ナチスは「良いこと」もしたのか?をガチ検証した結果。紀伊國屋じんぶん大賞に選ばれた理由を考察した

文芸・カルチャー

公開日:2024/1/23

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?
検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也、田野大輔/岩波書店)

 2023年12月15日に発表された「紀伊國屋じんぶん大賞2024 読者と選ぶ人文書ベスト30」。大賞に選ばれたのは『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也、田野大輔/岩波書店)だった。

 読者の選ぶ「2023年のベストの人文書」が、もう100年近くも前になるナチス・ドイツの政策を検証した本……というのは、いささか奇妙に感じる人もいるだろう。だが実際に読んでみると、この本は「いま読むことに大きな意味がある本」だと感じたし、「人文書の矜持と歴史の専門家の責任を示した本」にも感じられた。

 そもそも本書が執筆された背景は、インターネット上で「ナチスは良いこともした」と声高に主張する人が増えていたことにある。

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 著者のひとりの田野大輔氏がそうしたTwitter(現・X)の投稿の一つに、「30年くらいナチスを研究してるけどナチスの政策で肯定できるとこないっすよ」とツイートしたところ、膨大な数の批判が寄せられて「炎上」状態になった……ということも2021年にあったそうだ。

 なお、「ナチスがした良いこと」としてよく挙げられるのは、「アウトバーンの建設」「失業率を低下させた」「有給休暇を拡充した」「禁煙政策を進めた」「先進的な環境政策をとった」「手厚い育児支援を行った」などなどだ。

 本書はこうした一つ一つの「ナチスがしたとされる良いこと」について、歴史的な確かな事実と、そうした事実をもとに歴史研究者が積み重ねてきた膨大な解釈=知見をもとに、丁寧に検証していく。

 なお著者は冒頭の「はじめに」で、歴史的事象について議論する際には「事実」「解釈」「意見」という3つの層があることを指摘。「〈事実〉から〈意見〉へと飛躍することの危うさ」に触れたうえで、「〈意見〉をもつことはもちろん自由ではあるが、それはつねに〈事実〉を踏まえた上で、〈解釈〉もある程度はおさえたものでなくてはならない」と書いている。

 こうした文章から思い起こされるのは、やたらとディベートに強い“ネット論客”と呼ばれる人々の意見が影響力を強め、専門家の知見がないがしろにされている、この社会の現状だ。

一見「良い政策」の背後にある排除と包摂のメカニズム

 そして本書は「ナチスがしたとされる良いこと」について個別に検証を行っていくが、キーワードとなっているのが「包摂」と「排除」だ。

 というのも、ナチスの政策の恩恵を受けたのは、「アーリア人で健康な、業績能力のあるドイツ人の民族同胞」であり、それ以外の人は法を奪われ、排除され、追放され、生殖を阻まれることもあったからだ。

 たとえばナチスは動物の虐待を厳しく禁じる法律を制定しているが、周知の通りユダヤ人などに対しては組織的な絶滅政策・大量虐殺を行っている。そもそも動物保護政策の中核にあった「屠殺の規制」も、ユダヤ教の屠殺手法を「非道な行為」とするための反ユダヤ主義政策の一種だったという。

 またアウトバーンの建設などを含めて、ナチスの発案とされる政策は、そもそもオリジナルなものではない場合が大半だったことも本書は指摘する(前政権の政策を引き継いだものも多かった)。経済回復の背後に「異常な規模の軍備拡張」「占領地からの収奪」「ユダヤ人からの収奪」「外国人労働者の強制労働」などがあったことも詳細に論じられている。

 ジェンダーの観点からナチスの政策を解釈する記述もあった。たとえばナチスの手厚い家族支援策について、「男性は外で働き、女性は家事や子育てに専念する」という「伝統的」家族観への復帰を狙うものだった……という指摘は非常に興味深い。またパレードに歓喜する女性たちの映像が「ナチスによる熱狂」の演出に利用されたことについて、「感情のジェンダー化」のメカニズムを指摘する研究者もいるという。

 ……といった形で本書を読んでいくと、「30年くらいナチスを研究してるけどナチスの政策で肯定できるとこないっすよ」という著者のツイートが深く理解できるのだ。

 そして、SNSの短い投稿で「はい論破」と終わらせるのではなく、歴史研究の蓄積を土台に1冊の本で丁寧に反論を行い、「この時代に歴史の専門家が果たすべき役割」を背負って本書が書かれている点に、筆者は強い感銘を受けた。こうした点が「紀伊國屋じんぶん大賞2024」に選ばれた大きな理由だろう。

 また、特定の属性の人々を差別・排除しているにもかかわらず、メディアを支配して自分たちの良い面ばかりを喧伝する……というナチスの手法は、2024年という今の時代を生きている筆者もリアルな恐怖を感じるものだった。本書のあとがきに書かれた「反ポリコレ」と「ナチス政策の肯定」の関係なども、日本のネット社会を読み解く上で非常に勉強になるものだったので、ぜひ一読することをお勧めしたい。

文=古澤誠一郎

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