『概念分析の社会学』を巡って:科学史ゼミに参加している人類学・社会学専攻の院生さんへのお返事 1/2

駒場の科学史ゼミで『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学』をとりあげていただいたようです。

イアン・ハッキング「人々を作り上げる」/『概念分析の社会学』を読む - Togetter イアン・ハッキング「人々を作り上げる」/『概念分析の社会学』を読む - Togetter イアン・ハッキング「人々を作り上げる」/『概念分析の社会学』を読む - Togetter このエントリーをはてなブックマークに追加

  • ハッキング面白すぎるでしょ。これたぶんwriting cultureの議論の根底にある哲学だわ。この考え方はかなりしっくりくる。
    そんで前読んだ要約があんまりにも社会学社会学し過ぎてたのが、僕の肌にあわなかった原因と判明した。

    Colonel_John2nd
    2012/07/03 14:02:41
  • ハッキングの社会学社会学した解釈は、残念ながら今の知識レベルの僕の肌にはあいませんでしたー!
    でもハッキングの文章は面白く感じたから、どっかでわかりあえる線があるかもしれませんね。

    Colonel_John2nd
    2012/07/03 23:51:06
  • @Colonel_John2nd 僕もせとやまさんの社会学像は社会学内部のそれと異なるとは思いましたが、人類学から「社会学社会学」して見えるのも一面の真理を捉えてるんだろうと思いましたよ。
    僕の誤読と同様、ハッキングの目的2から方法論を抽出した結果、目的3が欠落したってことでは?

    graycells
    2012/07/04 08:31:08
  • @graycells 僕が人類学者なのか怪しいところもあるので、一般化はできませんが、認知集団の分類として専門/一般を(実際はやむなくなのですが)採用する点に、現代社会だけを対象とする特殊性を感じたのだと思います。
    ハッキングについては、ご指摘の通り、第三の目的の読み落としです。

    Colonel_John2nd
    2012/07/04 8:49
  • @Colonel_John2nd なるほど!前者は社会学の特徴なのかわかりませんが、僕もそこには違和感を持っていました。その区別から出発点すると何が言えなくなるのかを明示したいですね。

    graycells
    2012/07/04 09:01:23

どうもありがとうございます。


ツイッターでは、右にピックアップしたような感じで なかなかに苛烈なコメント*をいただいております。
が、ゼミ仲間どうしの気楽なやりとりということもありましょうし、以下では 個別の論点の いちいちを検討するのではなく、本書の議論全体-と-いただいたコメントの双方にかかわる基本的なことで、かつ、本書の ほかの読者にも役に立ちそうな二点に絞って、簡単な確認をしておくことにします。
以下のコメントを踏まえて再考していただいた上で、「それでも やはり見解は変わらない」ということであれば、また改めて異論・反論などお寄せいただければと思います。

* ここで、ハッキングの論文というのは「人々を作り上げる」(1986)、「前読んだ要約」と呼ばれているのは『概念分析の社会学』の「ナビゲーション」のことでしょう。
なお、ハッキング「人々を作り上げる」の「三つの目的」は、こちらに引用しておきました:


