3.0日本映画界では鬼才や天才は、監督の技量のなさを弁解する言葉になっている。 とりわけマーケティングにおいてはぜんぜんダメな映画さえも鬼才(or天才)などと喧伝される。 鬼才や天才と定義しておけば、観衆にウケなくても、興行にしっぱいしても、おともだちの旬報にしか褒められなくても、また、たとえつたないだけでも「鬼才(or天才)なので解る人にしか解らない」と弁解することができるからだ。 で、いつのまにか日本映画界は“鬼才”と“天才”だらけになった。 したがって今や鬼才や天才が本来持っている意味にズレが生じているが、鬼才とはがんらい一風変わったorエキセントリックな作風に与えられる冠だった。 本作…