日本フェンシング界のホープとして、現在は慶應義塾大学経済学部に通いながら剣を持つ。オリンピックが開催される2016年、日本代表を目指して1月から海外での試合が続く。
宮脇選手にフェンシングとの出会い、競技の魅力、オリンピックへの想いなどを聞いた。
宮脇花綸選手
---:5歳からフェンシングを始めたそうですが、きっかけは何ですか?
宮脇花綸選手(以下、敬称略):5歳上の姉とふたり姉妹なのですが、姉が小学1年生のときに「剣道をやりたい」と言い始めて。でも家の近くに剣道ができるところがなかった。母が「フェンシングだったら西洋の剣道みたいなものだからいいんじゃない?」と、家から5分くらいのフェンシングスクールを探してきました。
姉が最初に始めて、(母と一緒に)その送り迎えをしているうちに、気づいたら剣を握っていた感じですね。
----:フェンシング以外に何かスポーツはしましたか?
宮脇:幼稚園はサッカー、小学校低学年は水泳、小学校高学年で乗馬をやっていたので、フェンシングは習い事のひとつでした。
小学4年のときに(フェンシングに)熱血な先輩がいて、全国大会優勝を目指すために少人数をピックアップして教える"虎の穴"(※)みたいなのがあって。そのときに初めて1位になって、「趣味」から「特技」に、自分のなかで「これがスゴいぞ」っていうものに昇格しました。
中学生になったときにはフェンシング1本に絞っていましたね。
※:プロレス漫画の名作『タイガーマスク』に登場するプロレスラー養成期間のこと
2014年南京ユースオリンピックの宮脇選手(右)
---:2015年を振り返って、どんな1年でしたか?
宮脇:リオオリンピックに向けて大事な年だったのですが、シニアの大会では思うような結果が残せず、内容としても満足いくものではなかった。フェンシングにどう取り組んでいくか悩んだ大変な1年でした。
今までコーチに教えられるままとか、言われたことを反映して練習に取り組んできたのですが、世界選手権で予選をあがれなかったときに考え直しました。自分がどうやりたいとか、自分が一番自分自身をわかるので「どこが悪い」とか、コーチからもらった意見も一緒に考えて、やっとアスリートらしくなったんじゃないかと思います。
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