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よく色んなこと考える人、哲学チックなのが好きと言うのでしょうかそういう方に質問です。 拙い語彙で伝わるように頑張ります。 先日、友と遊んでいました。

哲学、倫理134閲覧

回答(8件)

ブルーハーツの甲本ヒロトさんの名言に似ている気がします。素敵でした。 そして学校に行くのがしんどい子に向けて、 居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。友達なんていなくて当たり前なんだから。友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。 私は電車は目的地まで行ければいい。行けなくても途中下車でも楽しめる、たまたま乗り合わせした人とはその時々でしかないと思ってて物凄く共感しました。

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人は孤独ではないでしょうか。 人は一人では生きられないというのも真ですけど、私は一人しかおらず、その時々で伴走者はいるとしても来ては去るものです。 私の人生を生きるのは私だけ。 私は宇宙的に孤独だと感じます。 あなたもそれを感じたんじゃないかな。 私は一人でどこまでも行くようになった頃、大人になったと感じました。 自分しか頼るものがないっていうのかな、心細さと自分に対する心強さを同時に感じました。 あなたも大人になったんじゃないですか。

なるほど、その時あなたにとって電車は何か組織的なものの比喩として映ったんですね。皮肉抜きで、なかなかいいポエジーだと思います。 おっしゃる通り、私たちの生涯は、組織の「乗り継ぎ」なのかもしれませんね。学校の同級生、職場の同僚、町内会のご近所さんも、同じ「列車」に偶然乗り合わせただけの人。そのなかで親しくなっていく人もいるし、反りが合わずに離れていく人もいる。みんなそれぞれ目的の場所で降りていくし、時には間違った列車に乗り込んでしまうこともあるかもしれません。 ところで、「単に乗り合わせただけの人」という考えは、厳密に全ての他者に対して当てはまるのでしょうか? 例えば家族はどうでしょうか。あなたは質問文の例のなかに家族を挙げていませんでしたが、もし考えるとしたら、同じように乗り合わせただけの人として扱うことができるでしょうか?それとも他に何か特別なポジションを設けますか?恐らく、より哲学的なのは前者です。ひとつのアイデアを限界まで徹底すること。哲学的に考えるというのはこういうことなのです。 もちろん、これはあくまでもあなたの随想ですから、例えば「家族だけは特別だ」という常識・良識的な結論に落ち着いてもいいと思います。しかし、常識から外れたところまで考え抜いてみることによって、単なる随想に哲学的な強度を与えることができるのです。