伊集院光のエッセイで最も恐ろしい一文
伊集院光のエッセイ「のはなし」は傑作だと思う。伊集院の独特の価値観や、人の数倍はおもしろい経験をしながら育って来た人生などが如実に記されていてとてもおもしろい。その中でも読み返すたびに背筋がぞっとするような一節があって、いつもそこを読むたびにページをめくるのを止めて考え込んでしまう。
その一節は「乗り越したっの話」の冒頭部分だ。この話は中学生の頃の伊集院家(田中家)の食卓で「真面目な中年のサラリーマンが何の前触れも無く失踪するというケースが増えている」というニュースについて家族のそれぞれが話しているというものだ。「家族は困るだろうね」だとか「会社にうんざりしていたんじゃないの」だとか「急に人生とは何かと考えるようなことに出会ったかもしれない」だとかそれぞれ言い合っているのだが、そこでいつも寡黙な父が言うのだ。
その時、そのやりとりを興味がない様子で、一人淡々と新聞を見ながら飯を食っていた親父が、ぼそっと「『会社の駅を乗り越して、ふと外を見たら、ものすごく良い天気だったから』くらいのものだろう」といった。
当時40代の現役サラリーマンだった親父の言葉が、なんだか凄くリアルで食卓がすっかり静かになったのを覚えている。
この文を読むたびに鳥肌が立ち、頭が真っ白になってぼーっと考え込むのだけど、何故なのだろうか。
おそらく僕は同じ日常が繰り返し、将来が見えるのが怖いのだと思う。中学高校のとき同じ毎日が繰り返すサラリーマンになるというのがものすごく怖かった。数年先が容易に想像できて、さらには自分の人生の残り半分がどんなものになるのかが見えてしまうということはとても恐ろしい。もうそこから先に進めずに老いていくだけなのだとしたら、それはもう死んでいるのと同じなのではないのか、そう考えていた。よくサラリーマンを脊髄反射でつまらない奴らだなと否定する中二病な人がいるのだけど、それに近いものと同時にもっと深い恐怖を覚えていた。
自分の生活が同じルーチンになることを病的に嫌っていたので、いつも気まぐれで通学路を変えたり、その場のノリで平日に福岡から鹿児島まで出かけたりしていた。沢木耕太郎の深夜特急を愛読していたり、常に変化し続けるウェブにのめり込んでいったのもこの時期だったと思う。
僕は受験期になると発狂寸前の精神状態になった。狭い閉じこもった場所で毎日同じ作業を繰り返さなければならない受験勉強は、僕にとって耐えられるものではなかった。まったく勉強をすることができなかった僕は当然のごとく受験を失敗し、もう一年この拷問を受けることになった。浪人時代のブログだとかを読み返してみると克明に現れているのだが、元々プライドだけは一人前だった僕は学歴コンプレックスと受験勉強の拷問とで浪人時代は完全な鬱状態だった。予備校が繁華街にあったこともあり、度々抜け出しては遊んでいて結局まったく勉強はしなかった。これを書いていてもその時期を思い出して頭にじんましんのようなものが出てくるのを感じる。
僕が情報系に進路を決めたのも、当時の僕に同じ日常が繰り返しそうにない業界に見えたからかもしれない。高校のときはlivedoorや楽天などのベンチャー全盛期で、絶えずマンネリ化した社会に革命を起こしている彼らはとても楽しそうに見えた。はてなを覗くようになったのもその時期で、エンジニア達が日々切磋琢磨したり、他社だろうが他国だろうがエンジニア一丸となって世界に革命を起こそうとしている激動的な雰囲気にとても憧れた。
僕は今大学でとても楽しい。大学は自由だというが、本当にそうなのだと実感する。自分の勉強したいことは好きに勉強をできるし、遊びにいきたくなったら夜中に友人達とパジャマで遊びにいく。読みたいと思った本はいくらでも手に入るし、勉強したい事柄を「受験に関係ないから」という理由で制限することも無い。一年前に比べて今の僕は本当に良く笑うようになったと思う。
僕はどんな仕事に就くのだろうか。天気が良い日にふらりとどこかに失踪するようなサラリーマンになるのだろうか。毎日が刺激的で人生がどこにいくのかわからないような技術者になるのだろうか。とにもかくにも今の僕には自由がある。