このエントリでは、まず一つ目を。

1. 相互作用類/ループ効果/類の制作/人々の制作

次のやりとりについて。

【graycells 1】
[…]『概念分析の社会学』で重視された「ループ効果」は目的2に強く関係すると私は思いました。それに対し、「人々を作り上げる」という論文の力点は目的3にあると私は思いました。これは「種類」自体の発明(p.120下段)の問題であり、「主体化」の問題と言いかえてもいいと私は思います。
目的3の問題は「ループ効果」によっても扱うことが可能ですが、力点が若干異なると私は考えます。あえて図式化すれば、目的3は近代社会(当該論文においては18世紀以降かもしれませんが)の特性(=主体化)を明らかにするということに力点があるのに対し、目的2(や「ループ効果」)はそのことを特に問題化せず「作り上げる」メカニズムを読み解くものという点に力点があると思います。[…](2012/07/06 02:55)
【酒井1】
すべての「ループ効果」が、ハッキングが殊更に「人々を作り上げる」と呼んだ事柄や フーコーが殊更に「assujettissement」と呼んだ事柄に関わるとはいえない。──ここまでは見解が一致するものと想像します。(2012/07/06 13:28:34)
では逆に、「人々を作り上げる」とか「assujettissement」といった事柄を、「ループ効果」を勘案せずに・経験的に研究できると思いますか?[…](2012/07/06 13:28:49)
【graycells 2】
それは「主体化」や「人々を作り上げる」が何を指しているかに依存すると思うので、一概には言えないと思います。 (2012/07/06 13:34:53)
【酒井2】
「一概に」語っていただく必要はなく、これ http://t.co/M8nrM5xg を書いたときに想定していた範囲のことで結構です。 (2012/07/06 13:48:12)
【graycells 3】[…]
3)主体化とループ効果
むしろそこでの問題は、主体化の方にあるのではなく、ループ効果の方にあります。誰がどのようなことを「主体化」と呼ぶかが私には概観不能であり、主体化を何と捉えるかとは半ば独立にtwitlongerを書いたので。ループ効果は「専門的概念/日常的概念」を区別することで言えることですが、その区別が一般的に妥当するとは考えません。[…](2012/07/06 14:35:57)


この返答【graycells 3】 をみて、私の質問【酒井1】の仕方がよくなかったことに気がつきました。
以下訂正します(→★)。


まず、簡単に術語の確認をしておきましょう。
「ループ効果(looping effect)」と「人々の制作(making up people)」のミニマムな規定は次のようなものでした:

  • 【1a】 人々を分類するカテゴリーが、そのカテゴリーで分類される当の(or その周囲の)人たち自身によって用いられる*──というループを引き起こす──可能性を持つとき
    • 【1a1】 そのようなカテゴリーを「人工類(human kinds) 〜 相互作用類(interactive kinds)」などと呼び、
    • 【1a2】 そのようなカテゴリー使用によって生じる効果を「ループ効果」と呼ぶ。
      特に、
  • 【2a】 「それまでに無かった[or そのような仕方では利用されていなかった]カテゴリーが用いられること──「類の制作(kind-making)」──により、それまでになかった人間集団が生じること」を、「人々の制作」と呼ぶ。
* 「用いる」には、変型や拒絶なども含みます。

 したがって、「人々の制作」は、ルーピングによって生じる さまざまな効果 のうちの一つ──その意味で、「ループ効果」の下位概念──だと言えるでしょう。そして、【酒井1】をツイートしたときに私が念頭においていたのは この規定【1a】【2a】 でした。

2. 広い意味でのループ効果と狭い意味でのループ効果

 ところで/ところが、ハッキングが──そして、それに(も)倣って『概念分析の社会学』が──実際に研究を進める際に、特に際立たせて主題化したのは、

  • 【1b】人間に関わる科学によって提供される 人々を分類するカテゴリーを、そのカテゴリーで分類される当の(or その周囲の)人たち自身が用いること(によって生じる効果)
  • 【2b】そうした、それまでに無かった[or 利用されていなかった]専門的なカテゴリーが用いられることにより、それまでになかった人間集団が生じること

でした。そしてまた私たちが『概念分析の社会学』の「ナビゲーション」で、「ループ効果」という言葉を紹介した時も、たとえば次のように書いたわけです:

【引用C1】

  • 人々の分類・記述に用いることができる専門的な知識や概念や方法が日常生活に提供され,
  • 分類・記述された当の人々によって,それらの分類・記述が,引き受けられたり・拒絶されたり・書き直されたりする
    といった現象のことを指す言葉

(『概念分析の社会学』 「ナビゲーション2」)


 こうした紹介の仕方を見れば、「ループ効果」を「狭い意味」【1b】の線で理解するのは当然ですし、【酒井1】に対して、

  • 【graycells 3】 ループ効果は「専門的概念/日常的概念」を区別することで言えること

と返答するのもおかしくありません。

(★)したがって【酒井1】は一旦撤回し、このエントリ全体を使って・別のかたちで述べ直します。

そのことを認めた上で。

3. 「人々の制作」の見落とし?

