ニッポン放送開局70周年記念 NEXT STAGEへの提言II 12月19日放送分 ゲスト 富野由悠季

ニッポン放送開局70周年記念 NEXT STAGEへの提言Ⅱ 12月19日放送分 ゲスト 富野由悠季

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森田 今夜お招きしたのは、今年『機動戦士ガンダム』誕生から45周年、そして10代の若者の間で社会現象を巻き起こしたプラモデル「ガンプラ」の発売から来年45周年を迎えます、『機動戦士ガンダム』の生みの親、アニメーション映画監督で原作者の富野由悠季さんです。富野さん、こんばんは。
富野 こんばんは、よろしくどうぞお願いいたします。と言いながら、ガンプラは僕は作ってません!
森田 そうですよね。
富野 はい。
森田 (笑)。簡単にプロフィールをご紹介いたします。富野さんは1941年、昭和16年、神奈川県の小田原市で生まれてらっしゃいます。日本大学芸術学部映画学科を卒業された後の1964年ですから東京オリンピックの年ですね。虫プロダクションに入社され、『鉄腕アトム』などの演出を担当されました。フリーに転身された後、TVアニメ『海のトリトン』、『無敵超人ザンボット3』などの総監督を経まして、1979年放送の『機動戦士ガンダム』で社会現象を巻き起こしました。また、『ガンダム』シリーズ以外にも、『伝説巨神イデオン』や、『Gのレコンギスタ』などがあります。そして2021年度文化功労者に選ばれています。富野さん、あらためてよろしくお願いいたします。
富野 こちらこそよろしくどうぞお願いいたします。
森田 お年がですから83歳。
富野 83歳になりました。
森田 黒のキャップにモノトーンのシャツでお洒落ですね。
富野 と、いう風に他人から言われてたことはありません。
森田 ありません!?
富野 はい。ありません。
森田 あ、そうですか。
富野 本当にこれは僕自身がこういう立場で、TVアニメで、言ってしまえば名を成した立場だったので、人前に出るときのファッションというのは、本当に『ガンダム』を始める前から気を付けてました。アニメのスタッフ関係者でこれに続いてくれる人が一人以外いなかった(永野護?)。
森田 ほう、一人いました?
富野 一人いました。その人の名前を挙げて良いか多少問題があるんで。ちょっと遠慮させてもらいます。
森田 (笑)
富野 そういう意味で人前に出るファッション、アニメ関係者、まっっっったく持ってなし(笑)!
森田 そうなんですね。
富野 っていうのは、自分たちがある意味謙虚なんですね。裏方の仕事だっていう風に弁え過ぎているんだろうな、っていうのはあります。
森田 はぁ~。富野さんはそうすると自分が前に出るんだと意識はされていたということですか?
富野 やっぱりしました。したのには、ひとつは虫プロにいたおかげで手塚治虫先生を目の前で見ていた、っていう部分があったので。漫画家でこういう風に成り上がった、っていう作家がいる。だから僕にとっては手塚先生ってのは作家であって漫画家だとは毫も思ってない、っていう認識を持ってます。あの方のベレー帽があんまり似合わないんだけれども、人前に出るとピシッと被ってるんだよね~この先生。
森田 トレードマークですもんね。
富野 そう。という意味でのやはりルックスをFIXしていくという律儀さ。それを教えてもらいました。だから漫画家であろうともなんです。テレビまんがの仕事をやっていても、公共の電波を使わせてもらって仕事をやっているんだから、なんです。個人プレーではないと思ってるんです。この考え方を僕の場合にはなんなんだろうかなぁ……。なんとなくやっぱり学生時代からちょっと身についてることではありましたね。
森田 まずこのコーナーは子供のころのお話をお伺いしたいんですが、先程ご紹介したように小田原でお生まれになって、子供のころの記憶というと、戦後のものではないかと。
富野 勿論そうです。戦後のことですから、実を言うと人前に出るということの、一番初めの僕にとっての原風景になっているのは、美空ひばりです。
森田 えっ、美空ひばりさん。
富野 まだ子供のころに、人前に出て歌を歌うときに、ちゃんとリボンを付けて小学校6年とか中一くらいになってもスカートを履いて。歌ってみせるという、公共の前に出るということを。ちょっとだけファンだったんです。嫌でもそれは教えられるじゃないですか。だから小田原という多少田舎っぽいところだったんだけれども、そういうものは教えられるという部分を、なんで周りの同級生はそういうセンスを持てないのか。僕には謎だった。
森田 美空ひばりさんの影響を幼いころに受けていたんですね。
富野 だけど僕が一番影響を受けたのは美空ひばりじゃないんです。ファッションのことで言うと、もう一段上がいるんです。
森田 もう一段上? 当時ですよ?
富野 水の江瀧子です。ターキー。つまり少女歌劇団でタキシードを着てた。
森田 「男装の麗人」と言われた。
富野 そして、あの人には本能的に、それこそ子供の男の子なんだけども、男心をくすぐられた。これは絶対に、地元では口が裂けても言っちゃいけない。恥ずべきことなんだ、っていう自覚もしてました。だからこの話、今日初めてしました(笑)。80超えたから喋れるの。
森田 幼いころ、ラジオなんかお聴きになりました?
富野 いやいや、聴くわけないじゃないですか。東京の電波、小田原。
森田 入らない?
富野 かなりね、聴こえづらいんです。ノイズ音かなり多い(先日の秋葉原国際映画祭のトークから、日大時代?にはラジオを聴いていたもよう)。
森田 幼いこと接したメディアというと、そういう例えば白黒のTVが始まったころ?
富野 いや、TVなんかまだ、中学卒業してからじゃないと僕家では観てないもん。だけども、なぜ水の江瀧子に引っ掛かったかと言うと、親戚が全部東京の人間なんです(富野本家は大島)。だもんで、松竹歌劇団の中央劇場っていう定宿が浅草にあったのは2、3度観に行ってるんです。ただそれのときも既にターキーは引退してるんです。少女歌劇団なんだから本当はタキシード姿を見られるんだけども、ターキー以後のタキシードで似合ってる奴が一人もいない、っていうのを小学校6年のときの記憶が完全にあります。だからスター性の問題とかっていうことも、その時代に中央劇場で教えられた。
森田 小学校6年生でそういうSKDに接してられたんですね。
富野 だって人形町の近くに親戚がいたから。だから人形町から松竹劇場までは頑張れば歩いて行けます、っていう距離でした。そういうところでターキーを見損なっちゃったっていうショックがありながら、他の男装の麗人を見ていったときに、あれ? 申し訳ないんだけども、みんなターキーより落ちる(笑)。っていうこの鑑識眼っていうのを教わったっていうのはかなり大きいです。この話も今日初めてです(爆笑)。
森田 初めてエンタメに触れたような瞬間だったということですよね。
富野 そうです。ですから小学校も5年生6年生くらいになると多少スケベ根性も出てくるから。ラインダンスでネーチャンがみんな足上げてくれる。それだけはこうやって涎垂らして見てたっていう記憶はあります。だけどあるんだけども今言った通りで。ターキーがいなくなってる松竹歌劇団はやっぱりかなり落ちるな、っていう意識は持ちましたね。
森田 そうなんですね。ご家庭ではそういうエンタメは?
富野 一切なし! どちらかと言うと……まぁ~あんまりお堅いとも思えなかったんだけども。
森田 お父様は軍事関係の技術者だったと。
富野 それもあるんだけれども、結局戦争が始まったおかげで、東京の、当時で言えば高校ですけども、専門学校を出て、それの引きで化学の工場、小田原の工場に来たってだけのことです。だから所謂どういう仕事をやってたかと言うと簡単な話、雨合羽を作らせる。陸軍とか海軍に納品する合羽です。
森田 雨の行軍なんかに使うような。
富野 そうです。あれもだから軍需品なんですよ。
森田 そうなんですね。
富野 言われてみればそうでしょ?
森田 確かに。
富野 そういうものを作らせることも始まってるんで、戦後の父の仕事関係のノートが一冊だけ残ってた。小学校も5、6年になると零戦の三面図は分かるわけです。なんで親父のノートの中に零戦の図面があるのかと言ったら、零戦の覆いを作るんで。
森田 あれを雨合羽の素材で。
富野 そう。というようなことをやらされてたんだよね、というようなことも知ってます。ただ、そういう記憶が一緒くたになっているので、僕にとってガンダムというロボットを戦闘機のサイズに落とすということは、あんまり……なんというのかな、特別なことではない。むしろ全長50mだっていう二本足歩行よりは零戦サイズくらいの方が丁度良いだろう。
森田 18mがガンダムですよね。
富野 そう。だから18mとか20mが限界で。パイロット一人乗る戦闘機のサイズなんだって考えたときに、ガンダムっていうMSに乗る、ロボットってのを止めて新しいジャンルにしようと。僕にとっては特別なことではなかった。
森田 それは原風景としてあるから。
富野 あるからです。それのときに、TVアニメ、まんががアニメになり始めてくれたところで「そうか、戦闘機並で、パイロットの物語にしよう」となる。「子供に見せるものなんだから主人公は子供にしなくちゃいけない」という言い方があるんだけれども、この言い方は半分嘘なんです。中学のときにも多少戦記ものは読んでたんで、太平洋戦争の末期、少年兵がいるという存在は十分知ってました。戦車兵の養成として16歳になったら、その学校に行けるとか、それから海軍の場合、戦争末期には戦艦大和にも乗せられてた、という少年兵がいたことも知ってました。ので、なんで子供を主人公するのかという話は僕にとっては全く抗議でもなんでもなくて。だから今でも困ることがあるのは「なんで子供に戦争に参加させたのか」っていう質問があるわけです。当時そうだったんだもん。だから、そういう事実をむしろ知ってほしいってことがあったので、かなり意識的にガンダムにアムロという少年を乗せる、っていうことをやった。それのときに重要なのは、1話でいきなり戦闘機に乗っけるわけです。ってときに、どういう方法があるんだろうか、ってときに、戦闘機を製造している父親の近くにいる、ということがあったら機会があるだろう、というのが目論見で。ということで『ガンダム』を作ったってことがあるんで、僕にとって全部ほとんど体験論。
森田 そうすると割と戦後まもなくに太平洋戦争のこともずいぶん調べられていたんですね?
富野 中学から特に高校ぐらいまではまだ戦記もの読んでましたからね。だからそれは基礎学力なんてもんじゃなくてミリタリーオタクとしての常識です。
森田 そして実際体験された時期でもありますしね。
富野 そういう人たちも近くにはいなかったんですけれども、体育の先生が軍人上がりだったりするんです。特別なことでは一切なかった。だからその部分がいわゆるバックボーンを作ってく上で『ガンダム』の場合、実を言うとなんの苦もなかった。むしろ巨大ロボットものっていう嘘八百を作ってる方が、つまり「一科学者が発明して」とか、「資金もないのに巨大ロボットを製造しちゃいました」って嘘八百より余程自然だった。それだけのことです。
森田 映画を初めてご覧になったのはおいくつぐらい? 覚えてますか?
富野 それは覚えてませんけども、さっき美空ひばりの名前を挙げたおかげで、美空ひばりのかなり初期のものから見ることはしてました。それのときに父親が化学をやってたおかげで写真もやってたわけです。だもんで映画のことも多少知ってたので、美空ひばりが出ている『鞍馬天狗』を観ていたときに、ときどき変なとこで笑うんですよ父親が。「なんでそこで笑ったの?」「いや、ここのカットね、車で撮影しているんだよね」「えっ」「馬に乗ってる画のはずなんだけども、実写で撮影するときには車の上に乗って背景動かさなくちゃいけないだろ? それ可笑しくねぇか?」って笑う。うちの父親、鞍馬天狗を見てなくって、そういうものだけを見ている。技術論を教えられちゃった。
森田 そういう発想でお話になられたんだ、お父様が。
富野 たったそれだけのことしか覚えてないんだけども、そのことでつまり「映画を撮る」ってことの技術論、かなり面倒なことだと分かったから、小学校のときに。そうすると中学高校で映画を観始めるとかってことをしたときに、日活のアクションものとか分かり易いじゃないですか。逆にもっともらしい文芸映画なんか観てるときに「えっ、カメラをここにFIXのまんまで撮ってる」ってことの面倒臭さ、役者をこう動かしてる。中学3年にもなればそれは読み取ります。
森田 撮影する側の立場でもうご覧になってたんですね。
富野 勿論そうです。ですから本能的にそれができるようになって、高校三年間で良い成績もとれてないんで、入れて日大の映画学科、つまりどういうことかと言うと、芸術学部というのが日大しかなかった、当時は。だから滑り込めるのがそこだった。そういう発案なんです。
(CM)
森田 ここからは日大に入られたころのお話をうかがっていこうと思います。
富野 入られたころの話はあまりありませんが、大学四年間を通じてお話できることがあります。一般四年制大学で芸術学部というのは日大にしかなかったんじゃないのかな、という気がしてます。その中で、映画学科ってのは更に特殊な学科でしたので、文芸とか絵画とかっていうのは戦前から当たり前にあったと思う。
森田 美大とか。
富野 映画学科ってとても特殊だったので、一番始めに映画学科のトップの教授という人がいたんです。当然僕はその人の具体的な名前を知りませんでした。在学中に判ったことなんで。サイレント時代から、日本人で初めてチャーリー・チャップリンのスタジオで半年ぐらいいたらしいのね。「チャップリン先生」って平気で言ってました。「え、この先生なんでこんなこと言うんだろうかな」ってのは大学時代に調べて判ったんだけども、間違いなくチャップリンスタジオにいて、どうも半年ぐらいそこで時間を潰していたらしい、ということだけは判るわけ。この人学生の前だけでは「チャップリン先生」って言う構造を見抜いて。だけどこの監督の名前、映画界では知らねぇぞ。つまり戦後作品を撮ってないわけです。こういう人が、こういう席につくのね、っていうことを教えられた。当然その人が2、3度講義をしたことがあるんですけど「しょうもねぇなぁ、こんな話しかできねぇんだ」っていうことと、ある意味チャップリンかぶれの先生だった(笑)。だからチャップリン作品がどのように優れているか、っていう説明を実を言うと聞いたことがない。「チャップリン先生の」(真似)。
森田 その先生のことだけ、作品じゃなくて。
富野 そう。作品論言えよ(机を叩きつつ)! っていうようなことで、映画学科で教えられるようなことってないんだよね。、技術論以外。だから、カメラを使って撮影をするんだ、こういうようなものが必要なんだ、ってことは教えられる。それ全部技術論なんです。作品を作るって創作だろ? もう一か月で分かりました。創作というのは絶対に教えてもらえるもんじゃない。ということが分かっちゃった。それだけのことです。
森田 大学時代に自主的にご自身で作られた作品はあるんですか?
富野 一本だけ8mmでサイレントで半年がかりで撮ったものはあります。それは15、6分のものだったんだけれども、大学四年間通して8mmで10分を越えるものを撮った奴は一人しかいなかった、僕以外に。そちらは逆にお金持ちだったんで、16mmで音付きで音楽付きで、自分が主演やってて。全部お金出してる訳だから。同護会の先輩も使って。「この野郎~」って思って。その格差を教えられたのは、実を言うと一番学習になりましたね。どういうことかと言うと、こういう風に撮った奴の作品って言うと、自主上映で、日芸の江古田祭で公開で見せてくれる。「『勝手にしやがれ』の真似したってしょうがねぇだろう」っていうのを見せられた。創作をするっていうのは本当に厳しいことで、「オリジナルを持てない限り、ゴダールの真似してお前が主役張ってたってしょうがねぇんだよ」っていうことを教えられた。一番の学びでしたね。
森田 そのとき富野さんが作られた作品というのはどういう様なテーマで作られたんですか?
富野 絶対秘密で口が裂けても言えません。喋りません(笑)。少なくとも奴のはゴダールの真似事。俺のはオリジナル路線でやってる。ただ問題なのは、僕の発想も良かったかというと、いやー、ちょっと酷いよねぇ。手狭にしかやってない(笑)。そうすると、例え8mmと言えども、映像作品にするっていうときにクオリティというのを要求されることが本能的に判るわけ。やっぱり役者志望の奴を使わなくちゃいけないとか、この程度で手打ちをしていたらダメだってことが思い知らされる訳。これはやっぱり学習として一番大きいですね。だから本当は間違っても実写に行けるんだったら、ここまで来たなら行っても良いなと思いつつ。僕が大学3年のときに映画五社新規採用一切中止。
森田 そういう時代だったんですか。
富野 だから(大学)4年は2年目ですよ。四年制卒業して映画五社に入れる奴ってのは余程のコネでもない限り入れない。だからなんです。虫プロが拾ってくれたっていうのは本当に万歳で。嘘でも電動紙芝居と言われている様なものでも、ロクに動きもしない『鉄腕アトム』でもね、そこで制作進行でもやらせてくれるんだったらば、フィルムを弄れるんだからまぁ良いか、っていう妥協はできた訳。妥協できたと同時に、僕が江古田祭やってる最中に虫プロが一度だけ四年制の新規採用のための面接試験をやるっていう三行広告を立てたの。それを母親が見つけてくれて。小田原で。「虫プロって会社よく分かんないんだけども、『虫プロ』って会社だから何かまんが映画でもやるんじゃないの」って。江古田の駅から三つ向こうが虫プロなわけ。だもんで、江古田祭の手伝いをやってる間に面接に行けた。それで間違ってそこで採用してくれたのが虫プロだった。それだけのことです。
森田 所謂今でいう就活みたいなことはほとんどないですか?
富野 江古田祭やって忙しかったの、大学4年で。夏休みには江古田祭に向けての出し物があったので、そのテーマを追っかけるために広島と長崎に行かなくちゃ行けなかったの。どうしてかと言うと、当時は原水爆禁止運動が一番盛り上がったときでした。大江健三郎も広島と長崎に行って、そのときのルポを出したのが『ヒロシマ・ノート』なんです。あの『ヒロシマ・ノート』は、僕は卒業をしてから読んだの。愕然としたのは、江古田祭のために傍目に見学したのが、大江健三郎は、作家は、これをこう書くか。この格差。やっぱりプロというもののレベル。本当ね、これは手が届かないよね。相手が大江健三郎な訳。虫プロに入社して一年目のときに「こいつには手が届かない」と思い知らされた。これ過酷ですよ。
(CM)
富野 僕は大学を卒業して虫プロに3月に入りました。卒業式の一か月前に虫プロに行くようになっちゃったのは、なんせ地の利が良い訳ですから。行けちゃった訳です。だけど行ってそれこそ一週間もしないうちに、『鉄腕アトム』って作品のオンエアが地獄だってのが分かった。週一で20何分の全部画が止まってたにしても4、500枚の画を作って新しい話を作んなくちゃいけない。僕が入ったのは一年目が過ぎてる訳です。ということは、『鉄腕アトム』のまんがの原作、殆ど使っちゃってる訳。だって手塚先生が月一で描いている連載の続き物があったりする訳。週ペースで1話ずつなくしてく訳よ。
森田 それで毎週やったらなくなりますよね。
富野 だからホンがないというのが一か月目の事情で分かっちゃった訳。それのときに一応制作進行で入った筈なんだけども、一応建前は演出助手なの。だから制作には関与しなくて良い筈なのが、そういう事情で周りにも人がそんなにいないとなったときには、スケジュール表も書く様なことが起っちゃう訳。そうすると「三か月後のここでストーリーがねぇぞ」と。
森田 どうすんだと(笑)。
富野 という様なことが起こる訳。現にライター6人ぐらいいたんですけども、全部が回り切らなくて。
森田 虫プロって当時何人ぐらいいらしたんですか?
富野 よく分かりません。
森田 出入りしている人もいるし。
富野 勿論それもいたんだけども、当時もう既に200人ぐらいいたんじゃないのかな。アニメーターも全部丸抱えでやってた訳だから。今みたいなリモートが一切ない時代ですから。尚且つ、『鉄腕アトム』の始まった翌年から『ジャングル大帝』っていうオールカラーを始められちゃった訳。そちらに『鉄腕アトム』を一年間メインで支えていたスタッフが殆どゴソッといなくなちゃった。まだ三か月くらいでメインスタッフになっちゃった。
森田 残ってる人は誰ですか(笑)?
富野 はい! 「シナリオライターは?」「『ジャングル大帝』に」「は?」。『鉄腕アトム』をやってくれる落ちこぼれのSF作家みたいになっちゃってる訳。文芸部はある訳、虫プロの中に。そこで一応シナリオは手当する筈なんだけれども、そこに混ざるのは僕な訳(笑)。そういう環境があったから、僕は生まれて初めて『鉄腕アトム』の絵コンテっていうのを二年目の中頃のときで。僕が初演出でやらせてもらった「ロボットフューチャー」(96話)っていう作品が、オリジナルストーリーなんです。シナリオがないんです。僕ぶっつけでコンテを切ったものを半パートだけ、「シナリオがないんだけども、このコンテあるんだけども」って、手塚先生が三日後に見てくれて。「富野くーん、はい。これ後半どうなるの?」「こんな話になる筈です」「うん、それでコンテ切ってくれる」即決でそれがオンエアされました。三か月で行く、そういう環境です。
森田 それ20代前半ですもんね。
富野 ということは、今言った通りの環境だったので、そういうことが出来たんだ。それはとても酷い環境で、本来許されるべき環境ではないんだけども、なんせまんが映画なんですよ。週ペースのまんが映画だから、TV局もなんのクオリティも……つまり担保にしてない訳。時間が埋まりゃ良いんだもの。そういう精神構造でした。
森田 当時はそんなレベルだったんですか。
富野 そういうレベルです。プロデューサーが一応TV局の担当プロデューサーに付く訳です。が、今言った通りです。まんが映画のプロデューサーなの。ですから社内に行って様子見ても、この人こうだよね、っていう様子が分かる。だけどその人が実際に現場に行くと録音監督までやってる訳(笑)。それに音を付ける効果マンは流石にプロな訳。声優さんも一応プロが演っている。プロデューサーとか録音ディレクターが素人な訳。それで『鉄腕アトム』は後ろ二年半をやりました。
森田 あの頃の『鉄腕アトム』なんて殆どのお子さん観てますよ。
富野 観てますけども、そういう環境でやってた。そういう環境でやりながら、自分でもそうは言いながら、馬鹿にしてるのが半分なんだけども、半分はすごいなと思ってたのは、大野松雄さんという効果マンが、アトムの歩く音を作ってる訳。一年半ぐらい経って、実際僕自身が(録音)スタジオに入って半年ぐらい経って、スタジオで聞くたんびに、本当この電子音を大野っていう人が作れた効果マン、なまじのものじゃないな、っていうのは分かった。現に大野さんという方はその後のキャリアを見てもかなり色んな仕事をやってらっしゃる方で。ご自身でもディレクターもやってらっしゃることで、映画を作るという基礎学力というのはなまじのものじゃないな、っていうのを教えられた。
森田 映像だけでなく音というものにもかなり活躍された。
富野 勿論。正直ゾッとしましたね。オンエアが始まった頃の『鉄腕アトム』って僕殆ど観てないんですよ。一、二度は観てはいる。観てはいるときのアトムの足音っていうのはすごいな、というのは分かってはいたんだけども。やっぱりスタジオで聞くとレベルの違い、これをやった、電子音で。その頃の電子音の加工の仕方なんか今みたいなシンセがある様な時代じゃない訳。一番僕がビックリしたのは、「ピコピコピコ」という頭とお尻、ちゃんと区切ってあるんですよ。それを切り貼りでやるテープで繋げている。
森田 それで繋げてやってたんですか。
富野 はい。この長さシャーッって伸ばして「はい、こっからここまでね。え、あそこにも要る? ちょっと待って」。20分待たされる。「はい、付けました」。
森田 そういう編集もして。
富野 当たり前です!
森田 えーっすごい。
富野 全部スイッチングで出来るってレベルじゃない訳。その頃のテープレコーダーも糊付けする両面テープの感触も覚えてるんだけども、あれをね、現場でやられてね。「はい、入りますよ」ってやられるのを見たら。それだけじゃないのよ。「はい風の音が入ります」とか3台くらいのテープレコーダーでちょんちょんちょんとやっていける。やっぱりね、『鉄腕アトム』が終わるまでは土下座です。ありがとうございました。だから何を学んだではなくて、創作をするってのはこういうとこから始めなくちゃいけない。作家としては大江健三郎を抜かなければダメだ。音を作るときには大野さんのあのレベルを超える様なものを比定しなくちゃダメなんだとか、そういうプランニングがね、打ち出せなかったら演出家にはなれないんだ、ってことを全部教えられる訳。それを毎週のスケジュールを追っかけながら二年半やらされたんだもの(笑)。
森田 しかしそれでよくフリーになりましたね。全部自分でそれを背負わなくちゃいけないということになるわけじゃないですか。
富野 ありがたいことに、週ペースで作っていくために、全部が全部自分がやってる訳じゃなくて、班体制になってるために、互い違いにやっている。そういうこともあるんで、ベタベタではないんです。少なくとも今みたいな事情で言ってる環境とは違いますね。現場感覚ってのはものすごい形で、スタジオの空気感というのも嫌でも教えられて。だって徹夜でやらされるんだもん。労働基準法とか関係ないんですもの。そんなことやったら穴があく(笑)。それだけのこと。それを突破するためにはどうすれば良いか、っていうことしか考えていなかったことでの鍛えられ方っていうのは、やっぱり苦にはなりませんでしたね。ただ重要なのは、今の若い方には本当に分からないだろうけども、苦にはならなかったんだけれども、実を言うと本当、苦にするくらい過酷だったんだよ。どういうことかと言うと、演出助手で入社した奴が、3人ぐらい落ちましたもん、一年半ぐらいで。
森田 辞めちゃったんですか。
富野 そりゃ辞めます。生き残りしか『鉄腕アトム』が終わったときにはいない、という構造になる訳。
森田 そういう世界ですね。
富野 そりゃシナリオでもそうだし、ましてアニメーターでもやっぱり何人かいなくなりましたね当然。だからやっぱり耐久力のあるスタッフしか残れない。だけどとても重要なことがあるのは、これを苦役だと思ってもらっちゃ困る、というのが僕が教えられたことで。労働というのを一般論的に言うと苦役だという風に理解されている部分があったり。それから社会学的に言っても労働ってやっぱり苦役だと、それから暮らしを立てるための労働でしかない。という価値論があるんだけれども、僕はそれに関しては基本的に大反対で。そういう所で訓練されることで学習したことの方がはるかに大きかった。この学習量があったおかげで、それ以後の自分の、つまりフリーになってもそれこそ食っていける様になれたということがあるんだよ。それはどういうことなのかと言うと、だからね、それくらいの労働をやって週ペースの仕事をやらされてるとね、今度はフリーになったときに、知らないプロダクションに行って、俺玄関で土下座できたもん。三か所くらいで土下座して「仕事くれないか」って。それのときに一番始めに馬鹿にされる訳。「虫プロだよね?」「はい」「『鉄腕アトム』が終わったとこでお前辞めたんだよね?」「はい」「『鉄腕アトム』やってる奴が演出できるの?」って。これです、他のプロダクションに行くと。「えっ、一生懸命作ってたんだけども、そういう評価かよ」っていうのを、フリーになってから突き付けられる訳、現場で! 「とりあえずじゃあコンテを一本切ってごらん。スケジュールこうだよ」何をやるかと言うと、スケジュール通りにコンテを納品するってことをやる訳。それでまず第一関門突破。その次に「う~ん、『いなかっぺ大将』では使えないけれども、こっちでは使える」、そういう評価を貰う訳。だから作品選ばずにフリーランスに仕事を出してくれるプロダクションに。
森田 なんでもかんでも来た仕事は全て引き受けていく感じだったんですね。
富野 だってそうしなければ食ってけないから。それだけのことです。それだけのことなんだけれども、50過ぎてから分かることがあるのは、やっぱりその下積みの部分とか、土下座して回るという部分を、苦役にしないで、食うためにしょうがないからやる、ってことで、仕事が来たら逆に言うと今度はこっちのものなの。今度はこちらがコンテに対して「お前らにゃクレームつけさせねぇぞ」っていうとこまで行きますもん。その両方を持ち合わせないと、だってフリーには仕事来ないもん。
(CM)
森田 毎回この番組では「NEXT STAGEへの提言」と題して、次の世代の主役たちに向けて伝えたいことをおうかがいしています。
富野 今言った様なこと、鷲掴みで分かれ! っていう言い方しか出来ませんね。鷲掴みで分かれという感触、これ本当に難しいんだけれども、なんとなく分かってる限り、やっぱり身には付いてない、ってことです。だから分かるしかない。この場合の「分かる」とはどういうことかと言うと、自分の身体で今度は再演することができる、というところに行かないと、作り続けるという習慣性が出来ないんですよ。だからやはり鷲掴みで分かった上で作り続ける、つまり忍耐力が要るってところにも行く訳です。だから一般教養論的な意味で言う……なんて言うのかな、教養論という訓示? 僕の場合には喋れない。だから「分かってくれ」と言うしかないし、そして現にこの程度の試行錯誤をしたけれども、酷い言い方をします、『ガンダム』しか作れなかったんです僕は。ということは高が知れてるでしょ?
森田 いやいやいや……。
富野 いやいやじゃないんです。出来る作家は手塚治虫です。
森田 あー……。
富野 プロっていうのはあれだけやれて、ようやくプロなんですよ。プロっていうのはそういうものであるべきだから。この歳になって思えるのは、半分謙遜に聞こえるのかな、謙遜じゃないですよ、やっぱり挫折感しかないですもん。威張ってられない訳。オフレコで言い易い言い方がひとつだけあるのを今思いついたんだけども。
森田 オフレコはね(笑)。
富野 オンマイクでは喋れません。だけどオンマイクでは喋れない例え話があるんですよ、って言うくらいに言葉遣いが出来る様になったんです。なってこれですからね、って話です。
森田 でも挫折ってのは大事なことなのかもしれないですよね。
富野 「失敗は成功の母」だって言いますよね。絶対に若いうちに失敗するってことはしといた方が良い。それに尽きます。ここんところある雑誌でも人生相談みたいなことやってて思うんだけども(アニメージュ連載『富野に訊け!!』)、いちいちいちいちくさくさする相談事や何かをいただいたりするんだけれども、その程度のことだったらいくらでもしろ、って言いますね。やはりそれに耐え忍んでいかないと、死ぬまでのある寿命、というものを全う出来ないだろうな。人生を全うするってやっぱり「死んでいける様に死んでいったのね、あの人は」っていう風な死に方を以ってして初めて人生を全うしたと言える訳で。戦争で殺されてしまうなんて本当にもってのほか、以前の問題でもある。という風に考えていたとき、全うに死んでいけるというのはどれだけ幸せなことなんだ、っていう風に思わなくちゃいけないんだけれども。今この話をしながら僕すごく気にしてることがある訳。「死ぬ」という縁起でもない言葉を使いなさんな、っていう世間の言葉がある訳。僕これが本当に嫌なの! 縁起でもないんじゃないのよ。全うに死ぬって話は悪いことじゃないんだからね。っていう話が、なんでこうまで忌み嫌う様になってしまったんだろうか。やっぱり人類史というものは良い死に方というのをしてないからなんじゃないのかな、という気はします。これがやっぱり教えであって、少なくとも創作を志そうと思ったら今言った様な言葉遣いぐらいは出来る様になっておけ。という言い方はあります。このことがものの考え方とか感じ方をね、かなり歪めてきてるんじゃないのかな。という気はしてますね。この話をするとまたちょっと時間が長くなるので止めます。
森田 そうですね。どうも今日はありがとうございました。
富野 とんでもございません。
森田 最後に、次の世代の主役たちに向けて届けたい一曲をおうかがいしたいんですが。
富野 すごく嫌な曲名を言います。『パタン・パタン』です。シャンソンです。「パタン、パタン~♪」という曲が大好きです。今発音した通りです。これで始まる。邦訳で言うと「聞きなれない嫌な音がする。なんなんだろうか、私の背中に張り付いてきている」。エディット・ピアフの曲です。そんなレコードがかけらるのならかけてみろよ(笑)。
森田 是非。聴いてみたいです。
富野 なので、穏当な曲名を言えば『もえあがれ』です(笑)。
森田 富野さん、どうもありがとうございました。
富野 いろいろとご迷惑をおかけしてすいませんでした。
森田 とんでもございません。楽しかったです。

www.youtube.com

『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載時コメント

『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載時コメント

富野由悠季監督、83歳の誕生日、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』30周年おめでとうございます。
ということで、今年の恒例記事は『クロスボーン・ガンダム』30周年と合わせたこの記事です。

