- 作者: アンドリュー・パーカー,渡辺政隆,今西康子
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2006/02/23
- メディア: 単行本
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本書はカンブリア紀の爆発的進化についての最新の学説、「光スイッチ」説をその提唱者自らが解説した啓蒙書。その新説の肝はタイトル通り、「眼」にあり、眼の誕生がカンブリア紀の爆発的進化を促した、という非常にシンプルなものなのだけれど、これを納得させるために、著者は自然界の生態系において、いかに視覚が重要なものなのかを様々な事例を用いて説明している。
その前に、この本を読んでバージェス動物群ものの議論で不思議だったことがひとつ解決したのが面白かった。奇怪な生物を新しい「動物門」に分類すべきかどうかが大きな論点として存在していて、グールドはカンブリア紀の爆発を生命の多様性の爆発的増加として考え、新しい動物門を主張したりしていたが、ではこの「門」というのは何なのか、よくわからなかった。門が増えたり減ったりすることにどんな意味があるのかわからない。門と門がどのような基準で分けられているのかもよく分からない。
本書では、門とは内部体制(ボディ・プラン)の差であると解説されていて、そこは非常に納得ができた。体内の設計は、突然変異などで部品の設計が変わるとすなわち生命活動に支障がでてしまい、変異が保存されにくいが、ある門のなかでその体内設計は基本的に維持される。が、外部体制はそこまで厳密ではなく、たとえば角が長かったり短かったりする程度であれば、それだけで生存不能なエラーとはならず、その変異が生存の上で有利であれば子孫に受け継がれることもあるだろう。だから、同じ門とは思えない外形をしている動物も多数存在し、同じような生存環境で同じような生活をしている似た形の生物が、違う門に属している、ということもあり得る。
門とはそうした内部体制の差異であり、外部体制に比べ変異しない。そして、カンブリア紀の爆発とは著者の定義によると、それぞれの動物門がいっせいに硬い殻を獲得した出来事だという。だからこそ、化石に残りやすくなり、一斉に世界でその時代の地層から化石が発見されるようになる。また、内部体制自体は、カンブリア紀以前、一億から五億年まえまでにできあがっており、カンブリア紀に多数の門が生まれたわけではない、と著者は強調する。あくまで、カンブリア紀の爆発とは、外部体制の爆発的な多様化であるというのが本書の基本的な前提だ。
さて、嗅覚、聴覚などの感覚は対象が何らかの動きや匂いを発しなければ感知することができない。じっと動かずにいれば、ごく近くにいても相手に感づかれないということがありうる。コウモリなどの動物は音波を発してその反射で感知することができるが、それは自分で音を発するという行動を必要とする。しかし、視覚では、光がある限りその存在は遠くからでも明確に把握できる。音波などの特殊な装置を使わなくとも、光が降り注ぐ地上においては、対象を認知することができる。これは捕食行動において非常に重要な情報となる。そのため、動物においてはその視覚を攪乱させる、体色、体型のカモフラージュが非常に進化している。
カメレオンの体色の変化や、葉や枝に擬態する昆虫の存在がそうだ。また魚の銀色の体は、光が差し込む水中では水面で散乱する光に紛れて見えなくなることなど、様々な事例を用いて、生態系での視覚情報の重要性を説いている。そうした色を発するメカニズムについて、色素で色を生み出すこと以外に、体表面の構造で色を形成する「構造色」がポイントだ。見る角度によって色が変わり、金属色の光沢を放つ構造色は、色素とは異なり、ホルマリン漬けの標本でも、(保存状態が良ければ)化石からでも見つけることができる。蝶の鱗粉などがわかりやすい。そうした構造色のひとつに、回折格子というのがある。等間隔の縞模様によって、光を反射させる仕組みで、クレジットカードのホログラフ部分のような奴のことらしい。で、著者は貝虫類に微細な回折格子(それは求愛行動に用いられていた)を発見したことから、回折格子を持つ生物についての研究なども行われるようになったという。
