクサイズをサポートした新たなファイルシステムFAT32が目玉機能として挙げられていた。
ちなみに95のサポートは2002年で切れているため[3]、95でインターネットを使用するなんて考えないこと!後継のWindows系OSへのアップグレードを強くお勧めする(もっとも、ブラウザーが現在のHTMLを理解できないのでまともに表示できない)。
対応機種
- IBM-PC/AT互換機(DOS/V対応PC)
- NEC PC-9801/PC-9821シリーズ
- EPSON PC-486 / 586シリーズ※メーカー直販のみ、OSR2はリリースされず
- 富士通 FMRシリーズ、FM TOWNS ※メーカー直販のみ、OSR2はリリースされず
PC-9801(と98互換機)は標準ではWindows 95の使用条件(640x480ドット256色表示)を満たさないため、ウィンドウアクセラレータボードの増設が必須である。
1992年にコンパックが超低価格DOS/V機を日本市場に投入したことで、国内PC市場の価格相場が急落し、またDOS/V機の市場シェアが急伸する(一般に「コンパック・ショック」と呼ばれる)。この流れを受けて、富士通とエプソンもWindows 95リリース前にDOS/V機に参入していた。
FM TOWNSはWindows 95発売後もFMV-TOWNS(FM TOWNSの機能を拡張カード化して内蔵したFMV)として延命したが、長続きはしなかった。
エプソンはDOS/V機参入後も98互換機のPC-586を投入したが、好評を得られずBTO販売のエプソンダイレクトに一本化していった。
マイナーバーションアップについて
Windows 95には、OSR(OEM Service Release OEM向けのリリース)と呼ばれるマイナーバージョンアップが存在した。ただしOSR2からはパッケージとして販売されず、プレインストールPC向けのOEM版のみ提供された。
しかし、OSR2および2.1は、大幅な機能拡張が行われたため、PCパーツショップでは主要パーツと一緒に購入するユーザーもいたほどであった。
このことが、のちにDSP版を販売するきっかけとなっている。
- OSR1→初期版にSP1を適応したもの。または、最初からOSR1とつけられたもの。なぜか店頭で売られていた。
- OSR2→OEM販売のみ。バグ改良、HDDのDMA転送(=書き込み速度が速くなる)に対応、非公式だがFAT32に対応。
- OSR2.1→OEM販売のみ。OSR2に加え、AGPバス(=高性能なグラフィックボードを載せられる)、USBに対応。ただ、USBは中途半端な対応で、現在販売されているUSB機器のおよそ1%しか使えないので注意。
- OSR2.5→OEM販売のみ。OSR2.1に加え、Internet Explorer 4.0を統合。もちろん一気に重くなった。
社会的な影響
マイクロソフトはMS-DOSからの完全脱却を目標に、Windows 95の宣伝に多額の費用を投じた。[4]
日本においても、パソコン専門誌だけでなく、一般紙、テレビにも多額の宣伝費用を投じ、テレビ番組でも多く採り上げられるようになった。
また、発売当日の午前0時ジャストに販売するため、秋葉原を始めとする日本各地の店舗でカウントダウンイベントを大々的に行った。この様子もテレビなどで大きく採り上げられている。
実際、その宣伝効果は抜群で、Windows 95をきっかけにパソコンを買う人が多く存在した。中にはお祭り騒ぎを見て販売の行列に並ぶ人や、パソコンを持っていないのにWindows 95のパッケージだけを買った人もいたほどである。
さらに同時の男児の間で絶大な人気を誇っていたミニ四駆のジャパンカップには、おおよそ小学生には無関係かつ無縁であろうにも関わらず『Windows95カップ』なる大会も存在した。この大会ではネオ・トライダガーZMCの先行販売や至る所にMicrosoftのロゴマークが入った会場限定のステッカーが売られたりしていた。
また、企業においてもシステム担当者や経理部署くらいしかなかったパソコンを一般部署にも導入するところも多かった。同時にOffice 95も販売され、プレインストールされたパソコンも多かったことで、ワープロや表計算のシェアを多く手にしていた一太郎とLotus 1-2-3は一気にシェアを奪われる結果となった。
これにより、パソコン教室が全国に設けられ、老若男女問わずパソコンの基礎を学ぶ人がいた(挫折する人も少なくなかった)。
さらにインターネットの普及に合わせ、標準でTCP/IPに対応したことで、多くの企業でLAN、イントラネットも普及し、社内でのメールのやり取り、ファイルサーバやDBサーバを使ったデータの共有も可能となった。
これによって、ネットワークOSとして細々と続いていたNetWareにとどめを刺す結果となった。
いずれにしても、Windows 95が日本のパソコン普及に多大な貢献を果たしたことは否定できないだろう。
関連動画
関連項目
脚注
- *これも一般ユーザーがパソコンを使用する上で無くてはならない機能である。ただし、当時は周辺機器を挿してそのまま動くのはむしろレアケースで、「Plug and Pray (挿して祈れ)」と揶揄された。
- *記号的な命名ではなく、ちゃんと内容と対応したファイル名を日本語で付ける習慣が出来たのもこのOSの功績というか功罪である。なおUNIX系OSでは(ry
- *マイクロソフト、ひっそりとMS-DOS/Windows 3.x/Windows 95のサポートを終幕 (マイナビニュース 2003年)
- *特に、ローリング・ストーンズの「Start Me Up」のCMソングへの使用に300万ドルの使用料を払ったことは話題となった。
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