少年エース創刊号予告カット


ガンダムエースの30年年表からも漏れたのがこの予告カット。実は大阪の長谷川先生個展でも展示されていたので、一部のファンは覚えているのでは。
この予告版クロスボーンガンダムのツノが、X-3以降のクロスボーンガンダムのツノの原点とも言える。ポーズが『ゼーロイバー』お披露目のガンダムエース2024年12月号表紙と同じ。

『機動戦士クロスボーン・ガンダム』少年エース連載時コメント

1994年12月号(創刊号)

ガンダムを海賊にしたのは監督で船のフィギアはカトキさんのアイデア。ちなみにマントは私(長谷川)。

マンガ本編とは別のページでクロスボーンガンダムのカトキ稿掲載。

1995年1月

宇宙海賊のガンダムははじめてなのでたいへん緊張しています。後は長谷川先生におまかせ(富野)。

マザー・バンガードのカトキ稿掲載。

1995年2月

1/60Gガンダムのプラモデルを組んでみた。感動的なできばえ。特に手!(長谷川)

コアファイターのカトキ稿掲載。ガンダム以外のカトキ稿を見たことのある人はあまりいないのでは。

1995年3月

小さなアニメをつくったり、次のノベルズの企画をやったりして大忙しのこの頃です(富野)。

『ガーゼィの翼』あたりだろうか。

1995年4月

3月1日に単行本1巻が発売されます。どうか手に取ってみてください。よろしく。(長谷川)

第2話でX-1が使用した弾頭の解説。

正式名称を「ビームコーティングビュレット」といい、発射後は全体がビーム力場に包まれる大きな威力を持つ弾である。本来は厚い装甲をつらぬくための弾ですが、核爆発までの時間を稼ぐために使われた。

Wikipedia等では間違った記述がなされていることが多い。

1995年5月

私の小説「王の心」第1巻が出ました。血とSEXとバイオレンスの物語です。よろしく。(富野)

1995年6月

白状するが最近登場している変なMS群は、私のデザインによる。感想は編集部まで。(長谷川)

1995年7月

騒然とした世の中で、心の安らぎと癒しを求めるクロスボーン・ガンダムでありたい。(富野)

1995年8月

定期的に言ってる気がしますが、やはり言います。仕事ばっかりで他に何もできないぞ~!(長谷川)

1995年9月

オウム事件の影響を受けるのは残念だが、今回、予定していた宗教色を引っ込めることにした。(富野)

企画書にあったCVスタッフの信教要素、シェリンドンとクスモ・クルス教団の描写が控え目だった(ドレルも?)事情はこういうこと。

1995年10月

クロスボーン・ガンダムのガレージキットを入手しました。ひまを見て組み立ててみます。(長谷川)

1995年11月

僕にはガレージキットがない!ギリ少佐の部隊がでてもGガンにはなりませんからね。(富野)

1995年12月

休載

1996年1月

アシスタント全員をつれて焼肉を食べに行った。特上ロースをたらふく食べてストレス解消。(長谷川)

オリジナルMS大募集。

1996年2月

年越しは一人で寂しい。お友だちが欲しい。でも、仕事があるから、寂しがっていられない…。(富野)

1996年3月

1月号で募集したオリジナルMS。力作ぞろいで選考に頭をなやませている毎日です。(長谷川)

1996年4月

正月に3本仕事が重なり、登場人物が何人もクロスしたまま2か月。今も頭がパニックです。(富野)

オリジナルMS大募集総評

ひとつだけ良いアイデアがあるというMSがかなりあって、何とか採用したいと思っても、全体のバランスが悪いとか、現在のメカデザインの悪い影響だけうけてまとめようとするこざかしさがデザイン全体に現れていたりして点をあげられないケースがいっぱいあったのが残念。僕だけのガンダムを見たかったのだけど、それがなかった。(富野)
世間に500体以上のMSのデザインがある以上、ほかと見わけさせるのは大変だと思う。何か明確なモチーフがあるものを選びました。全体に武装のしすぎ(それもメガ砲を5門も6門もつけたMS)が目立ち、スーパーロボット化が進んでると感じた。(長谷川)

海老川兼武くん(東京都)のエレゴレラが有名だが、フリントの改良型ザンバスターや、X-3のスカルハートとバルカンも実は投稿デザイン。

1996年5月

OVA「妖精姫レーン」1・2巻を見て大笑い、ギャグが好きな方は見てみてください。(長谷川)

1996年6月

VTRになるか映画になるか分からない企画のストーリーが出来上がりつつあり、ヘバッテる。(富野)

『ブレンパワード』?

1996年7月

編集長に6月号の新MSをダイエーホークスのヘルメットだと言われた。アテナ像だって。(長谷川)

1996年8月

ようやく、ビデオ第一回作品の『ガーゼィの翼』が、完成しつつありまして、自信復活!(富野)

1996年9月

「ガンダムX」もいいけど、その後の「カーレンジャー」はおもしろすぎてハマってます。(長谷川)

1996年10月

原画のチェックとワープロ打ちで、連日仕事場は蒸し風呂状態です。もう秋なのに…。(富野)

1996年11月

SF大会で、九州の小倉に行ってきました。大盛況で、お世話になった方々に感謝です。(長谷川)

1996年12月

OVA「ガーゼィの翼」の3巻目のコンテを脱稿したのですが、あと2巻ぐらい足りないなあ。(富野)

1997年1月

カトキハジメ氏のクリーンアップによるモビルアーマーが完成。すごいの一言です。(長谷川)

1997年2月

「ガーゼィの翼」のチェック、新しいロボット物の企画、ミニ文庫のノベルスと、時間が欲しい!(富野)

『ブレンパワード』と『密会』か。

1997年3月

いよいよ最終回。これでMSたちともお別れかと思うとうれしいやら名ごりおしいやら。(長谷川)

なお30年後も『クロスボーン・ガンダム』からは逃れられないもよう。

FLYING HEART 9月1日・9月8日放送分 ゲスト 富野由悠季

FLYING HEART 9月1日放送分 ゲスト 富野由悠季

radiko.jp

石井竜也 よろしくお願いいたしします。
富野由悠季 こちらこそよろしくどうぞお願いいたします。
石井 富野監督は「ガンダムの生みの親」というよりも、日本のアニメ界を作ったという、そういう立役者のひとりだなって。
富野 うん、そういう意味では第一世代の人間です。どういう風に食べていこうかと考えて、アニメの仕事しかできないからやったわけね。アニメの仕事をやりながら何を覚えたかというと、「映画的にものを作ることはどういうことか」ということを覚えたわけね。そうすると、「スポンサーの言いなりに作る」とかってことをやってみせるわけね。まだ始めは自己主張がないんです。そういうことろから始まっていく仕事をしました。こんな話してて良いんですか?
石井 良いと思いますよ。やっぱり今これからアニメをやりたんだ、監督なりたいんだ、っていう人も聴いてると思いますし。自分を最初からドシドシ出していっても、世の中って上手くいかないんだな、って。
富野 絶対にいかない、絶対にいかない。だから本当、涙を流してこらえるっていうのは、スポンサーがいてくれるから、我々フリーランスの仕事師が仕事をできたんです。50年近く。そういう意味では本当にありがたいと思ってますんで、スポンサー様様だと思ってますが、が、利用させてもいただきました。
石井 あー、ただただ飼い犬のようにそれをやってもしょうがないですからね。ある程度自分の主張とかあるわけですからね
富野 あるときは嘘ついて『ガンダム』を作るようにしました。どういうことかと言うと、「全長22mのロボットは巨大じゃないだろ、マジンガーZ80mなんだぞ」「巨大なんですよ、それは分かってください。どういうことかと言うと、5階建てのビルと同じ高さは小さいですか?」っていうことでスポンサーを黙らせました。
石井 成程ね。「5階建てのビル」って出してくるところがまた商売人臭いですよね(笑)。
富野 だって商売やってるんだもん(笑)
石井 プロですからね。
富野 はい。そういう口の利き方をして、スポンサーを騙すわけ。
石井 言葉遣いも使い方次第で、プロかアマチュアになっちゃうよ、ということですね。
富野 そういうことです。だから僕の場合はいつも視聴率の取れない番組を作るようになっちゃったんで、ほとんどの僕が「総監督」というかストーリーを握ってると、途中打ち切りになる。ということで、打ち切りになると次の仕事が来ないわけじゃないですか。そうすると生活に困窮するという歴史がずっと続いていた。現在までも。
石井 確か富野監督は虫プロに在籍してたこともありますよね。
富野 勿論。
石井 あのときはおそらく相当火の車でやってたんですよね
富野 火の車ですよ。だけどそれは日本で初めて毎週「テレビまんが」を作んなくちゃいけないわけだから。こんなひどい作品でもオンエアしてくれてたという意味では、命拾いしたし。手塚治虫が原作で手塚治虫のプロダクションでやってるのに、いつの間にか手塚治虫はいなくなるわけですよ。我々で作らなくちゃいけない事態にも追い込まれたりもしてたって時代もあったので。
石井 手塚先生って3人くらいいたんじゃないかって思うんですよね。連載4本くらい持ってたじゃないですか。
富野 そう。
石井 しかも毎週『アトム』もやってるわ。
富野 全然違うものやってるわけ。気の持ち方にものすごく胆力があった。て言うか気力が途切れませんでしたね。
石井 医学の知識とかものすごい。
富野 そういう意味では大変な勉強家だったし、その上で一番びっくりしたのは「この人は本当にやきもち妬きなんだ」ってことを知った一番の局面は、永井豪って漫画家が出てきてて。『ハレンチ学園』みたいなのをやってるときとか、白土三平みたいな漫画家が出て。要するに時代劇をリアルな絵で描き始めたときに、嫉妬するんですよ。それであれと同じものを描くです。
石井 あるドキュメントを見たときに、手塚先生が「何か俺は下手なんだよね絵が」って悩みこんでいた画を見たときに僕はショックだったんですよ。こんな巨匠が「俺の絵は下手だ」って悩み込んでいる。どういうことなんだろうって思って。
富野 そのことは僕も入社して三か月後くらいのミーティングで、ご本人から聞きました。打ち合せしている途中で突然ね、「俺絵描けないんだよね」って。は?
石井 (笑)
富野 本当なんですよ。確かにね、漫画絵しか描いてなくてリアルな絵を描くと下手なんだよねこの人、というのはあった。だからリアルっぽい絵を描くと、何とか白土三平を負かしたいと思ってるわけ。
石井 『アラバスター』とかね。
富野 そう。本当にむきになってやってやるという意味の、なんて言うのかな、敵愾心を持つことが、あの人にとっての創作の原動力みたいになってたな、ってのは身近に見てちょっと驚きました。

石井竜也『RIVER』(『機動戦士ガンダムSEED』ED2)

富野 実を言うと僕はあまり考えることをしないでアニメの仕事をやってきちゃったんですよね。というのが一番根本的なとこにある。どういうことかと言うと、スポンサーの言いなりに作るとか、作らせてもらったら無条件でその仕事をやらくっちゃ暮らしていけないからやってたにしか過ぎない、という言い方があるんです。だからアニメの作品のことを自分が関係したもののことをあんまり覚えていない。なんの仕事でもできるようにしようと思う、そうすると、前にやった仕事を全部忘れる。そうしないと『オバQ』のコンテは描けない。ロボットものをやった直後に『オバQ』のコンテを絵が描かなくちゃいけなくなったとき、とても辛いわけです。だから前のものは全部忘れる。『オバQ』みたいな作品はそうなんだけれども、作品を作る肝みたいなものがあるわけです。そういうものをきちんと自分が演出することができるのかな、ってことをやると、「『オバQ』ってなんなのだろうか」から始まる。漫画をこちらに置いておいて、こんな風に藤子不二雄がやっているのだからそれを真似れば良いだけのことなんだけども、真似で済んでられないんですよ。「紙芝居みたいなテレビまんが」だと言われてる時代でも、やはり時間を追って変化するという意味で映画的なんです。映画的なリズム、見せ方というのを考えていかなくちゃいけないときに、オバQのアップを描くのと、巨大ロボットもののロボットのアップを描くのはものすごく抵抗感が違うわけ。抵抗感の違いをどういう風に理解して、オバQのアップが使えるのかというときに、コンテ用紙に描いたときにこんなの画じゃないとも思うわけね。だけど子供たちが見るものなんだからこれで良いらしい。そうすると、オバQのアップをどういう風に動かすのかというのと、巨大ロボットものアップをどういう風に動かすのかっていう意味性が発生するんです。
石井 子供の頃にものすごく秘密が知りたかったことがあるんです。『オバQ』観てて、めくったらどういう風に足がなってるんだろうと思って。それで眠れなくなっちゃったりとか。『あしたのジョー』の髪の毛がどっちを向いてるのかとか。
富野 (笑)
石井 アトムの髪型、どこにくっついてるんだろうとか。シャンプーで親父にやってもらうと、親父は真ん中に付けるんですよ(笑)
富野 (笑)。あれね、まさに髪の毛の位置とかっていうの、本当に不思議に思うんだけれど、実を言うと、オバQの演出もやったからなんだけど、あそこを捲ろうって思わないんです。絶対に。
石井 子供は思いますよ(笑)。
富野 いや、石井さんはそういう風に考えたわけね。僕そういうこと一度も考えてませんでしたよ。瞬間でも考えなかった。
石井 間違ってる?
富野 間違ってるんじゃないんです。アニメの仕事やる人、そんな風にものを考えるとか、感じることは一切しません。絵にあるものをそのまんま受け入れるんです。まんが絵の記号というのがあって、それを迂闊に変えてしまうとアトムに見えなくなる。それだけのことです。
石井 ああ、マークなわけだ。
富野 そうです。一番分かり易いことで言うと、アニメに出てくる登場人物というのはファッションが絶対に変えられないんです。
石井 毎日ね。同じ格好して。
富野 昨日着てたものを続けて着てる、もう一週間着ている、みたいな話に気が付いちゃったら最後、アニメの仕事ってできなくなります。
石井 トリトンが海からバーッって揚がってきて、急に風になびいている。マントとか(笑)
富野 うるせーよ。
石井 なびかねーだろ。
富野 うるせーよ。
石井 すいません(笑)。
富野 うるせーよ。『海のトリトン』やったの私ですからね。
石井 『海のトリトン』は音楽素晴らしいですね。歌えますね。
富野 だけど、仕事師としてメインテーマの曲とBGM、テープ初めて聴かされたとき愕然としましたよ。どうしてかと言うと、あんなタイプの曲って今までアニメで使ってなかったんです。
石井 そうですね。
富野 『海のトリトン』にこの曲合わないんじゃないのかな、って正直はじめ絶望感があったの。
石井 『海のトリトン』はお話も素晴らしかったんですけど、男の子も女の子も観れちゃうっていう、はじめてのユニセックスな漫画だなって今思うんですけどね。
富野 それに関して言うと、『海のトリトン』で僕が初めて経験したことがある。トリトンとピピの関係っていうのは、当然実を言うとセックスのことを考えたわけ。人魚のセックスとトリトンの関係ってのは本当にあるんだろうか、ということが実を言うと、あの演出で生まれて初めて思春期のセックスのことを考えざるを得なかった。それを無視するわけにもいかなくって。それで敵味方の、つまり怪獣をやっつけていくだけの話にしたんだけども、いやこれだけで終わられたらマズいんだよね、っていうことで最後にどんでん返しをやっちゃったということで、原作にないことをやっちゃった。それはどういうことかと言うと、ある民族が根絶やしになった、根絶やしにされたのはトリトン族がいけなかったんだ、ということで、トリトンが今まで追いかけられていたモンスターたちというのは実を言うと恨みを晴らしに来て最後の生き残りのトリトンを殺しに来た、という事実をトリトンが見ちゃった、という。僕自身『トリトン』の仕事で手塚原作にないそういう要素を入れていくことをやったおかげで、その後高畑監督の仕事を手伝わなくちゃいけなくなったときに、『アルプスの少女』が始まるんだけども、ものすごく抵抗感がなく高畑監督のお仕事を手伝わせてもらえるということになってきた、というのがあります。
石井 富野監督の音楽のチョイスが素晴らしいですね。
富野 僕は選んでないんです、一切。音楽ディレクターが別にいるんです。
石井 音楽ディレクターがいるにしても、それをOKと言うのは監督の仕事でしょ?
富野 勿論そうです。初めて『ガンダム』のときに渡辺岳夫先生の素敵なBGMを聴かされたときに、正直げんなりもした。げんなりもしながらも、すごさも分かった。
石井 僕はガンダムの形ってのは、ガンダム世代はみんな車のデザインに入ったりしてると思うんですね。車の形がどんどんガンダムの形になっていくんですよ、日本車が。それが売れたことによってヨーロッパ車が、あれだけにゅるんとした形が好きなヨーロッパ車がガンダムの形してるんです。
富野 そういう目線があるんだ。へぇ~。とても面白い視点なので参考になりました、っていう褒め方しかしてないんだけども、成程ね。言われてみればそうですね。『ガンダム』のときのデザインで僕が一番好きなのは、「一つ目でやってもらわなくちゃ困るんだよね」ってオーダーを出したのは僕なんですよ。それで作られたのがザクなんです。だから僕はザクの方が好きなの。なのにガンプラでザクよりもガンダムの方が売れてるってのは気に入らないわけね。
石井 しょうがないですよね。主人公ですから。
富野 しょうがない。だけどデザイン論的に言えばザクの方が良いんだけどもな、何故なんだろうな、っていうのはもう45年間の疑問です。
石井 ザクは東洋人ですよね。
富野 (笑)
石井 ガンダムは白人ですよね、確実に。
富野 へぇ~。そうだね。そう聞くの初めてだから。
石井 肩幅があって手足が長くって。
富野 白いもんね。
石井 そう考えたらハッキリしてるなって。おそらく日本人が思うところのカッコいいって美学が外国人の、僕らが言う白人、北欧の綺麗な9頭身みたいな人たちを思うようになっちゃってから出来たアニメが『ガンダム』なんですよ。その『ガンダム』に影響された人たちが色んな業界に入られていて。
富野 そうそう。
石井 それで『ガンダム』に影響されてからその美学になっちゃってるから。だからどんどんそういう形になってったんだろうなと。
富野 だからワールドワイドに広がってったんだ、成程ね。へぇ~勉強になりました。
石井 富野監督が目指していたところとは?
富野 基本的にポリシーがあって。子供に対して嘘をつかない。絶対に嘘をついちゃいけない、っていうのはどういうことかと言うと、その場限りの理屈で物語を展開する、ってことだけは絶対にしちゃいけない。ということをやりました。それだけのことです。そうしていったときに、なんとなく「トミノカラー」的なものっていうのは巨大ロボットものでもあるよね、みたいな評価を受けるようになったりして、40何年経つとガンダム第一世代が50代に入ってるわけです。そうするとあらゆるジャンルにファンがいるんですよ。
石井 と言うか文化ですよね。
富野 そういう事態を見たときに、やっぱり嘘をつかないで良かったな、っていう回答を全部視聴者からいただける。という経験が特にこの20年くらい。この場合の20年とはどういうことかと言うと、僕はもう80過ぎてますから、60代70代になってからそういうことを教えられえるんです。本当に命拾いをしたな、っていう風に思ってるので、テレビまんがの仕事をやってきたということを恥じないで済む、という意味ではとてもありがたいなと思ってます。
石井 僕そのお言葉を聞けただけでちょっとウルッときましたよね。今週はありがとうございました。来週もですね。
富野 お呼びいただければ翔んで行きます!