そして、カナディア、ウィワクシアといったバージェス動物群にも、回折格子が発見され、彼らはカンブリア紀の海のなかで、虹色の光沢を放っていたらしいことがわかった。本書のカラーページに記載されているそのイメージCGの鮮烈なこと。
また面白いのは、海底や洞窟など、光量が著しく少ない場所では、進化のスピードがきわめて遅れてしまうことを記述したところだ。海底では相互に断絶した場所にいる生物が、数億年単位の時間を経ても、ほぼ変わらぬ姿で発見される。オオグソクムシというその生物は、一億年を経ても、ほとんど進化しなかった。光量の少ない場所では、進化が遅滞する。また、洞窟では、奥に進むに従って体色が退化していく様子が観察できる。そして、体色の退化の度合いにかかわらず、洞窟種ではすべて眼が存在しない。眼は非常に高く付く道具なので、必要がなくなれば即座に退化してしまうのだという。
以上のような、光と視覚にかんする生態学的、進化論的議論を踏まえ、著者はいよいよ自説を展開する。まあ、ここまで読んでくれば、著者の説は半ば理解したも同然、という構成になっており、自然とその説を理解している、という塩梅になる。
眼は、カンブリア紀に三葉虫が獲得したものが最初のものだという。光を感知するだけではない、像を結ぶ視覚を獲得したのは、三葉虫らしい。そして、史上最初の活発な捕食者もまた三葉虫であったという。五億四三〇〇万年前に、地史的には一瞬にして眼が誕生した。ある試算によれば、光を感知する眼点から眼に進化するためには、控えめに見て五十万年あれば充分なのだという。
それ以前は視覚が存在せず、カンブリア紀になり視覚を持った三葉虫が出現し、生物の生態に激変が起こった。視覚による捕食行動が活発化し、生物は皆それに対する適応をしなければ生き残れなくなった。それが外骨格の形成を促し、光に適応することを促した。光が強力な「淘汰圧」として新たに進化のメカニズムに組み込まれた。洞窟の例を見ても分かるとおり、光がないと進化は遅滞する。先カンブリア紀においては、光が降り注いでいても視覚を持つものがいなかったため、進化が進む速度は緩かったが、一度、視覚を持つ動物が出現してしまうと、新たなニッチ(生態学的地位)が出現し、それを埋めるべく大規模な進化が起こった。爆発を経てそうしたニッチが埋められると、進化は通常のスピードに戻る。それ以降、基本的な生態の仕組みは変わらない。陸に上がるという事件も視覚の獲得に比べれば小さい事件といえるだろう。
だいたいこういうことが起こったというのが「光スイッチ」説だ。間違いがあるかも知れないが、だいたいのことは要約できたかな。しかし、この説は、新聞で報道するときに「これは本当に新説なのか?」(こんな分かり切った話が新説か?)という疑問を出させるほど、当たり前の話に思える。先カンブリア紀とカンブリア紀での生物との眼があるかないかの違いに注目した人がいなかったのだろうか。むしろそれが不思議なほど自然な説得力のある説だ。コンウェイ・モリスの本でも、カンブリア紀に捕食行動が活発化したという説が紹介されていたが、視覚についてまで踏み込んだ考察はされていなかった。この著者の説は、そうした行動が起こった原因にまで踏み込んだ、たいへん魅力的な考えだ。
この説の提唱自体は90年代に行われたらしいが、それからこの説についての批判や議論の深化は行われたのだろうか。かなり鉄壁な理論に見える。
で、著者も最後にこれだけは返答に困窮した質問として、ではなぜカンブリア紀に眼が進化したのか、という疑問について考察している。数十億年間光がずっと降り注いでいたのなら、眼が誕生したのはなぜ五億四三〇〇万年前なのか。これにはまだ決定的な答えは出ていないようだが、たいそう興味深い謎だ。
いや、ほんとにこの本は面白い。新説だけでも面白いが、新説を説得力あるものにするために解説される光と生態、進化についての記述がとにかく面白い。貝虫に回折格子を発見したときの経緯だとか、著者の体験した調査のくだりなど、予測と、それを裏切る新事実の発見だとかのストーリーは非常に面白い。カンブリア紀の爆発についてだけではなく、光と進化というテーマが一貫しているので、そうした側面からも楽しめる本だ。
超お勧め。