大谷翔平の「悲願」って何か違和感ないですか? 彼の人生は順調すぎて悲壮感が全くないので、 私の感覚だと「念願」の方が良いような気がしますが… よろしくお願いします。 大谷翔平、また成し遂げる史上初 悲願の世界一でほぼ確定、“4つの偉業”同時達成 https://news.yahoo.co.jp/articles/299c9dbbc5948737063a362eff7b6b2c3ff2cf07
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「悲願」を『日本国語大辞典』で引くと、次のように書かれています。 ①仏語。仏菩薩が大慈悲から発する誓願。阿彌陀仏の四十八願、薬師如来の十二願などの類。 ② ( ━する ) どうしても果たしたいと願うこと。また、そのような悲壮な願い。 とあります。 「悲願」の「悲」とは本来「一人も漏らすことなく衆生を救う」という仏の慈悲のことであり、「悲壮感」とは関係なかったはずなのですが、現在では②のように「悲壮な願い」という意味でも用いられています。 ご質問の「悲願」は明らかに②の方ですね。 >彼の人生は順調すぎて悲壮感が全くないので、 一応、怪我の影響で甲子園において1勝も出来ていないという挫折は味わっています(0勝2敗)。日本人プロ野球選手の最高峰にしては意外な経歴と言えましょう。まぁそれを言うならイチローだって0勝2敗ですけどね。 MLBに憧れて海を渡り、エンゼルスで6年。その間一度もワールドシリーズどころかプレーオフにも縁がなかった大谷が満を持して強豪ドジャースに移籍し、自身の活躍と強い仲間たちの力でやっと掴んだチャンピオンリング。やはりこれは大谷選手にとって②の意味の「悲願」(どうしても果たしたい願い)だったのではないかと思います。「念願」では望みとして軽いでしょう。
私達にはわかりませんよ。 大谷選手はきっと学生時代から色んな壁にぶつかってそのたびに努力で乗り越えてきたのだと思いますよ。 だから彼の人生が順調かどうかは私達凡人にはわかりかねます。
ご本人が「悲願でした」と言ってるなら「ああそう」だけですが、マスコミが言ってるだけなら「勝手に悲願にするなよ」と思います。 競馬の世界でも、競馬関係者は毎年「勝ちたいですねー」「もちろん勝つ気で臨みます」と言ってるだけなのに、マスコミは「日本馬悲願の凱旋門賞勝利 今年もならず」と書き続けています。 他のスポーツでも勝手に悲願悲願言ってるんじゃないでしょうか。 一時多かった「号泣」に似たものを感じます。
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