石井氏の番組に富野監督が出演するのは2006年12月10日の『MUSIC ALIVE』以来か。
その際石井氏は「富田監督」「ゼットガンダム」の迷言を残している。

FLYING HEART 9月8日放送分 ゲスト 富野由悠季

radiko.jp

石井竜也 少年時代はどんな? ちょうど戦後すぐって感じ?
富野由悠季 戦後すぐじゃないですね。すぐではないけれど、とにかく僕は漫画を本気で読み始めたのが『鉄腕アトム』なんですよ。僕が小学校5年のときに『少年』っていう雑誌に連載が始まったのが『鉄腕アトム』なんです。それでその『鉄腕アトム』の1回目を読んで「ゲッ」と思っちゃって。「こんな近代的な漫画が出てきた」。初めてなんです、ファンになった。漫画家にもファンになったし、作品にもファンになったの手塚治虫が初めてなんです。だから『鉄腕アトム』があったおかげで、それから手塚治虫という漫画家が変なもので、世界名作ものみたいなもの漫画で単行本で描いてくる。貸本屋で借りられたんです。だもんで、ドストエフスキーの作品(『罪と罰』)というのは手塚漫画で教えられた。中学1年2年のとき。そして『鉄腕アトム』もあるんだけれど、ロシア文学の作品というのがこんな風なものがあるんだ、というのも教えられて。『罪と罰』なんて人殺しの話なわけです。そういうのを漫画に描いちゃう、という手塚治虫って何なんだろうか、という風にその瞬間に漫画家って文学者と同じレベルにポンと上がっちゃったのね。
石井 確かにそこは手塚先生のすごい大きな功績ですよね。
富野 そうそう。それでおっかけちゃった中学3年間というのがあって。中学3年まで『少年』って雑誌を僕は買えないので、弟二人いたので弟たちに買わせながら『鉄腕アトム』は高校3年間ずーっとフォローしてた。その上で大学に行って4年経ったら虫プロでしょ(笑)? っていうようなことで「あれ? 俺ってこんなに一本線で幅が狭くって良いんだろうかな」っていうことをちょっとだけ、ブレたんだけれども、ひとつだけ『鉄腕アトム』の仕事をやって「やはりこれで良かったかもしれない」ってのは、日本で初めての仕事だった、っていうことがあったので、地獄の忙しさだったんだけれども、あの『鉄腕アトム』僕の場合は3年間です、『鉄腕アトム』を作るということをやって。その後で端で『ジャングル大帝』が始まったときに、次は『リボンの騎士』をやるってときに、「『リボンの騎士』を手伝わせてもらえるかな」って思ったんだけれども、思ったんだけれどもで重要な話があるの。『リボンの騎士』もそれほど嫌いな作品じゃなかった。先週のお話のモノセックスの話。
石井 ものすごい早い取り扱いですよね。
富野 『リボンの騎士』でいわゆる「少女」というものと、「男と女がいるんだな」ということを教えられたのが『リボンの騎士』なんだよ。それの反映があるから、『海のトリトン』をやるときに「人魚のピピの問題とトリトンのセックスの関係って何なんだ」っていうのを考えたんだけども分かんなかった、っていうので終わっちゃった。だけど、まさに僕にとっては手塚作品があったおかげでこういう風な、つまり手塚以後のアニメ作家ということでトミノみたいな変な奴が出てきた、ということは手塚先生がいたおかげでこういう風になったんだな。今こうやって初めて、こういうストラクチャーで話したの初めてなのね。自分でもびっくりするもん。
石井 僕は逆に富野監督の人間の大きさを感じますよ。
富野 ありがとうございます。だけど、それは僕の問題じゃなくて手塚っていう漫画家が本当に僕にとっては文芸作家でしかない、という意味でのやっぱり巨匠だった。それで実際に虫プロに入ったおかげで先生とも直に話ができるようにもなって。むしろ僕の名前を手塚先生が覚えてくれたのは虫プロを辞めてからなんです。『海のトリトン』をやって手塚原作を全否定した。ということをやった後で、手塚先生に好かれるようになった(笑)。って経緯があるんです。僕は『リボンの騎士』も2本ぐらいコンテだけをやったんだけれども、その後で虫プロ辞めちゃった人間なんですよ。辞めたのにもいろんな理由があるというよりも、『ジャングル大帝』があって『リボンの騎士』をやって、この後手塚原作で虫プロでやってく仕事っていうことが、っていう風にお仕事として見ていったときの虫プロダクションの体制とか、そこに集まったスタッフ、いわゆる想像力がない人の集団なんだ、ってことが判ってきたときに、本能的に「この空気に染まったらフリーでやってくときに食ってけない」っていうのは嗅ぎ分けることができた。事実、虫プロ辞めて3年目くらいのときに別のプロダクションに行って「仕事ください」ってもらいに行ったときに、一番始めに言われたのが「あっ、あんた虫プロ出ね」。つまり虫プロ出の演出家というのは使えない、使いものにならない、っていう。
石井 おお~。
富野 他のプロダクションから見たときの目線があるんですよ。
石井 何だろう、お金使いすぎる、みたいなのがあるのかな。
富野 違います。基本的に演出能力がない。それだけのことです。
石井 そうですか(笑)?
富野 そうです。そういう風に言われて「ヤバいな」と思って「内部で頑張りますのでこちらの仕事やらせてもらえませんか」って話して。ムキになってコンテ切りましたもん。それってどういうことかと言うと、映画的に演出するとはどういうことか、っていうことを悪口を言われたプロダクションに対してムキになってやって。そこの仕事がコンスタントに取れるようになってきたときに「虫プロ出をバカにするんじゃないよ、舐めるんじゃないよ」っていう意味をぶつけるプロダクションが3つくらいあったんです。その4つ目くらいに高畑(勲)監督がいるプロダクションの仕事をもらいに行って。「え? 『アルプスの少女ハイジ』をやれる自身ある?」って言われて。「やります」。無条件です。そのときにいきなり高畑監督が出てきて。「あの、このシナリオ。はい。コンテよろしくね」って。何にも言いませんからね。逆に言うと高畑監督の場合手塚とは全然違うタイプの方で。何にも説明しないんですよね。シナリオ読んで「何か問題あります?」「それなりに形になってるシナリオだと思います」「はい、けっこうです。あとはコンテ上げてきてください。一週間後にコンテください」。それだけなの。
石井 『ハイジ』から日本のアニメーションの形が変わってきたなと僕は思うんですよ。それは何故かって言うと、蝋燭の火を持ってる顔の影が変わったんですよ。『ハイジ』から。
富野 (息をのんで)そういう見方をするんだ。すごいね。
石井 それまでのアニメってのは蝋燭がただ光ってるだけで。顔の影も何もないんですよ。
富野 それともうひとつ。影が動かないの。
石井 『ハイジ』はちゃんと動いたんですよ、おじいちゃんの顔の。
富野 あれは宮崎(駿)監督の仕事です。
石井 すごいですよね。俺あそこから日本のアニメーションは一段上がったと思いましたね。
富野 そう。
石井 例えば新海(誠)監督とかも名作いっぱい出してるじゃないですか。
富野 うん。
石井 ああいうのを観てると、やっぱりすごく現実的なところから出発する話じゃないですか。
富野 はい。
石井 僕らの世代で言うとスポ根ものですよね。
富野 僕の場合スポ根の話で『巨人の星』かなりやってるんです。
石井 そうなんですってね。俺それ聞いてびっくりして。
富野 『巨人の星』のときの総監督ってのは長浜(忠夫)監督って人で。この人がまた変な人なの。どうして変な人なのかと言うと、なまじ人形劇をやっていて、アニメの演出を始めてシリーズの仕切りを任せられたの。そのために映画的に演出をするってことをものすごくムキになって全部説明してくるんです。『巨人の星』は野球の話じゃないですか。「グラウンドの広さの中でもホームベースとベンチの距離から何から含めての歩数まで気にしてるようなコンテを切ろ。梶原(一騎)原作をとにかくきちんとアニメにしなければいけない。だけど星飛雄馬なんだぞ」っていう仕事なので、やっぱりかなり擬人化的にアニメっぽい、漫画っぽい大魔球を投げなければいけない星飛雄馬みたいな、あんなピッチングなんか誰ができるの? ってことを要求するわけ。じゃあ漫画的にやれば良いのかというと、長浜って監督は実写を目指しているんですよ。それこそちゃぶ台返しみたいなことをやったときに「これ四畳半だろ。四畳半の広さを八畳にしてもらっちゃ困るんだよね」っていうようなことをぶつけられるわけ。『鉄腕アトム』の時代にね、八畳の部屋で芝居をするっていう観念なかったんですよ。
石井 未来の話ですからね。
富野 『巨人の星』初めてね、「三畳間と四畳半と八畳の広さ、意識してコンテ切ってくれ」。っていう縛り。だからしょっちゅう直しをくらってました。「富野君、このコンテおかしいから直して。ここでやってってね。一時間経ったら取りに来るからね」っていうような仕事のさせ方をしてもらって。
石井 でもあれがきっかけで『あしたのジョー』が出てきて。
富野 そう。
石井 いろんなスポ根ものが広がっていくわけですよね。
富野 そう。
石井 富野監督が手掛けたものってのは、必ずそこから花が開いていく感じがしますね。話聴いてると。
富野 それは違うの。僕はその当時フリーになって生活をなんとかしなくちゃいけない。いろんな作品をやってただけの話なの。作品を選ばず。だからそういうことをやってたんで、たまたま。まだあの当時は今ほどアニメの本数も多くなかったから。それはこうやって波及効果ありますわな。だからそういう意味ではなんだかんだ言うけど恵まれた環境の中でいろんな人とお付き合いさせてもらって。何より高畑・宮崎みたいなああいう監督、つまり現在まででアカデミーで特別賞もらっちゃうような人と仕事させてもらった。っていうオーラは感じましたもんね。
石井 自分の前に与えられたものをどういう風に料理していったら良いんだ、ってのをたぶん富野監督は常に考えてた人なんじゃないかなと思うんです。
富野 いや、考えたんじゃなくて、そういう人たちに教えられました。だから受け入れるということをどうするかとか、オーダーに対してどう応えるか、っていうことをかなりムキになってやらされた、っていう結果があったんで、やっぱり『ガンダム』みたいなものが作れたんだよね、っていう自覚がありますね。ひとりでは作れません。だからそういう意味では仕事というのは選んじゃいけない。「俺はアーティストだからこれをやります」じゃなくてね。やっぱり「オーダーに対して応えられる、っていうのがプロなんじゃないのかな」っていうのは僕の意見(笑)。
石井 僕もそう思います。僕もラテンでもなんでも歌っちゃいます(笑)。
富野 (笑)
石井 「何でも屋」って言われてますけどね(笑)。ここで曲行きたいんですけど。僕の好きな『海のトリトン』で。きっと『海のトリトン』って言うと「GO! GO! トリトン」を発想する人が多いと思うんですけど。
富野 そうです。
石井 今日はですね、『海のトリトン』のED曲を知ってる人ってもうそろそろいないんですよ。
富野 はい。
石井 僕はこの曲は素晴らしいと思って。
富野 (拍手)
石井 うちの妹が大好きな曲でもあったし。
富野 (笑)
石井 僕もすごくクラシックを感じるというか。
富野 はい。
石井 高い音楽を使ってるなというイメージがあったので。みなさんに聴いていただきたいと思います。
(須藤リカ、南こうせつとかぐや姫「海のトリトン」)
石井 オーケストラとガンダムを流して、観客が観る、そういう形式(シネマコンサート)がひとつのジャンルに。
富野 なりつつありますね。
石井 そういうの考えてると、アニメの世界っていうところを飛び出して、音楽の世界とかファッションとか、車の顔がガンダムになってるとか。そうやってアニメっていうたったひとつの媒体がいろんな媒体に影響を与えてる。これはすごいことだなと僕は思うし。それだけインパクトもあったんだなって気がします。
富野 発祥の地である日本、つまりJapanの持っている、何て言うのかな、意外とワールドワイドに対応できるだけのセンス? みたいなのを持っているという意味での日本人のマインド、っていうのはこれは我々自己卑下する必要ないんじゃないのかな。現に今、音楽の世界でも日本発信というのを持っている。つまり極東から出てるものがこういう風に世界中をぐるっと伝わってくってのは、何かとても素敵な感じがしているな、というのもあるし。だからなんです。ちょっと今嫌なのは、自分がこの歳になっちゃって、「え、俺様は何を発信したら良いのか分かんない」。時代のギャップが(笑)。
石井 もう発信したんですよ!
富野 したいの! これからもしたいの(笑)!
石井 これからもしていただきたいですけども。相当すごいものをしてるんですよもう! 既に!
富野 そうか。
石井 世界中の人は「Mr.Tomino」っていう世界で生きてるんですよ、みんな。
富野 あんまりそういうね、褒めてくれないよ周りは。
石井 それは言わないでしょう、面と向かって(笑)。
富野 (笑)
石井 俺だから言うんですけど。そりゃそうですよ、だって逃げられないもん。
富野 うん、だから僕は逃げるつもりはないんだけれども、誰もそういうの教えてくれないの。
石井 いやいや、監督が作った世界でみんな生きてきたんですよ!
富野 はい、成程ね。分かった分かった、分かった!
石井 是非そんなことは言わないでいただきたい。
富野 だけどこれからも発信したい!
石井 はい、是非もうガンガンやっていただきたいと思いますけども。
富野 だけどガンガンやるだけの体力がなくなってるっていう問題があるわけね。
石井 でも富野監督だったら「そこを横に行って右に行って(酔っぱらいっぽく)」って。
富野 いや、いや。
石井 それで良いんじゃないですか(笑)。
富野 ほんとすごいね。
石井 もっと暗くして、うんうん、ガンダム入れないから……。
富野 (笑)。あなたはトミノじゃないんだから(笑)。
石井 あ、すいません(笑)。そろそろお別れの時間なんですが、二週間に渡って貴重なお話ありがとうございました。
富野 とんでもございません。
石井 これからアニメを志す人間がいっぱいいると思うんですよ。今の若い奴らの夢のひとつだと思うし。そういうものの根っこを作ってくださった。とてつもなく偉業だと僕は思いますよ。
富野 ありがとうございます。
石井 やっぱり木が大きく成長できるのは、根っこが深く地中にあるからこそ、高い木が作れるんですよ。
富野 偉いねぇ。そういうの言えるってスゴいねぇ。
石井 いやいや。
富野 本当大人になったねぇ。
石井 ありがとうございまちゅ(笑)。
富野 (笑)
石井 というわけでございまして、二週間に渡ってゲストは富野由悠季監督でございました。ありがとうございました。
富野 本当にお呼びいただきましてありがとうございます。
石井 これに懲りずまたどこかで。
富野 全然懲りてない(笑)。

