MS-DOS(またはMSDOS)は、マイクロソフト社が販売していたオペレーティングシステムの名称。広義には他社がライセンスを受けて販売していたものも含む(NEC製PC-98用など)。
概要
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MicroSoft Disk Operating Systemの略で、フロッピーディスク1枚で起動ができるためこの名がつけられた。システムファイルは MSDOS.SYS 、 IO.SYS 、COMMAND.COMの3ファイルからなり、これらさえあればとりあえず起動する事ができた。黒い背景に白い文字の画面が印象的である。これはWindows上のコマンドプロンプトを常に全画面表示しているような状態である。
歴史
1980年、IBMは自社初のパソコンであるIBM-PCを開発していたが、予算などの都合でOSを自社開発する余裕がなかった。当初は8ビットパソコンで標準だった簡易OSのCP/Mをベースにi8086対応のOSを採用すべく、マイクロソフトを通じてデジタルリサーチ社に交渉したが決裂する。
IBMはマイクロソフトに対してIBM PC用のBASICの提供を依頼していたが、FORTRANやCOBOL、Pascalといった他の言語の供給も打診、ここに至ってマイクロソフトはOSも一緒に供給することを決断、開発期間が限られていたので、シアトル・コンピュータ・プロダクツ社のSCP-DOS(SCP社が独自にCP/Mを16ビットに対応させたもの)を買い取ってIBM PC用に仕上げることにした。[1]
こうして「PC DOS」が完成し、IBMへ供給するとともに、互換機メーカー向けにMS-DOSを販売するようになった。
1995年、Windows95が発売されMS-DOSはWindowsと統合された。ユーザの多いアプリケーションがWindowsへ移行し始めるにつれ、MS-DOSは一般用途では徐々に使用されなくなってきた。
Windows 2000およびXPになると、もともとMS-DOSを使わないWindows NTをベースにしたことで、MS-DOSのシステムは完全に消えた。ただし、コマンドプロンプトではMS-DOS用のコマンドが一部残されている。
2012年現在、IBMではPC DOS 2000を販売しているが、サポートは2002年で終了した。
各バージョンについて
バージョン | 実装内容 |
---|---|
1 | CP/Mとほぼ同じ。5インチ1Dディスクに対応。 |
2 | 5インチ2Dディスク、HDDに対応。config.sysによる機能の設定、追加が可能。 |
3 | 5インチ2HD、3.5インチディスクに対応。広く長く普及したバージョン。 |
4 | IBM主導で開発。最大2GBまでのディスク容量に対応するも、メモリーを多く消費するため、日本ではほとんど採用されなかった。 DOSシェルが最初に採用された。 |
5 | Windowsでの利用を前提に考慮された。プロテクトモード、仮想86モードへの対応。 HMAやUMBへドライバーを格納することでユーザー領域を増やすことが可能。 |
6 | バージョン5に、デフラグとディスク圧縮ツールが付属したもの。 ディスク圧縮ツールは、一部著作権の侵害があったため、6.22で新たに作り直された。 |
7 | マイクロソフトはWindows 95/98に組み込んだ。 IBMでは別で開発し、6に開発環境とDOS用ブラウザーを付属させた。 |
2000 | IBMのみ発売。7をベースに、2000年問題への対策とユーロの記号表示に対応させた。 |
日本国内での動向
80年代当時はNECのPC-98シリーズというパソコンが市場を席巻していたが、そのPC-98シリーズ用にもMS-DOS(2.11から6.20まで)を販売もしくはバンドルして出荷されていた。DOS向けのワープロソフトや表計算ソフト、そしてゲームソフト(NECはこれらを「98シリーズの膨大なソフトウェア資産」と呼んでいた)が人々を98シリーズ購入へと導いた。当時の一太郎などはあらかじめMS-DOSをバンドルして(2.11の一部コマンドのみ)出荷されていたために、厳密に言うとOSとアプリケーションが同梱された状態で販売されていたことになる。
また、ハードウェアの違いを吸収するためにOSがあるのだが、当時のアプリケーションが高速に処理するために、MS-DOSを経由せず直接ハードウェアをアクセスしていたため、MS-DOS互換のソフトウェアでもPC98専用のものが多かった。このソフトウェア資産があったため、国内の他メーカ(富士通や日立や日本IBM)のシェアは広がらず寡占状態が続いた(NECの囲い込み戦略もあった)。
1991年、日本IBMがソフトウェアで日本語処理を扱えるようにしたPC-DOS/Vを開発、PCオープンアーキテクチャー推進協議会(OADG)を立ち上げ、PC互換機の普及を目指した。当時シェア2位だった富士通は独自PCのFM-Rシリーズを早々に切り捨て、PC互換機のFM-Vを発売、NEC以外の他社も多くが追随した。コンパックが低価格PCを国内へ投入したり、また自作PC市場も立ち上がり始めたため、NECはシェアを落とすことになった。
1993年、日本語版Windows3.1が登場し、アプリケーションがハードウェアをアクセスしなくて済むようになり、そのためWindows3.1以降はPC-98ではなくてもアプリケーションの共用化が図れるようになった(一部のソフトはPC-98では動かない、またはPC-98でのみ動くものもあった)。
互換OS
関連項目
A:\>dir /w
Windows Microsoft Cygwin ソフトウェアの一覧 DOSエクステンダ コマンドプロンプト
脚注
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