ヒトには宗教を受け入れる先天的な素地があるという説はありますよ。それによれば宗教の進化的意義は
1.宗教を信じること自体が適応である説(理解を超える自然現象などに擬人的な説明を与えた方が、上手くやっていけた)
2.子供の学習能力という適応的な形質に幼児洗礼などで便乗したタチの悪い疫病説。(進化の副産物説)
がありますね。これは歴史の話になってしまうかな。
直接の問題としては、宗教はカンタン、自然科学は難しいと言う点が大きいと思います。科学的な知識の蓄積が増えたとは言っても、人の脳みそは変わっていない。宗教はさすがに歴史が古いだけあって、無学な人に作り話を信じ込ませるレトリックを多く持っています。端的でわかりやすく、耳障りがよい。自然科学はそうではない。努力をしなければ理解できないし、努力をしても完全に理解することはむずかしい。しかも必ずしも耳障りが良いわけではない。誰だって、良い行いをしようが悪い行いをしようが死ねば無になるという説よりも、良い行いをすればあの世で処女を抱きまくれる(or死んだおばあさんに会えるorおいしい食べ物がたくさん)という説の方が受け入れやすいですよね。そして誰だって子供の頃は無学なのだから、自然科学よりも宗教の方が受け入れられやすいのは道理。とは言っても、どんなに信心深い人でも宗教の教えを完全に受け入れているわけではなくて、ある程度現実と折り合いをつけているでしょう。進化論や宇宙論は理解していようがしていまいがそれほど現実と齟齬をきたすわけではないから、否定する人が(地球球体説を否定する人などとくらべて)割合目立つのではないでしょうか。
ところで私は科学が説明できないところを宗教が担当しているという説には反対ですね。そもそも科学を受け入れている人は、科学が上手く事象を説明できるから宗教よりも優先的に受け入れるわけですよね。そういう分別を持った人が、科学では説明できないという理由だけで、合理主義でも根拠主義でも客観主義でもない全く異なる理論体系の説明を受け入れるでしょうかね。一方宗教と科学を厳密に区別しない人にとっては、宗教が科学の範囲外のみを担当するなんて納得できないでしょう。