君は富野喜幸演出『紅ばら・白ばら』を知っているか

富野由悠季監督、82歳の誕生日、令和5年秋の園遊会招待おめでとうございます。

君は富野喜幸演出『紅ばら・白ばら』を知っているか

富野喜幸演出児童向け作品は『しあわせの王子』だけではない

『富野由悠季の世界』展において、会場外で『しあわせの王子』が上映されていたことは記憶に新しい。
『富野由悠季全仕事』、『富野由悠季の世界』図録にも載っていないが、富野監督の児童向け作品は実はもうひとつある。それが今回紹介する『紅ばら・白ばら』だ。

『紅ばら・白ばら』概要


原作:グリム童話
製作:共立映画社、和光プロダクション
企画:小野国三
製作:江川好雄、高橋澄夫
脚本:大島善助
アニメーション:和光プロ
演出:富野喜幸、野村和夫

制作:佐藤光雄
原画:昆進之助
動画:池田純一、島崎おさむ
美術:新井寅雄
背景:アイプロ
色彩設定:若井喜治
仕上:スタジオ ライフ
撮影:佐藤均、角田秀一、武川昌志
上映時間35分
文部科学省選定、厚生労働省中央児童福祉審議会推薦

『しあわせの王子』同様に教育機関向けにリリースされている。
下記の『しあわせの王子』と見比べるとわかる通り、ほぼ同じ座組なので、ハゼドン以降~1974年?前後に同タイミングで制作されたのではないだろうか。もしかしたら他にも富野喜幸演出児童文学作品があるのかもしれない。メディア関係の方々、ぜひ富野監督に取材してほしい。

『しあわせの王子』概要

原作:オスカー・ワイルド
製作:共立映画社
企画:小野国三
製作:江川好雄、高橋澄夫
脚本:大島善助
アニメーション:和光プロ
演出:富野喜幸
作画監督:辻伸一
撮影:広野正之、佐藤均
進行:山口信次
原画:野部駿夫、猿山二郎
動画:南家講二、中村孝
美術:ジャック
色彩設定:若井喜治
仕上:水上八重子
音楽:西山真彦
効果:畑中健三
声優:納谷六郎、堀絢子ほか
協力:日本映画教育協会
文部大臣賞、厚生大臣賞、文部省選定、厚生労働省中央児童福祉審議会推薦、第22回教育映画祭最優秀作品賞、優秀映画鑑賞会推薦

実物大νガンダム立像 オープニングセレモニー 富野由悠季監督ビデオメッセージ

実物大νガンダム立像 オープニングセレモニー 富野由悠季監督ビデオメッセージ

www.youtube.com
富野監督ビデオメッセージ部分のみ文字起こししました。

富野 こんばんは。福岡の皆さま、それから配信をご覧の皆さま。ガンダムシリーズの原作であり、総監督を一応やってました、富野由悠季です。今回、三井ショッピングパークらららぽーと福岡開催にあたり、実物大のνガンダムが建設されましたので、ご挨拶させていただきます。
ご覧の通りの大きさになったのは、元々が宇宙空間で建築現場の作業用のロボットとして作ったものです。ですからここで作業する操縦者というかパイロットはひょっとしたら2、3日閉じ込められているかもしれない、ということの可能性もあったので、こういう大きさになってしまいました。
映画の『逆襲のシャア』では、地球の汚染を防ぐためにνガンダムが戦ったためにです、結局特攻作戦になってしまって壊されてしまいました。
今回のνガンダム(RX-93ff)というのは、(オリジナルRX-93の)設計図面は残ってた様なので、それから再現をした、という設定で作られましたので、映画版のνガンダムとはちょっと形が違ってる部分はあります。が、それも大人の事情ということではなくてむしろ今回会場に実物大で建っているものは、戦った後の状態になっています。どういうところが戦った後というのは、映画版との違いを見比べてください(笑)(おそらくカラーリングのこと)。ただ、実際に今言った様なことを想像して作られたものが、実物の実際の形としてこういう風に展示されることができる様になった、という意味では、ものを考え想像するということがこういう実体として手に入れることができる。そしてひょっとしたら動くかもしれないという可能性も示している、というものがガンダムシリーズの結果として現れています。具体的に現在只今横浜でやや動くガンダム、というものが展示されているということも含めて、この大きさのものが動くということがどういうことなのか、ということも想像していただけると嬉しいなと思っています。
ともあれです。一番大事なことはです。絵空事であったものがこういう実際の形にすることができた。それで実際の形にしてみたら、「あれ、アニメで見るのと違う印象、ボリュームがある」と感じる様になりました。実際に動かすことをやってみた時に、大変大きな発見もあります。つまり全長が17mとか18mの大きさのものというのが、素早く動かすということがとてもできないんです。それをむしろ動くガンダムっていうのを作る上で判っていった時に、一番知ったことはどういうことかと言いますと、この大きさのものっていうのは優しく動くんだよ、ということを教えられた。だからそういう意味ではガンダムの様なものが兵器として使われるものでは絶対ない、という風な全く違う視点というものも獲得することができたということです。。今ここにある実物大のνガンダムを見るということで、今言った様なことも想像することができるという意味では、本当にやはり作ってもらわなければ分からないことなんです。本当に作ってもらうことができ、尚且つこういう場所があるから展示することもできるんです。そういうことを可能にしてくれた関係者の方々の作業や努力に対して本当に心からお礼を申し上げます。こういう風なものを見て楽しんでいただくと同時にです。三井ショッピングパークららぽーと福岡にいらしていただいた方々には、所謂体感型のアクティビティのイベントというのもありますので、そういうもので体も動かしながら、ものを想像するということも一生懸命考えてくれる様にしてくれるとありがたいなと思います。そしてお子たちはです、そういうことはできると思ってます。ので、こういう環境を提供してくれて本当に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。今日この様な形でご参照くださいまして感謝します。何よりもです、関係者の方には本当に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

富野由悠季監督次々々回作『ヒミコヤマト』情報まとめ

富野由悠季監督次々々回作『ヒミコヤマト』情報まとめ

まとめ

  • 富野、福井、角川春樹の企画『卑弥呼大和』がベース。アニメ版『リーンの翼』のベースでもある。
  • 劇場版『Gのレコンギスタ』後の富野監督新作3本の3本目。おそらくサンライズ1st制作。
  • もし戦艦大和が兵器でなかったらものすごく素晴らしいものになったのではないか、という夢を描く物語。卑弥呼は富野監督考案和名「弥生姫」として登場する。
  • 海底のバラバラになった戦艦大和を卑弥呼が再生させるところから始まる。復活した大和が東京に来る。
  • 現代的な登場人物としてYoutuberの女性やブロガー、小保方晴子氏の様な女性が大和に乗り、ヒミコを通して語られる。
  • ラストシーンは決まっていて、『Gのレコンギスタ』の様な内容。福島原発の処理論をやって終わらせる。

以下時系列順にソース。

リーンの翼 オフィシャルガイド Road to Byston Well 富野由悠季×福井晴敏対談

福井 『卑弥呼大和』っていう企画を、監督と角川春樹さんと僕の三者で動かしかけていたじゃないですか。戦艦大和に卑弥呼的な、源日本的な何かが取り付いて、現代の東京をしかりにやってくるって話。『卑弥呼大和』っていう企画自体は、諸々あって頓挫したけど(ブログ注:おそらく角川春樹氏の服役)、でも我々三者の間ではくすぶっていたんですよね。それが僕の『ローレライ』や、角川さんの『男たちの大和』、そして『リーンの翼』の源流になっている。
富野 うん。実は『卑弥呼大和』を思いついた時に、バイストン・ウェル的なものをもう少し、今の言い方で言うとリアルなモノにしたかったという思いはありました。バイストン・ウェル的なものが僕の中にあって、そのバイストン・ウェル的なものっていうのは土着の精神なんだろうと。ならば、僕ももうちょっとだけファンタジーの世界を触ってもいいんじゃないかと思う。小田原って罵られようが(笑)。もう少しだけ、日本の風を吹かせたいっていうのはありますね。

富野由悠季の世界 兵庫会場限定展示


のちに富山会場で12枚に倍増展示。

東京新聞 ガンダムの「生みの親」が語る戦争「ミリタリーは妄想、かっこよくない」「小さき者の視点、自覚を」

次の企画に戦争は出てこないが、戦艦大和は出てくる。形にできるか分からないけど。

グレートメカニックG 2020年秋号 富野由悠季監督インタビュー

  • 富野展神戸で展示された「卑弥呼大和」がベース(福井氏関与には言及せず)。卑弥呼大和は東京に向かう大和と自衛隊が戦い、ラスボスの都知事を倒す物語だった
  • 死ぬ前の作品になる。まだ作らせてくれるかわからない
  • もし大和が兵器でなかったらものすごく素晴らしいものになったのではないか、という夢を描く物語。卑弥呼は富野監督考案和名「弥生姫」として登場
  • 太平洋戦争当日の軍人や軍事技術者の考えが大和に凝縮されている。帝国主義の次の発想の答えを入れたい
  • 参考文献「最終結論「邪馬台国」はここにある」

このインタビューでは話題が振られなかったが、『この世界の片隅に』の戦艦大和作画の影響も大きかったと思われる。

富野監督が挙げた参考資料(もしこのAmazonのリンクがアフェリエイト入りのものになっていたら、それははてなの仕様です)

まだ未読ですが、検索してみた限りトンデモ本なのでは? という疑念が……。『教えてください、富野です』の様に、学会のトップランナーにも取材してほしいところ。

富野由悠季の世界 静岡会場 清水銀行Presents 富野由悠季×藤津亮太 静岡に語る in サンライズ

  • 昨日は3本目の新作の企画を考えていて。Gレコ後の2本とは別。ヒミコヤマトこそ今考えてる3本目なんです。2本のタイトルは言えません。2本のタイトルのシナリオが終わったんで、かかり始めてる。まだ形にならない。ラストシーンだけは決まってる。Gレコみたいなもん。福島原発の処理論をやって終わらせる。
  • 20年前の卑弥呼大和は北九州から大和朝廷を作った礎が卑弥呼なんだというルートを想定。卑弥呼が大和朝廷を精神的にコントロールしていたら戦艦大和を作った話。
  • ヒミコヤマトは邪馬台国みやま市説で決めた。敵は畿内説の歴史学者。こいつらを黙らせたい。場合によっては中国も敵にしなくちゃいけないことも劇中で起こっている。こう来たか、と思うだろう。現在の日本政府や官僚を全否定しないといけないかも。菅首相は嫌うだろう。
  • ヒミコヤマトにロボットは出ないが卑弥呼と戦艦大和をドッキングさせるから巨大ロボットものみたいなもん。『2001年(宇宙の旅)』みたいに作りたい。ヒミコヤマトは海底のバラバラになった戦艦大和を卑弥呼が再生させるところから始まる。復活した大和が東京に来る。
  • ヒミコヤマトには現代的な登場人物としてYoutuberの姉ちゃんやブロガーを出すことから始めようと思ってる。小保方さんみたいな人も乗せようかなと思ってる。ヒミコを通して彼らを語る。
  • はじめはヒミコヤマトも卑弥呼大和の様な話でやるつもりだったが、兵庫展示のおかげで大転換した。考え方が変わったのかもしれない。
  • ヒミコヤマトを形にしてみせることで映画界のバカどもに「好きに映画作ってるんじゃねぇよ!」って言いたい。そういう映画を作りたい。乞うご期待。

「ガンダム」富野監督が、コロナ禍の子どもに放つ過激なメッセージ

次回作につながるかどうかはわからないが、最近調べているのは「邪馬台国はどこにあったのか」ということだ。辺境の女王である卑弥呼からの使者は、男社会である中国の文官たちからどのように見られていたのか。その文官たちが記した歴史書は、どのくらい信用できるのか。

そういうことを考えて、「トミノが作れるものは、まだあるな」と思っている。

ガンプラEXPO2020 ガンダムカンファレンスステージ

小形P 「『閃光のハサウェイ』を早く作って俺の新作を作れ」と。富野監督自身はガンダムに留まらず、『G-レコ』にも留まらず、最近もう漏れちゃってるんで皆さんご存知の方もいらっしゃると思うんですけど、『G-レコ』の後は3本やるつもりで新作を既に用意してますんで。こないだも「来週一緒にロケハン行こうか」という話をしてたんですけど、いろんな準備が必要なんで、もう少しちゃんと準備をしてからロケハン行くって話をしてました。戦々恐々としてます。

いつの間にか動画非公開に。

富野由悠季の世界 富山会場 卑弥呼大和追加展示

  • 「大和の航路、広島より呉をかすめる」戦闘機のボード
  • 「継卑弥呼 大和浮上に 立ち合う」
  • 「朝日、富士、大和は 絵になりすぎ、、、」
  • 「硬化実体化しつつ三浦半島へ 99/9・4 大和ここより面舵をとる。右舷へ。転進(面舵の必要なし!)」
  • 「継卑弥呼 国家論、官僚論、組織論を承知の上で、 東京都知事に国家改造論を語る。 先進の技術を駆使する頭脳者は、忠臣を 死に至らしめた!! 米国は日本の国粋主義化を恐れた」大和とヘリのボード

