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私は『チ。―地球の運動について―』をアニメで一気に観ました。 そのうえで、自分なりの解釈が正しいのか確認したく、また他の人の解釈も知りたいと思っています。特に、終盤に再び登場する「ラファウ」についての部分です。 私の解釈では、終盤に登場するラファウは、序盤に登場したラファウとは別人だと考えています。ただし、同じ「地動説」という思想を受け継ぐ人物であり、精神的な系譜に連なっている存在だと思います。 物語の第1章から第3章までは、ラファウ、オクジー、ドゥラカという三人の主人公を中心に、それぞれが地動説を広めようと行動します。しかし、彼らは異端として弾圧され、彼らの地動説は途絶えてしまいます。 ところが第4章では、家庭教師ラファウが少年アルベルトに「タウマゼイン(驚きから始まる探究心)」を教えます。その後、アルベルトがヨレンタのポトツキ宛の手紙を耳にしたことをきっかけに、再び「地動説」という思想が蘇り、最終的にコペルニクスによって証明されます。つまり、第1〜3章で積み重ねられた人々の努力は、決して無駄ではなかったということです。 ただ、この解釈では「P王国」と「ポーランド王国」の違いを説明できません。ここから、物語全体を「マルチバース(多元世界)」として読む解釈も確かに成り立ちます。しかし、私はそれを単純にマルチバースの話として片づけてしまうのはもったいないと思います。 もし仮にこの物語をマルチバースだとするなら「マルチバースなんて非現実的だ」と思い込む現代の私たちの視点こそが、かつて「地動説なんてありえない」と否定された過去の人々と重なるのではないか。作者は、私たちが“真実を信じる力”や“常識を疑う視点”を失ってはいけないと伝えたかったのではないか、そう感じました。
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