以上のことを踏まえて、【graycells 1】に戻ってみましょう:

【graycells 1】
[…]『概念分析の社会学』で重視された「ループ効果」は目的2に強く関係すると私は思いました。それに対し、「人々を作り上げる」という論文の力点は目的3にあると私は思いました。これは「種類」自体の発明(p.120下段)の問題であり、「主体化」の問題と言いかえてもいいと私は思います。
目的3の問題は「ループ効果」によっても扱うことが可能ですが、力点が若干異なると私は考えます。あえて図式化すれば、目的3は近代社会(当該論文においては18世紀以降かもしれませんが)の特性(=主体化)を明らかにするということに力点があるのに対し、目的2(や「ループ効果」)はそのことを特に問題化せず「作り上げる」メカニズムを読み解くものという点に力点があると思います。[…](2012/07/06 02:55)

ちなみに、ここにあるように、「類の制作」を「「主体化」の問題だと言いかえ」たのは @graycellsさん自身でしたので、この点について敷衍していただきたかったのですが。まぁ今は措いておきます。

「ループ効果」を専門性のあるものに限って使った【1b】-【2b】の範囲内だけで考えたとしても、【graycells 1】は まったく正しくない、ということまでは言えます。


すでに記した規定を踏まえるならば、【1b】-【2b】の間には次のような関係があります。

  • 「ループ効果」が生じているからといって「類の制作」が生じている(=新しい種類が登場した)とは限らないし、
  • 「類の制作」が生じているからといって「人々の制作」が生じている(=新しい人間集団が登場した)とは限らないが、
  • 「人々の制作」が生じているならば「類の制作」も「ループ効果」も生じている。

 ハッキングが「類の制作」「人々の制作」について語るときも、「相互作用類」や「ループ効果」との上記のような関係のもとで語っているわけですから、

  • 目的3の問題は「ループ効果」によっても扱うことが可能ですが、力点が若干異なる

などということは言えません。

念のために述べておくと、私はここで、「ハッキングと『概念分析の社会学』には、力点の違いなど存在しない」と述べているわけではありません。そうではなく、「上記のようなところに違いを探すのは間違っている」と述べているだけです。
ところで、もう一つ 念のために注記しておくと。「狭い意味でのループ効果【1b】」と「広い意味での人々の制作【2a】」をセットで取り上げてなしうる──ハッキングも『概念分析の社会学』の著者たちも認めるだろう──主張には、
  • 広い意味での人々の制作【2a】 は人間に関わる科学によって提供される専門的な概念によってのみ生じる(【1b】)とは限らない
という(トリヴィアルに正しい)ものがありえます。が、上の引用文【graycells 1】がそれを含意しているとは読めませんから、ここでは そのことは勘案しなくてよいでしょう。

4. 専門性?

もう一歩進みます。
次の問題は、『概念分析の社会学』が、

  • 「【2a】人間に関わる科学によって提出された専門的な概念によって引き起こされる人々の制作」だけしか扱えない

ような議論の組み立て方になっているかどうか、ということですが、この点についても、「否」と応えたいと思います。
というのも、私たちは、次のような仕方でこの言葉を導入しているのですから:

【引用C2】

[…] 本書の各章の記述には,一つのはっきりしたねらいがあります。それは,私たちが自らのあり方や自らの経験や行為を理解するさいに用いている概念の,その用法を記述しよう,というものです。だから,本書に登場するトピックの多様さは,私たちが実際に使っている概念の用法が多様であることを示しているのです。