なお『卑弥呼大和』は内容から星野之宣『ヤマタイカ』と類似する点があり、元々はその映像化企画だったのでは? と思わされる。

『ヒミコヤマト』前の富野監督新作2本について

『Gのレコンギスタ』TV版直後のまとめ

なら国際映画祭

御大・富野由悠季が“脱ガンダム”にこだわる理由「作り手は安心したら最後」

――現在『G-レコ』劇場版を鋭意制作中というお話をしていただきましたが、そんな中、監督には次回作の構想なども既にあるのでしょうか?
富野由悠季 『G-レコ』はもうコンテが1年前に終わりましたから、あとは基本的に現場をフォローするだけです。まだ構想段階ですが、実をいうとこの1年は新作の脚本を書いていて、今は二回目の書き直しに入っています。
――それはアニメですか?
富野由悠季 もちろんです。この歳になって今さら実写なんてできねえよ! という言い方もありますけど、もう一つ重要なことは、もう僕は手描きのアニメでいいと思っているわけです。だから、オールCGに切り替えるなんてことはしません。というのは、手描きのアニメの媒体というのは、無くならないような気がしてきているからです。
――手書きアニメの新作は、一体どんな内容になるのでしょうか。
富野由悠季 この前、WOWOWで放送されたメトロポリタン・オペラを観て気づいたんです。「あ、巨大ロボットアニメという枠って、オペラなんだよね」と。どうしてオペラという言い方をしてるかというと、オペラは大舞台で、音楽も役者も使っています。そして、巨大ロボットものという大枠のなかで、ロボットが出てくると“戦闘シーン”があります。最近、映画『逆襲のシャア』(松竹系・1988年公開)を振り返る機会があったんですが、あの作品は戦闘シーンが多すぎるんです。だけど、戦闘シーンはなくちゃいけない。じゃあ、ロボットものの戦闘シーンはなんなんだろうと考えた時、いわゆるオペラでいう“歌うセリフ”のブロックなのだ、ということに気づきました。
――なるほど、分かりやすいです。
富野由悠季 だから、オペラ歌手と同じように、堂々と戦闘シーンをやっていいんだ、と。問題はその中のお話です。つまり、オペラってでかい話をやっているか? と考えると、結局、オペラは男と女が寝るか寝ないかだけで、ほかのことは何もやっていないでしょ(笑)? そこでニュータイプだとか、社会の革新だとかを言ってたら、そりゃ誰も観に来ないと気づいたんですよ。
――今のお話を伺って、新作のシナリオはとてもシンプルなものなのかな? とイメージしました。
富野由悠季 ところが、シンプルにはならない。だって、歌を歌うシーンが多いんだよ(笑)。その寝たか寝ないかの話はどこでやる? まさにそのロボットものの枠の中でやるしかないんですが、そんなロボットものがあるんですか? あるわけない。だって今まで誰もやっていないんだから。今まさにその寝たか寝ないかっていう、つまり体感的なフィーリングを物語の中に入れている最中で、これはこれでとんでもなく難しい。

富野由悠季監督:次回作を語る 「極めて独善的」 「風と共に去りぬ」に負けない自信も

「Gのレコンギスタ」は全5部作で、第1部の上映が始まったばかり。制作中だが、富野総監督は次回作を考えているという。「現実問題として制作できるのか? という問題がある。制作の了解がとれなければ、希望でしかない。だから、今の段階で構想があるとは言えません」とも話す。
もちろん、作品は監督一人で作るものではない。一方で、富野総監督は経験から「合意で進んだものがあんまりうまくいくと思っていない」とも考えている。
「あのバカ、やっているよね……と一人が強行突破しなければ作品は大成しない。映画史を見てもそう思う。名作とされている『風と共に去りぬ』は、それほど名作じゃないけど、あの時代にあれができたのは、プロデューサーの強権発動があって、総意があったわけではない。作品はそういうもの」
実は「映画一本分のシナリオを書いちゃったんです」とも明かす。
「3時間を超える映画で、1時間40、50分にまとめられるかな? 極めて独善的なんです。きっと分かりにくいんでしょう。僕はいけると思っている。今、頭の中にある企画は『風と共に去りぬ』に負けない自信があります」

NHK ニュースウォッチ9 12/18放送分

公研 2020年8月号 ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】

富野 ロボットものというのは、一つのジャンルでしかなかった。それにもっと別のありようがあるんじゃないか。そのありようを表現するのに、ロボットものが最適なのかと言った時に、そうではないよねと思います。ロボットものは、好きなやつに好きなように作ってみせればいいだけのことであるし、今もう僕にはその興味がないから、単にロボットものをやることは一切考えないという言い方をします。今シナリオを2本持っています。2本ともロボットらしいものが出てきます。それはどうしてかと言うと、富野という映像作家の持ち駒が少ないために、要するにガンダム系のものしか作れない人間になってしまったということで、僕の「敗北者宣言」なんですよ。それでも、ロボットものという枠にハマらない作品もあるんじゃないのということで、できたら人型ロボットが出てこないものを作るために新しいホンを書いています。新作を作りたいと思っても、恋愛ものも作れないし、悲劇も作れない。書く気がしないのではなく、書けないんです。物を作ること、創作とはそういうものなんだ。絶対に自分の色合いを広げられないんだ──ということがわかってしまった。

TOKYO SPEAKEASY 2020年8月20日放送分ゲスト富野由悠季、中村正人

TOKYO SPEAKEASY 2020年8月20日放送分ゲスト富野由悠季、中村正人

富野監督と中村さんの過去の対談はこちらを参照。
char-blog.hatenadiary.org
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中村 本当に結構呑んじゃいましたね。
富野 まぁ時間が時間ですからね(深夜1時)。
中村 大丈夫ですか、この時間で。
富野 うん、そういう事で言えば今この時間が一番呑みながら一番やってる時です。
中村 作業してる時はね。呑むのお好きですよね、「健康的に生活を送んなきゃならない」って言って健康的になろうとするんだけども、クリエイティブはやっぱり1時過ぎがやっぱりちょっと僕なんかは調子出てきちゃう。
富野 やっぱり2時、3時くらいまでが一番いい時間。
中村 冴えますよね。一日中考えてて結論出なかったことが1時辺りからパンパンパンパンと入ってきます。
富野 僕の場合もうちょっと違う部分があって。フェードインがダーッと来て。だから2時くらいに一番酔える様にしていきたいなっていう呑み方はしています。
中村 (笑)。そうですか、ほんとに?
富野 はい。そういう意味では……(フェードアウト)。

