ル・コルビュジエ
、1979年、252ページ
ISBN=430605148X
[批評]
...き着彩のイメージ)錯乱の白 こうした謎は『東方への旅』においてすでにはっきりしていた。ル・コル... ...まさにその瞬間に漂泊してしまうのである。『東方への旅』は将来の建築家の感覚的な説明を「熱病」...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[批評]
...スイスへ帰国した後、ジャンヌレは、やがて「東方への旅」へ出発することになる。この旅行では、現... ...ツへの旅──一九一○年 ミメーシスの変容 「東方への旅」の端緒は、レ=プラトニエが提案したドイツ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.113-122
[批評]
...まだシャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)が東方への旅で同行していたオーギュスト・クリプシュタ... ...るわけではない。一方でル・コルビュジエは『東方への旅』のなかで、よく知られた、しかし同時に謎...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170
[論考]
...歳のジャンヌレが企画しながら放置した著作『東方への旅』であった。 後記 最後に、誤解を防ぐため... ...ルビュジエの死後の一九六六年に出版される『東方への旅』の「モスク」と「ル・パルテノン」の章の...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[論考]
...デュ・カンは、途中までフローベールを連れて東方への旅を行ない、一二五枚の写真を添付した高価な... ...〇八年から写真を撮りはじめていた。有名な『東方への旅』では、三〇〇点のデッサンを描いたのに対...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[論考]
建築は基礎(基壇)でしっかり地面にインプラントされて身動きできない存在だから、何らかの手だてで代理的イメージを制作して流通させないことには、より広い世界を獲得す...かせて撮ったショット(ル・コルビュジエの『東方への旅』の際のスナップを想起されたい)は多くの...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[論考]
一九七九年に王立英国建築家協会で行なわれた「現在の都市の苦境」と題する講演において、〈近代建築の破滅〉について語るコーリン・ロウは、それをひとつの寓話の形として...喪失のメタファーになったことを指摘する。『東方への旅』に「スタンブールの災禍」として陰鬱な筆...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.100-107
[批評]
ル・コルビュジエはその長い経歴をつらぬいて、イスラムの建築と都市形態とに魅了されつづけていた。生涯にわたるこの関心が最初に力強く宣言されるのは、一九一一年、「オ...T Press, 1987) [邦訳『ル・コルビュジエの手帖 東方への旅』(中村貴志+松政貞治訳、同朋舎、一九八...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.200-217
[批評]
『ラ・ロッシュのアルバム』は、ル・コルビュジエの『全作品集』の一部であるともいわれている★一。実際それは、『全作品集』と同じような装丁であり、サイズも横長の長方...前衛的な建築家たちとひととおり接触した後、東方への旅を終え、アグレッシヴに社会に働きかけるべ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.123-128
[批評]
画家ル・コルビュジエ 「オトゥーユの(忍耐強い研究にあてた)私の私的なアトリエは誰にも開かなかった。私はそこに一人いた。私は決して絵画を『説明』しなかった。絵画...た彼の絵画の意義を問う理由はここにある。「東方への旅」に示されるような優れて実存的な経験とこ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.129-137
[批評]
「ヴィラ・スタイン─ド・モンジー」(以下スタイン邸と省略)は、ル・コルビュジエがキャリアの初期の段階で、自身のスタイルを探し求めていた時期に、ついに結実したプロ...的意図、近代性に対するヴィジョン、そして「東方への旅」を求めるために、多様な敷地条件・予算・...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.198-199