実際に、私たちは,自らのあり方や自らの経験や行為を理解しようとする際に,さまざまな概念を用います。その中には,日常的で身近に感じられるものもあれば,医学や法学の概念のように,高い専門性を帯びているように感じられるものもあります。[…]

 そして本書ではとりわけ,人間を対象とする諸科学において,新しい概念が用いられるようになる場合をとりあげて,考察しています。そうした新しい概念は,私たちの経験や行為の理解の仕方を変えてしまうことがあります。科学哲学者の I. ハッキングはこうした現象に照準するために,「ループ効果(looping effect)」(Hacking 1995=1998; 1996)という言葉を用いています。ハッキングがこの言葉を用いるのは,人間科学の概念と,その概念によって記述される人々との間で相互作用がおこることに目を引こうとしているからです。

(『概念分析の社会学』 「ナビゲーション1」)

一方で。ハッキングが人間に関わる科学の専門的なカテゴリーをめぐる現象を殊更に取り上げたのは、

  • 実際に、人間に関わる科学が日々「新しい分類」を提供しており、
  • それが「人間に関わる」ものであるがゆえに、ループ効果が実際に生じやすく、
  • したがって「類の制作」(というハッキングにとっての端緒的な哲学的課題)に関する研究をする際には、その局面に注目することが好便だったから*

でしょう。

* みなさんには『概念分析の社会学』あとがきは読んでいただけなかったようですが、そこでも注意を引いておいたように、こうした事情は『何が社会的に構成されるのか』(1999→2006)の、たとえば5章「種類の制作――児童虐待の場合」に記されています。一連の「人々の制作」シリーズの仕事において、ハッキングが──とあるエスノメソドロジストの提案(教唆?)を受けて──一番最初に手をつけたのは「児童虐待」でした。なお、5章については、部分的な引用がこのあたりに置いてあります:

そして実際に、しばしばその局面で「分類される人々」にとっての あれこれの切実な事柄が生じる──それゆえに社会学研究者の関心もひく──からこそ、『概念分析の社会学』の著者たちも、ハッキングにならって「人間に関わる科学が提供するカテゴリーが引き起こす現象」に焦点をあてた論文集を編むことにもなったわけです。


他方で。そうした事柄を扱おうとする研究は、さまざまなカテゴリーの自己適用を

  • それが「専門的」であるか否かにかかわらず
  • それが「人々を作りだす」ような──つまり「(当該の時代・社会にとって)新しい」「成功した」──もの(ex.「遁走」「多重人格」「職業婦人」)であるのか、
    それとも、そうではない「ありふれた・なじみの」もの(ex.「ギャルソン」「有権者」)であるのかにかかわらず*

扱えるのでなければなりません。

* 当然ながら、ここに挙げた例だけからもすぐわかるように、どの時代・どの社会における どのカテゴリーを取り上げるかによって、それが「新しい」か「なじみの」ものであるかは変わります(常識的に考えて)。


というわけで。みなさんに、

  • 『概念分析の社会学』は「ループ効果」には注目しているが、「類の制作」・「人々の制作」は見落としている
    とか、
  • 『概念分析の社会学』は、人間集団の分類として〈専門/一般〉といった一般的には妥当しない区別を採用している

といった印象が生じたのだとしたら、それは、研究上のこのような事情を

つまり、
  • 「人々の制作」が生じる場合だけではなく、
  • 「人々の制作」が生じない場合も
  • 「類の制作」が生じない場合も、
「相互作用類」・「ループ効果」というトピックのもとで、おなじ権利で扱っている、という事情を、また、
  • 「専門的である」ものであろうが「ない」ものであろうが、どちらもおなじやりかたで扱っている、
という事情を

読み落としたからなのではないか、と想像する次第です。



以上で、【graycells 1】については返答することができたと思います。
次エントリでは、【graycells 3】と @Colonel_John2nd さんのツイートについて検討してみることにします。