中村 (笑)、キツいですよね。まぁちょっとね。そんな話をするとは思いませんでした。え? 流れてなかったの? 今の話。今の話流れてないみたい(笑)。残念でしたねー(笑)。そんなわけですけど、避けて通れないのがこの状況。どうしてました?
富野 結局、仕事をやるために生きているわけじゃなくて。生きるために仕事をやってただけのことなのよ。だから「こういう作品が作りたい」とか、「アニメが好きだからやってたんでしょ」ってのは嘘八百でね。食ってくためなの。住宅ローンを返済するためにやってたの。
中村 (笑)
富野 それだけのことなの。そして、そのモチベーションがなかったら、なんて言うの? 飽きもせずにアニメのコンテなんかやってられないよね。演出なんかしてられないよね、そんな上等な仕事じゃないんだから。っていう風に舐めてる節があったもん。今度は逆に舐めるんじゃなくって、「あいつがやってるんだったら、あいつを黙らせてやるためにはこういう風に作る」みたいなことで、言ってしまえば創作意欲みたいなものを気が付いた時に、何が起こるかって言うと、自分に創作能力がないってことに気が付くっていう地獄が起こるわけね。
中村 はい、聞いてみましょ、一応。
富野 その繰り返しだったな、っていう。
中村 じゃあやっぱり監督の「殺すぞ」発言というのはその辺から始まったんですかね? やっぱり。
富野 あのね、劇中でもそうなんだけども、「あの野郎、叩っ殺してやろう」っていうくらいに思い込んでいかないと、実を言うと、フィクションは作れない。
中村 うんうん、はい。
富野 で、そのくらいやっぱり気合いを入れなくちゃいけないことが分かってくるわけ。そして、元々の能力のある「作家」と言われている人はね、それをしないでね、どうもできるという才能を持ってる人。
中村 成程。なんか今来ました。
富野 それと後、そういう人ってどういうことかと言うと、資料を読めるとか、過去にかなりの作品を読み込んでいるというデータがあるのね。僕に、やっぱりアニメの仕事を始める前に、それが全くなかったんで。番組任された時にあなたさ、って時に、一番始めに結局……。
中村 アトムでしたっけ?
富野 違う、違います。番組を任されたってのはつまりシリーズの総監督をやらすことになる。って時に一番始めにやったのは、子供に読ませるお話を一切知らない人間だったので、「児童文学の書き方」って本を探してきて、それを読むことから始めた。
中村 うわー……。
富野 その時に本当に地獄だったんだよ。ましてその時にやったのは、手塚先生の原作(青いトリトン)がありながら、この原作は使えないってことだけは判るわけ。
中村 (笑)。それはちょっと何かで読んで。
富野 そう。
中村 それはすげぇなぁって思いますけどね。
富野 その使えない原作を使える様にするための能力っていうのが僕にはない。だから「え? 児童文学の書き方から始める?」っていう三か月くらいの間は本っ当に辛かった。
中村 監督辛い時は持っちゃうんですか? それとも人に当たり散らすとか?
富野 違う違う。籠る時間もないの。つまり、その本を読み切らない限り、手塚治虫の原作を直すとこに行けない訳よ。
中村 成程。
富野 その時、シナリオライターが5人くらい集まってくれて(松岡清治、辻真先、宮田雪、松元力、富田宏)。「じゃあどうする?」って話になった時に、「お前が方針出せ」って。「だからこうする」っていうのを嘘でも言う訳ね。嘘でも言いながら「これ違うんじゃないのかな~)って。「これやってまた下らない怪獣ものになっちゃうんだよね」っていう事を言いながらシナリオライターに頼む。すると今度シナリオライターの正体が判ってくる訳。
中村 成程。
富野 「あ、こいつはこの手の作品をやることに関してはプロだけども、つまり、子供に向けて作品を書くってことを何も考えてない。スポンサーとTV局のことしか考えてない」っていうことが分かってきたりする、っていうものとの闘いだったの。
中村 逆に言うと、それらの職業の人たちもやっぱり食うためにはそれ。
富野 全くそうです。
中村 監督も食うためにそれじゃダメと。
富野 だけど、重要なことがあって。食うためにこういう仕事をやってやるということで、実を言うとこれをコツコツやってくと、修行になる、勉強になるかもしれない。だから、ある時から分かったことがあるのは、お金を貰いながら、つまり、貰いながら勉強ができるのはなんてありがたいことなんだろう、っていう時期が数年ありましたね。
中村 たぶん今、そういう考え方の人はすごい少ないかもしれないですね。
富野 ん~、その辺は僕にはもう判らない。
中村 でもチーム(サンライズ1stやG-レコ制作スタッフ)の中にはいっぱいいるでしょ? そこのラストで出た……セクションはよく分かんないですけど。監督の目の前に?
富野 いないいない。
中村 いっぱいいるんじゃないですか?
富野 いない。どうしていないかと言うと、僕の周りにいるのは僕と一緒に仕事をやってた様な年代の人な訳よ。
中村 あ、そうか。
富野 若くないの、もう。うん。で、若くない人たちからの意見をこの10年くらい聞き続けてる訳で。そうすると、「いやぁ僕は今こういう風にしか仕事ができないからねぇ」っていう話を聞かされる。「それで暮らしていくのは大変だよね」「大変なんだけど、何よりも手が動かなくなってくる」
中村 (爆笑)。
富野 「絵が描けない」とかって話になっちゃうのね。
中村 まぁ「眼が見えない」とかね。
富野 そうそう。
中村 ありますよね。
富野 それこそ「病気が出てきた」とかって話が先に出てくる。「50過ぎてもね、この仕事をやってられるってのはありがたいね」ってとこにバン!って行っちゃうから。いわゆる創作の話じゃなくなる訳ね。
中村 総監督のチームでさえそんなこと起きますか?
富野 ……まぁ、これはだって、60過ぎたらはっきり「そっち」しかないよ。
中村 (笑)。そうですか。
富野 だけどそういうことで言ったらそういう年齢に入ってるんだから。
中村 じゃあ僕も61、今年で62ですか。確かにレコーディングの現場にしても、そういう話ばっかですね。
富野 だから現に、ここんとこのそれこそドリカムだから、嫌でもドリカムのライブの映像なんてのを観られる訳よ。嫌でも観られる訳。どうして「嫌でも」って言い方するかって言うと、つい最近見ちゃったからなの。(吉田)美和さんがこの身体、あの身体でね、国立競技場でさ、えっ?ってこれ50過ぎたらこれ止めなくちゃダメよね、っていうところ。
中村 過ぎてやってますからね。
富野 そう。
中村 本当にもう(笑)。
富野 本当、何故これができるんだろうか、っていうのも含めて考えるとね、これは実を言うと悪口になっちゃうのかもしれないけども、吉田美和って業がさせてることなんだろうな、とかってとこに行く。
中村 それは……まぁなんですかね、僕もやっぱり、話ぐっと戻っちゃうけど、「才能がある人」って監督が仰って。例えば僕らも含めて監督は才能の塊だと思ってるけど、そうじゃない見方をするじゃないですか。
富野 はい。
中村 で、「才能がある人」って結構「誰かに勝ちたい」とか、「殺す」って思ってない人が多いですよね。なんか人と比べないっつーか。どうなんですか?
富野 あのねぇ、僕そういう言われ方したことないから本当にびっくりするんだけども。本当に「才能がある人」ってのはそうでしょうね。まさに「唯我独尊なんだお前は」ってことも含めて「え、何? 唯我独尊って何なの? 私自分ができることをこういう風にしか、こういうやり方好きだからやってるのよね」とか、「こういう歌い方って素敵でしょ?」とか、「私が出てくると皆がこっち見てくれるじゃない? だから皆さんに対して私はこうよ、こうよ、こうよ」っていうことしか考えてなくって。
中村 それがたぶん吉田の業というものかもしれない。
富野 そう。するとね、それでものが作れるんだったらそれはまさに才能ってのはそういうもので。才能がない僕みたいな人間がやる時にはどうするかと言うと、「本当、あの野郎ぶっ殺してやろうか!」と思わない限り、絶対にね、物語の発端さえ出てこないのよ。
中村 (笑)。とにかく悔しいとか誰かをやっつけてやる、っていうモチベーションが物語の始まり?
富野 そうです。そういうものが全くないとこで、「お前、作れるものあるだろ」って作りたいものないんだもん。
中村 いや、なんかね、「監督と一緒だ」って言ったらほんと申し訳ないんだけども、僕も実は作りたいものがないんですよ。
富野 うん。
中村 例えば、ドリカムだったら「今好きなことばかりやってるでしょ?」って言われるけど、いや、好きなことって何か、って言うと、やっぱり仕事をいただくこと、いただいた仕事を自分の表現としてお返しすることしかなくて。
富野 全くそう。
中村 種はやっぱり与えて、その種は吉田から与えられることが多いので。それはもちろん、吉田がこういう曲やりたいとか、こういう表現やりたいとか。でも監督にその種を与えるのは誰なんですか?
富野 誰もいなかったから辛かった。
中村 (笑)。泣きそうになってますけど、誰もいなかった?
富野 誰もいなかった。
中村 それは例えば手塚先生?
富野 手塚先生!? 何言ってんの! あれはあの人は、僕が自分が、手塚原作を「これは使えないから、作り変える」ってやった時からライバルだもん。
中村 ……うん、はい。
富野 だから師匠だとも思わないで「手塚をいつか黙らせる!」
中村 (爆笑)。やっぱりそっちに行くんだ。そっちのモチベーションなんだ。
富野 そうでなければ、10年20年、こんな仕事やってられないよ。
中村 あの、音楽業界は本当にアニメの制作の現場の、まぁこういう時代ですから色んな話ありますけども、当時まさに総監督が寝ずに働いていた頃、そういうことですよね?
富野 そういうことです。
中村 地獄ですよ。
富野 だから、本当に才能のある人ってのは、本当に羨ましいと思う。だからこそ、(笑)、ドリカムの曲聴いた時に「あっ、これで出てきて、これで売れて、尚且つこれで千人じゃないんだよね、一万人って単位だよね、二万人って単位に向かってライブをやる。それでやってける面子が二人しかいない? こいつら本っ当、殺してやろうかと思ったもん。
中村 (笑)。いやぁ、今僕、米津(玄師)君にそう思ってますけどね(笑)。
富野 本当、そうなの。
中村 米津君も全部自分でやられますからね、彼も。
富野 そうそう。
中村 ジャケット絵上手でしょ?、ま
富野 上手ですよね。
中村 ビデオも撮れる。元々はYoutuberって言いますかね。ハチっていう。
富野 うん。
中村 ボカロから出てますから。あんな歌上手で、あんなパフォーマンスが素晴らしいのに、最初ボカロですよ? そりゃないだろうって。
富野 そうそう。
中村 後出しジャンケンみたいなもんですよ。
富野 それこそ米津さんに限って言えば「自分自身、いわゆるアレンジ? 全く分かんなかったからよ」って平気で言うじゃない? ちょっと待ってくれよ、ってさ(笑)。
中村 本当にですよね。
富野 ふざけてねぇかって思うもん。
中村 本当ですよ。
富野 だけどあれがまさに才能だ、っていうのが分かる様になってきたし。分かる様になってくると……あぁ、余分な話になりそうだから我慢する(笑)。
中村 今日はもうお互い呑んで喋ってるんだから何でも言ってくださいよ。
富野 だけどよ。
中村 マイク切っちゃいますから、なんかあったら。大丈夫ですよ。
富野 (笑)。典型的に……。
中村 なんか最近辛いことあったんじゃないですか? なんか今日、どうしたんですか?
富野 あぁ、そういうことで言えば、もうこの10年ぐらいずっと辛いもん。
中村 (笑)。
富野 楽しいこと殆どないもん。
中村 そうですよね。分かりますよ。
富野 だから、つまり天才の名前を出して、誰からも文句を言われないただ一人の人がいる訳。モーツァルト。本当この5、6年、僕ね、モーツァルトのね、50(歳)まで聴くとは思ってなかったもん。
中村 うんうん。
富野 「あんな曖昧でよく分かんねぇ曲なんて」って思ったけど。
中村 まぁビートルズもけちょんけちょんに言ってますからね、監督ね(笑)。
富野 だけど、本当この5、6年、ずっとモーツァルト聴いてる。
中村 あのね、僕もモーツァルト……。
富野 それで最近分かってきたことは何かって言うと、楽曲のことは分かんないのよ。モーツァルトがすごいなと思うのは、何書かせても、つまり何作曲させてもちゃんと音楽になってて。煩わしくない。
中村 あのね、本当に仰る通りで。しかもモーツァルト、皆さん聴いてらっしゃる方は素晴らしいピアニストいらっしゃるとと思いますけど、モーツァルト、あれ弾いてますからね自分で。
富野 そうなの。そうするとね、才能ってこれであって、僕、若い時それこそワーグナーなんかさ、嫌いじゃなかったのね。モーツァルト聴く様になって、ああいうわざとらしい曲、ってのがね、ダメになっちゃった(笑)。
中村 (笑)。
富野 っていう地獄を経験しちゃって(笑)。
中村 ビジネス考えてるんですかね? でも僕が見る限り、映画とか伝記しか読んだことないですけど、やっぱりモーツァルトも依頼を受けてすら食うために書いてますよね
富野 そうですよ、全くそうです。
中村 パトロンのために。
富野 全くそうなの。そういう意味で商売人なのよ。そういう意味ですごく俗な奴で。だから僕は「アマデウス」って映画大好きなのは、絶対ね、モーツァルトはあぁだったと思うわけ。
中村 サリエルね。
富野 あのくらい俗物で。俗がね、これができるんだってのが分かってきた時に……あぁ、また余分な話しそうになった。
中村 (笑)。でも監督ね、ちょっと横道逸れますけども、今才能のある人も品格とか求められちゃうじゃないですか。
富野 うん。
中村 それはおかしくないですか?
富野 おかしい。だからモーツァルトなの。
中村 そうなんですよ。だからおかしいですよ。なんで才能のある人が善い人でなくちゃいけない、社会に貢献する人でなくちゃいけない。だってその才能自体が人類のためなのに。良いじゃないですかめちゃくちゃでも。
富野 それもあるし、人間ってね、めちゃくちゃじゃなかったらね、天才的な仕事できないんだよ!
中村 仰る通り。
富野 吉田美和さんそうなの(小声)?
中村 あのー、ここでは言えないですけど、めちゃくちゃです(笑)。めちゃくちゃな僕らにね、監督が依頼してくれた、G-レコのテーマソング。聴いていただきましょう、「G」。
(DREAMS COME TRUE 「G」)
中村 という訳で、G-レコのテーマソング聴いていただいてますけども。サーッと流しておいて。今ちょっと言ったんですけど、吉田はこれをちょっと冷静に歌ってるというか。「calm down」と英語で言いますけども。そういう風に歌っているのはすごくね、G-レコの登場人物に似てるなと思って。
富野 はぁー! だからなんだ! 俺気に入ったのは。そこか。
中村 はい。G-レコの登場人物って、普段はそんな燃えてない。
富野 そう、燃えてない。
中村 結構こう、ライトで軽くて。まぁなんか熱血漢でもない。ただ、戦闘とかミッションを与えられたら、もう火の玉の如く戦い、動く訳じゃないですか。それがね、なんか音的に今回出せたな、って。
富野 (拍手)
中村 でも「G-レコの登場人物って不思議な人たちばっかり」って思っていたら、まさに今の人たちなんですよ。皆calm downなんですよ。
富野 へぇー!
中村 意外と冷静で。
富野 うん。
中村 それで一挙に色んな情報を頭に入れてるんで、その分析にも時間がかかるんで。
富野 はぁ~。
中村 感情的になってる暇がないんですよ、今の人たちって。若い人ばかりじゃないですよ? 我々の世代も含めたいわゆるオンラインの人。
富野 分かります。……ほんと中村さんさ、そういう解析すごいね! 上手ね~。
中村 上手(笑)。
富野 僕そういう風に分析できないから、グタグタグタグタしてるんだけども。
中村 だから、監督は才能のあるエリアの人で、僕はそれを吉田と共に今回はフォローするというお仕事をいただいて、毎回ヒヤヒヤしてる訳ですよ(笑)。
富野 そうか~。俺才能あったらもう少し楽してると思うんだけどな。
中村 才能がある人は才能がないで大変でしょうけど。本当にやっぱり、僕何べんも言ってますけどメディアで。素晴らしい主題歌、EDテーマをG-レコは積み重ねてきたじゃないですか。やっぱりファンの中には「ん?」と言う方もいらっしゃる。それは重々承知して、重々分かった上であえて僕らは胸張って、これを劇場用に注ぎ込みたい、という気持ちで作りましたね。
富野 そう。それが分かってるから、今その3本目が、どういう風にするかって、かーなりキツいのよね。
中村 俺訊きたかったんですけど、どうなってるんですか3本目? どうしますコロナ禍?
富野 よく分からない。全然分かんない。
中村 全然よく分かんない(笑)。
富野 ただ、先週、3本目と4本目と5本目のBGMの発注を菅野祐悟さんにして。
中村 菅野さんお元気でした?
富野 元気なんてもんじゃなくて。本当にあの人は元気なんてもんじゃなくて。「米津なんだー!」って人ですからね。
中村 おっ、良いですねぇ。良いですね。
富野 そういう意味ではね、ちょっとびっくりした。そして「なんだ」ってのが僕と違ってて。「だって30秒聴けば判るでしょ? あの人は天才ですよ」って。
中村 仰る通りです。
富野 「だからあの人とどうこうしようと思わないから、俺流に仕事させてください」それで締めたもん。
中村 でも「この野郎」と思ってるのは、そういう天才、時代を区切る、ユーミンさんもそうだし、(中島)みゆきさんもそうだし、宇多田ヒカルちゃんもそうだし、そういう天才たちって、やっぱりもっと影響与えるんですよ、そうやって。それは今の人に一番ウケてるという事象以上に我々クリエイターに。
富野 そうだね。
中村 端っこの人って言っちゃうと菅野さんに怒られちゃうけどさ。でも菅野さんですらインスパイアする訳。定点観測させる。
富野 そうそう。
中村 「米津に比べて俺はこうだから、こういう方法で行くよ」。
富野 だから、本当先週久しぶりで。つまりG-レコの作品のことを考えながら話をしなくちゃいけなかった。せざるを得なかったんで。だからトミノさんも自分でも内心偉ぶりましたもん。
中村 あ、そう。
富野 つまり「この1年、何もやってないのにG-レコってすごいな。色んなこと考えさせる作品だ。だからこうしてくださいよ」って話が菅野祐悟って才能に対して言えた自分って嬉しかったもんね。
中村 でも、客観的に見れたってのすごい良かった。勿論大変な方々、今も戦場で戦ってくださった方々たくさんいる中で、我々こんな呑気に呑みながら話している場合じゃないんですけど、ただまぁ今日は良いか。
富野 っていうだけじゃなくて、この時間がなかったらね、それこそG-レコさっき言った様に作っているのはどういうことかと言うと、人間ね、24時間ピーンとなんて張ってられないもの。
中村 仰る通り。
富野 だからこれで良いんです。良いからこそなの。僕の理想がある訳よ。作り手だったらね、って。実を言うと、秋元(康)さんみたいにずーっと作り手風にしたかったけども、それができてないのを悔しい! っていう。
中村 (爆笑)。コマーシャルに行きましょうか。
(CM)
(ホルスト「惑星 第4曲 木星、快楽をもたらす者」)
中村 今日みたいに仕事抜きの機会はあんまりないので、僕が好きな曲を監督と是非聴きたい曲がありまして。
富野 はい。
中村 今鳴ってるやつなんですよ。これがですね、ベルリンフィルなんですけど、ホルストの「惑星」という曲で。平原(綾香)さんで有名になっちゃいましたけど、「Jupiter」って曲なんですよ。これ是非一緒に聴きたかった。これご存知ですか?
富野 少しは知ってます(苦笑)。
中村 あ、そうですか。これですね、まさに宇宙ってこういう音なんだろうな、と。
富野 うん。
中村 まだ人類が宇宙に飛び出てない頃にホルストという作曲家が作ったんですけど。この中でも「火星」も素晴らしいんですけど。
富野 うん。
中村 この組曲で一番最初の。あらゆる映画音楽家の元ネタになっている様な組曲なんですけど。この「Jupiter」ってのがね、まさに僕らが少年時代に見た、あるいはG-レコで宇宙が舞台になっていた時に聞こえてた音だったんですよ。こういう音楽を僕はいつか作りたいと思って。これを今聴いていただいて。「中村こういうの作りたいんだよ」ってプレゼン(笑)。
富野 いや、っていうよりも、すごく実を言うと僕にとっては当たり前だから。
中村 これが?
富野 うん。当たり前の曲調だから。正直びっくりしました。もう少し違うもの、そういう意味で偏見があったんですよね、ドリカムに対して。
中村 ずっとそれ言ってるからね、監督(笑)。もう偏見の塊だから、富野さん。
富野 (笑)。だから、まさに「Jupiter」なんてのは当たり前に宇宙そのものなんだから、良いんだよ。それで逆にこういう記憶が僕の中にあるからなんです。「2001年(宇宙の旅)」は困っちゃった訳。
中村 あぁ~。
富野 「え~これで来られたか」。
中村 あー、そういう意味でね。
富野 そう。
中村 でもこの楽曲ってすごいテクノロジーも感じるんですよね。雄大な自然だけじゃないんですよ、僕の。
富野 分かりますよ。
中村 分かります? だからそれこそ巨大ロボットも見えるし。あらゆるG-レコで登場する。
富野 拡がりそのものが見えるし。もう一つ重要なことがあるのは、景観と言うよりも、水平線と言うのかな、地平線と言うのかな。
中村 まさに。
富野 ズァーッと走ってるのね。そういう見事さというのはあるという意味では、本当にこれは認めます。嫌いな曲ではありませんが……。
中村 あんまり驚かなかったってこと?
富野 うん。さっき言った通り。最近モーツァルトも自然体に(笑)。
中村 もうちょっと驚いてくださいよ。「おう中村こういう曲選んだんだ、いいなお前」とかちょっと言ってくださいよ。
富野 それだって大前提だもん。当たり前で。今更そのことで「お前ら偉いね」なんて言ってたらナメてることになりません?
中村 (笑)。はい、分かりました。でも今日ホルストを選んでたから、さっきモーツァルトの話仰ってた時に、ちょっとビクッとしました。そこか、って。モーツァルトか、って。
富野 それね、自分の中でもなんです。趣味性の問題みたいなことを考えていた時に、自分に一貫したものがなくって。結局皆が一番言ってるモーツァルトに戻らざるを得なかった自分、っていうのは本当に嫌だった、ってこともある訳。
中村 総監督、皆が言うからモーツァルトじゃなくて、モーツァルトだから皆が言ってるじゃないですか。それはもうガンダムと一緒ですよ。
富野 はぁ~。
中村 「巨大ロボットものは結局ガンダムに戻らなくちゃいけなかった」って監督の周り、屍(死)累々ですよ。ねぇ? (小形)プロデューサー、おんなじこと言ってるでしょ?
富野 中村さんってさ、ほんとプロデューサーね(笑)。すごいね。
中村 (笑)。
富野 ほんとお上手。
中村 お上手なのは監督。でも本当に同じこと言ってますよ。屍累々ですよ、巨大ロボットものの監督たちは。
富野 (唸る)
中村 このヤローって言わないでしょうけどね。でもちょっと言ってほしいでしょ?
富野 言ってほしくない。
中村 (笑)。絶対そうだと思った。
富野 強がりじゃなくて、これを基準にしちゃいけないんだよね。やはり僕は……やっぱりなの、大学以後の、つまり20歳以後のことで言うと、やっぱり戯作者になりたかった、っていう、すごくシンプルな思考っていうものを身に着けちゃったのに、結局巨大ロボットものしかやらせてもらえなかった、っていう意味で「手前らぶっ殺してやろうか!」って日本の映画界全部に対して思ってる人間ですから。
中村 でも番組の始まる前、ここに呑みに来る前にね、「巨大ロボット捨てて、トミノがなんとか……」って言ってましたけど(戦艦大和登場予定の新作?)。何を言ってんですか、って感じだね。まだ極めるんじゃないですか?
富野 違う違う違う。結局巨大ロボットっていうギミックを使わせたらほんとに天下一品だろう、っていうまさにそれが縛りになっちゃって。劇なんて作れなくなってしまった、っていう。「戯作をする」ということはそういうことではないんだよ、っていうことが分かった。だから、言ってしまえば……うーん、僕は未だにドストエフスキーは読めないんだけれども……そう、バルザックなんかは読んでガックリくることはあるんだけれども。人を観察する能力が全くなかった、っていうことを知らされて。本当に愕然とするんだよね。
中村 あの、敵対する人がレベルが違いますから(笑)。
富野 あ、そうか。
中村 例えば吉田も今回、「G」でね、シェイクスピア出してますけども。監督とシェイクスピアはきっと同じことを言ってるんだろう、ということで吉田はシェイクスピアを出したんですけども。でも、ちょっと僕今日、監督に久しぶりにお会いできて、でもシェイクスピアもエンタテイメントやりたかった訳ですよね?
富野 そうですよ。
中村 エンタテイメントとして、芝居の中に……。
富野 それから、あともう一つシェイクスピアがあったのは「自分が田舎者なんだけれども、ともかくロンドンにいる連中に少しはね、俺のこと偉いと思ってよ」っていう、そういうね、下心があった。というのは本当によく分かる訳。そういう意味では向上心を持っている、だけど実を言うと自分はこういう風にしか劇を書けない。だから日常芝居がものすごく多いシェイクスピアってつまんない訳よ。長~くって。「こういう風にしか書けない俺」っていうコンプレックスをずっと持ってた人なんじゃないのかな。これまた袋叩きに遭うかもしれない(笑)。
中村 今シェイクスピアを表現したのは富野総監督の気持ちとちょっと被るところあるんじゃないですか? 「俺は巨大ロボットものしかできない」っていう。
富野 分かったから。はっと気が付いた! 別にあの、自分がシェイクスピアと並んで考えていませんからね。世界の文豪と(笑)
中村 世界のトミノですよ。僕おべっか使う必要全くなくてですね。おべっか使ってもなんの得もないですよ僕。もうテーマ曲書かせていただきましたし(笑)。
富野 (笑)
中村 損得全くないところで。今回監督がG-レコで強調してらっしゃったのは、ガンダムっていう先入観なしで観てほしい。逆に言うと、ガンダム知らない人に観てほしい。今の子供たちに観てほしい、っていう意味では僕は年食ってますけども。でも結構同じとこから入ったんですよ。で、あらためてG-レコオリジナル版(TV版)をあえて観ない。まさにポスター(劇場版キービジュアル)ですよ。「ポスターだけ見て、これから感じる音楽書いてくれれば良いんだよ」って言ったのと全く一緒の角度で入って。やっぱりね、G-レコは面白い。でもね、まだね、得体が判らない面白さなの。
富野 そうなの。その辺の典拠が最近ようやく分かる様になった訳。亜阿子さんから昔から言われてたんだけども。「登場人物が多いやつはダメ! 映画っていうのは二人とか三人とか四人、出ても五人まで。G-レコはキャラクターも多すぎる。(ファースト)ガンダムも多すぎる。それダメ。映画になってない」って言われて。本当にすいません、っていうのは、最近本気になって分かる様になったからね。
中村 でもどうです、僕亜阿子さんに逆らう気はなくてですね。何故かと言うと、ドリカムを使えと言ったのは亜阿子さんですから。本当亜阿子さんには感謝してて、監督にはちっとも感謝してない。
富野 はい。
中村 でも、この前もちょっと対談で喋らせていただきましたけども、今、例えばNetflixとかそういう海外ドラマも含めてヒット作っていうのは群集劇とか登場人物が多くて、でもその登場人物を本当に丁寧に描いて。
富野 あ、そう?
中村 そうですよ。例えば、ゾンビ映画でもなんでもいいや。そういう意味ではG-レコはまさにベルリだけを描いてんじゃなくて、ベルリを中心にもしないじゃないですか。
富野 そう。だけど、映画っていうのは2時間以内でピシッと観られて分かるというのが映画なのよ。って言った時に、そういうものに収まってないG-レコってやっぱり映画じゃないのね。
中村 でも今の映画は15秒で分かる映画もあれば、Netflixみたいに10シーズン各話18話とか、そういうので延々見せるのもあって。その劇中の一人として自分を感じてきちゃう訳じゃないですか、例えばそういうのを観てると。
富野 はい。
中村 G-レコはそういう要素いっぱいある、って前の話で。亜阿子さんの意見ももちろんわかりますけども。「今」じゃないですか。
富野 だからこそなの。G-レコは五部作で作っても良いんじゃないのかというのは5年前から思ったし。それを実行させてもらってるんだけれども、やっぱり戯作者としての理想論がある訳ね。高い! シェイクスピアに勝ちたい訳。
中村 もちろんです。
富野 (笑)。
中村 勝ってます。
富野 そういう時に、これでなぁ……というのがあるから。だから今回本当に、「G」の曲をいただいた時に一番びっくりしたのは、本当にあの単語が出てくるっていうことのすごさ。っていう意味では、今の若い人そういう言い方しても分かんないだろうと思うけど、「ドス突き付けられた」って感じがあるからね。
中村 監督は僕の大先輩ですけども、「今の若い人たち」という分類もままならなくなってきて。
富野 はい。
中村 まさにそのオンラインの人類と、オフラインの人類に全く分かれてて。年齢関係なくオンラインとして実績のない人間は尊敬されないというか。尊敬まではいかない、相手にされない。例えばうちの娘に僕がアドバイスしても、僕は動画の編集の仕方も知りませんし(笑)
富野 (笑)
中村 本当、ガジェットの使い方全く分かんないんで。色んなことで人生の先輩として教えても、iphone使えなかったらアウトなんですよ、説得力が。
富野 きっとそうなんでしょうね。今僕の周りにはそういう人がいないから。
中村 そうなんですか。
富野 そういう敗北感がないの。同年齢しかいないんだもの。
中村 でも作画の現場って最終はガジェット使ってますよね?
富野 使っているんだけれども、ああいうもの使ってる奴は他人だもの。他人なんてもんじゃない。スタッフ以下だもん。絶対付き合わない。鉛筆で絵が描ける人としか仕事しなくなっちゃってる(笑)。
中村 何言ってるんですか。宮崎駿さんみたいなこと言わないでください。よく分かんないなぁ、もう。
富野 だってそういう歳だから。年齢には勝てない部分があるんだって(机叩きながら)。
中村 監督、(19)41年生まれじゃないですか。
富野 うん。
中村 ポツダム宣言が45年じゃないですか。
富野 (笑)
中村 もうすごいと思って、俺なんか。現役ですよ? こういう言い方したら軽くなっちゃって誤解を受けて困るけれど、だけど、よく考えたら僕も58なんで、生まれが。ポツダム宣言からたった13年しか経ってないんですよ。今の13年前ってこれ、皆さんどう思います? 昨日のことでしょ?
富野 言われてみりゃそうだよね。だけど今の若い人、ポツダム宣言の話分かんないですよ、絶対に。
中村 いやいや、今検索してますよ。簡単ですよ。
富野 (笑)
中村 あっと言う間に。今「ポツダム宣言」上がってきますから。ガンガン。本当に(笑)。ふざけてる訳じゃなくてね。
富野 全然分かる。
中村 ただ、やっぱりその中で、猛烈な体験をなさってきて。
富野 してない、僕の場合。
中村 それはWikipediaで読みました。
富野 一番の理由ってのは、今8月期だから、要するに終戦記念日みたいなこともあるんで、そういう記事もいっぱい読まざるを得ない訳。読んでてつくづく思うことがあって。「なんでこんな風な日本になってしまったんだろうな」っていうよりも、「なんであんな戦争をやれたんだろうな、すごいよね、気違い沙汰」……あーっ、ごめん!
中村 大丈夫です、大丈夫です。41年生まれなんで普通の言葉です。当時の表現を忠実に今再現してる訳であって。今監督はそういう概念を持ってらっしゃらない。
富野 だけれども、概念を持ってないからこそ、逆に本当にね、謎なんですよね。なんでああまで国力が違うのに、戦争を仕掛けられたんだろうかな、っていうのは常軌を逸してるものではないんですよ。そういうレベルではないのに、実を言うと戦後の問題でよく分かることがあるんだけれども。一番仕掛けた、仕掛け人をした人たちというのは、全部発言をしていない、戦後は。つまり、特攻に行けと言った奴は、いなくなっちゃったの。一切合切いなくなっちゃったの。特攻をさせられて死んだ痛みだけを持った人たちが戦後発言をしてる訳ね。特攻を仕掛けるということを思いついて、それをやることが戦争だと思えて、そして特攻で国に殉じたということで、「立派な戦死なんだ」という言葉遣いを発明する奴がいる訳。
中村 それで救われる方も。
富野 それは当然です。戦死者を家庭内に持っている人たちは皆そうなの。だってそうでなかったら無駄死になんて言ってほしくないもの。問題なのは、死にに行けと言って戦争に勝てるんだったら、死にに行けと言っても良いんだけれども、死にに行けと言った奴が、戦後生き残ってて、ごめんなさいと言った奴は一人もいなくって、軍人恩給を貰ってるんだよ。
中村 ちょっとその辺はですね、番組が終わった後に。僕が振っときながら断ち切るのは申し訳ないんですけども。でもね、僕いつも思うんですよ。例えばG-レコで戦闘シーンあるじゃないですか。それこそついでに死んじゃう人いっぱいいる訳ですよ。あれどうしてくれるんですか? 例えば水戸黄門が「助さん角さん、懲らしめてやりなさい」って言って刃物をピュッと向けた時に、ついでに死んじゃう人いっぱいいる訳です。
富野 そうそう。
中村 これはすごいシリアスな問題だと思うんですよ。どういう風に考えてらっしゃるんですか? 「あれ、やられちゃった」っていう(笑)。いっぱいいるじゃないですか。
富野 「あれ、やられちゃった」という局面を作ったって奴のことをそろそろ本当にお前ら考えろ、っていう部分はもう40年以上前から持ってます。だから偶然ではないんだよね。だから最近のデジタルの加工は本当に腹が立つものがあるのは、平気で人間を飛ばすものね。「お前、人間をここまで飛ばしたら死ぬんだぞ」っていうのを、皆絵面のかっこいい爆発の飛ばされ方をしてる訳。そういう演技論を見せられて、かっこがいいとかいう風に思わせる今のデジタルビデオの環境、極度に酷いと思う。それでじゃあ、ついでにとか、勝手に死んでく人たちのことを無残に死ぬ様にやったら、戦争反対の表現になるかと言うと、その表現をした瞬間に、オンエアが禁止される、公開が禁止されることが起こるから、それをしてはいけない。って時に、我々はそういう具体的な物事に対して正確な判断基準になる材料を持ててるの? って言った時に、今の人たちは持ててないよね。
中村 それは難しいですよ、やっぱり。
富野 東京大震災の時の、震災の後の焼死体の写真でさえも黒塗りになってるか、フレームから切って掲載する様になってしまった時代には、我々はこれ以後、なんて言うのかな、「人の命を大事にしましょう」ってことだけを言葉にしていて済むんだろうか? そろそろ本当に考えなくちゃいけない時期が来てるんじゃないのかな、とも思う。だけども、人権主義に関して、既にもう誰一人反対論を言えなくなってしまっている。
中村 自分自身も?
富野 そう。この3、40年経つんで、正直困ってます。困ってるからこそ、そういうものに反旗を翻す様なものを作れないのかな。
中村 作品でね。
富野 とも思うんだけれども。ってことで今本当に苦労してます。
中村 そんな富野監督がですね、好きな曲をかけようかなと思って。2曲あるんですよね。
富野 あるんだけれども。
中村 最初に考えたのはなんですか?
富野 最初に考えたのは「ハイフン・スタッカート」で、自分の作詞した曲で。G-レコでやった曲なんだけれども。とっても好きなのよね。
中村 じゃあちょっと聴かせてもらいましょうかね。聴いてください。
(ハイフン・スタッカート)
中村 これですね。知ってますよ。アレンジとか監督意見するんですか? 「こういう風にしてくれない?」これも菅野さん?
富野 菅野さん。すごいですよ。歌詞カード渡して、何にも言わないの。それでこの曲ができてくるの。すごいなぁ。
中村 トイレ関係で言えば、やっぱりG-レコですごいのはトイレですよね。コア・ファイターの中にトイレがある。あれすごい。あれ今までの巨大ロボットものにああいうのありました?
富野 いや、一度やってるんですけど。
中村 まさにそうですよね。
富野 何よりも菅野祐悟がすごいのは、あの歌詞カード持ってきて、この曲想で作るっていうのは、もう本当にね……脱帽ものと思ってます。
中村 先ほどのホルストもそうですが、宇宙、壮大さ、サイエンスフィクションという言い方が良いか分からないですが、そういうものに絶対今まで使われなかった東洋と言うか、インドって言うか、バリっぽいと言うか。ただ、バリにしてもインドにしても、宇宙と直接つながってる……。
富野 そういう説明を一切しないのに菅野祐悟はそれやってくるんだよね。
中村 すごいですね。そこでもうピーンときちゃうと言うか。G-レコの地球サイズにしていくと言うか。ちょっと欧米なサイエンスフィクションの描写今まであったけど、インドも含めてマントラ含めての宇宙観。
富野 ここまでパッとくるってのはそりゃすごいよね。
中村 すごいですよね。俺はできないですよ。菅野さんで良かった(笑)。偉そうに言ってるけど(笑)。怒られちゃうな本当に。もう一曲いきましょうか。もう一曲はこの曲です。突然言ったんでスタッフ慌てて。うちの曲なんかアーカイブ入ってませんからね。
富野 (笑)
中村 慌ててSpotifyからとったんじゃないですか今。本当に。昔はレコード部屋に行ってですね、引き抜いて。Spotifyで検索すれば出てきますから。これはドリカムの「うれしはずかし朝帰り」。これは何故です?
富野 要するに衝撃を受けたんですよね。
中村 これ実際にお聴きになったんですか?
富野 聴きました。朝帰りの曲だろ!? なのに何よりもさ、朝帰りをテーマにして、こうまで大々的に元気に歌っちゃう、っていう。つまりシンガーソングライターみたいなのが出てきたってのがまずね、衝撃的だった訳。
中村 まぁ、当時の常識で言うと朝帰りというのは秘めたるものでございます。
富野 そうそう。そういうロマンがない訳(笑)。
中村 (笑)。ありますよ。ロマンあるけど、そうですね、清々しい朝です。
富野 これかぁ! っていう時に、まさに世代間の断絶。
中村 切れ目が入ったんですね。
富野 はい。っていうものを感じて、こういう人たちが出てくるこれ以後の10年20年、どうやって暮らしていこうかと。
中村 (笑)
(CM)
富野 (笑)
中村 いやいやもう、悔しい悔しいで一時間ゆっくりお話しさせていただきましたけれども。もちろんね、ソーシャルディスタンスとりながら、監督の健康にも、私自身もそうですけど。また是非、秋元さんにチャンスいただきましたら。
富野 ほんとそういう意味ではご縁で。だって(笑)、秋元さんって人、僕にとっても妙な関係の人で。
中村 番組では言えない話があるらしいですね。
富野 いや、言えないんじゃなくて。そうじゃないそうじゃない。作詞をやって貰ってるんだよね、変な曲のさ(機動戦士ガンダムZZ OP1「アニメじゃない」)。
中村 今1時間やって気が付きました。秋元ってロボットいるんだね。
富野 端から気が付いてます(笑)。
中村 僕全然気が付かなかった。ここになんか台本が出るのかと思った。違いました。ひどいね、これで俺は仕切ってるんだよ、ってのを証明している。
富野 そうそうそうそう。
中村 ひどい人だねぇ。また是非チャンスがありましたら。
富野 本当に機会があればということで。僕にとっても、本当に中村さんの切り口の考え方? みたいなものが正直本当に勉強になるんで、ありがたいんですよね。ありがたいんだけども、今から聞かされてもね、間に合わないんだよねぇ。


富野監督が「俺」と言っているところは、普段人前で演出家として演出している状態ではなく、素が出ているのかもしれない(しかしそれすら演出かもしれない)。

DREAMS COME TRUE 中村正人のENERGY for ALL 8/30放送分

TOKYO SPEAKEASY 2020年8月20日放送分の富野監督の話の後日談。

中村 僕は決してMC力がある訳ではなくて。富野総監督は僕より16年ぐらいの先輩なんですけど、僕がティーンエイジャーの頃から、20代30代含めてなんですけど、まさに富野監督の世代が、富野総監督とか宮崎駿さんとか、いわゆる日本のアニメ黎明期、そういう時代の0から1を創ってきた人たち。僕らのそのぐらいの音楽界で言うとYMOの三人、細野晴臣さんとか坂本龍一さんとか。そういう先輩たちに憧れてただひたすらやってきた僕にとってはですよ。こうやって富野総監督とお話できることだけでもワクワクしちゃうんですよ。本当に嬉しい。一言一言が素直に僕らにとっては神の言葉なんで。その言葉をできるだけ僕も解釈したいし、喋りながら追いついてい行こうとはしてるんですけど。まぁそのプロセスがああいうラジオ番組になって、皆さんにも面白いと思ってもらえればこれはもう幸いなんです。ただただ僕が富野さんと喋っていることが嬉しくて。そんな気持ちがたぶんラジオ番組に出てきて、こういう感想がいただけるのかなと思ってますけど。
GOW 以前富野監督がエネマサに遊びに来てくださった時とまた違うストーリーと言うか。
中村 そうだね。そういう楽しい雰囲気がね、伝わってくれたのは嬉しいと思います。