生成発展 テクノロジーで変革する中小企業の未来

武蔵野の社長、小山昇さん
武蔵野の社長、小山昇さん

経営の神様はITがお好き
端末全員支給で業績アップ

全社員にタブレット端末を支給し、残業を劇的に減らした株式会社武蔵野(東京都小金井市)。本業はダスキンのクリーンサービスやライフケア事業だが、社長の小山昇さんは「経営の神様」の異名を持ち、中小企業を対象にした経営支援事業にも力を入れる。18年連続増収の武蔵野で進める「社員の生産性を上げ、人材の流出も防ぐ『人材戦略』」を中小企業経営者に説いている。小山さんは「業績を上げるには、IT導入は必須」と言う。

文:羽根田真智
photo:伊原正浩

武蔵野では2012年以降、263人の社員だけでなくパート、アルバイト、内定者も含めて全員にタブレット端末を支給した。総数は670台に上る。最近ではスマートフォンも全社員に支給した。しかも2年ごとに新機種に買い替える。2年ごとにかかる購入費と通信費は、タブレット端末でだいたい6千万円、スマートフォンで5千万円。合計で1億1千万円になるという。

そんなにお金をかけられるのは、武蔵野の業績が上向きだからだろう、ウチでは到底無理だ……。そう考える経営者もいるかもしれない。しかし、小山昇さんの考え方は違う。

「IT導入は業績を上向かせるためです」と小山さんは言い切る。実際、IT導入によって業績は上昇し、現在、売上高は前年比8%増となっている。

―― 営業も予定管理もタブレット端末で

武蔵野の主な事業は、掃除用品や掃除サービスを提供するダスキン事業だ。ダスキンの営業担当者は、紙の伝票と商品を持ってお客さんを訪問する。毎回同じ商品ならいいが、「このスポンジは次回から不要」「明日からモップを追加」などの新たな注文や商品変更の要望を日々聞き取り、対応しなければならない。

タブレット端末が導入されるまでは、外回りから会社に戻ってから伝票を見ながらPCで基幹システムに入力していた。導入後は、基幹システムを社内だけでなく、外でもタブレット端末で入力できる仕組みに変わった。それによって、お客さんの目の前ですぐに入力したり、外回りの空いた時間に入力したりできる。会社に戻ってからの作業は大幅に少なくなり、残業は減った。また変更情報を日中に素早く入力できるため、社内の担当者はその情報を受けて準備作業に早く取り掛かれるようになった。

各自が持つタブレット端末でダスキン商品の在庫管理ができるシステムもつくった。それまでは月末にパートが紙の在庫表を使って社内に残った商品を数え、営業担当者は自分が持ちだした商品を在庫表に打ち込んでいた。その作業が無くなり、月末の残業時間が激減した。

スケジュール管理もタブレット端末でするようになった。かつてはホワイトボードに書かれた各人のスケジュールをにらみながら、会議や打ち合わせの日時を決めていた。それでは「上司に営業同行をしてもらいたいのに調整が間に合わない……」と困ることもあったという。今では社員のスケジュールをウェブ上で共有し、タブレット端末で確認できる。時間のロスは少なくなり、仕事が迅速に進むようになった。

小山さんは「これらはほんの一例。いずれも私が主張している『人材戦略』の一環です。社員1人あたりの生産性を上げることにつながっています」と言う。生産性が上がり、残業が減る。その結果、働きやすくなり、退職者が減るという好循環を生み出すのが「人材戦略」の狙いである。

各職場の月平均の残業時間

―― 残業月平均76時間が17時間に

IT導入後、武蔵野の月平均の残業時間は、それまでの76時間(2013年実績)から17時間に減った。部署によっては月平均で0.2時間、0.6時間といった、ほぼ残業ゼロのところもあるという。

残業時間が減ったことの費用対効果を考えてみよう。

タブレットやスマートフォンの通信料は会社が負担しており、平均すると1人あたり月々約9千円の負担増。東京都の最低賃金は現在、1時間あたり985円。仮に1時間の労働価値を1千円とすると、9時間分の労働価値と毎月かかる9千円の費用とが同等ということになる。つまり9千円の端末経費で9時間分の労働時間を減らせれば、元が取れるという計算になる。

IT導入の効果として、残業時間が59時間減った。ざくっと50時間減ったとして、その残業費を計算すると、50時間×時給1千円×残業代割増率1.25×12カ月×社員数263人=1億9725万円となる。実際の1時間の労働価値は1千円以上なので、安く見積もってもざっと年間で2億円以上の残業費を削減できたことになる。

小山さんは費用対効果について、こう語る。

「2年ごとにタブレット端末とスマートフォンを全社員に支給しても、かかる費用は計1億1千万円です。1年間に残業費2億円以上を削減できたということは、2年間なら4億円。4億円から1億1千万円を引いてください。2年間で3億円近いメリットが会社にあるということです」

実績をみる限り、IT導入の効果は大きい。2年間ごとにタブレット端末を更新するのも、社員の生産性向上を考えているためだ。ITの進歩はめざましい。写真1枚を送信するのに10秒かかっていたが、今では1秒で送れる、といった事例は多々ある。「わずか9秒の差ではありません。もしも2年前の機種で100枚の写真を送ったなら、900秒、つまり15分の無駄が生じる。ちりも積もれば山となります。社員の生産性を少しでも上げるために最新の機器を導入しているのです」と小山さん。

―― 浮いたお金は賞与とベアで還元

政府が進める「働き方改革」は中小企業にとっても待ったなしである。しかし、深刻な人材不足を抱えている中小企業にとって「働き方改革を進めるのは難しい」という見方が多い。小山さんが武蔵野の経営計画発表会で「全社員の残業時間を月平均45時間未満まで減らすことを目指す」と宣言したのは2015年度。小山さんもその時は「正直、本当に可能なのか、自信がなかった。私は本来ならどんな経営計画でも『やる』と断言します。

しかし、『目指す』という表現になってしまった。かつてないことでした」と振り返る。

その時の社員の受け止め方はどうだったのか。社内の雰囲気は「残業して当たり前。残業代を含めた給料で生活設計をしているのが実情で、その給料が減る残業時間の減少は受け入れがたい」というものだったようだ。

「経営の神様」といわれる小山さんは、そこで本領を発揮した。生産性を上げるためのツールとしてIT導入を決めると同時に、残業費が少なくなっても給料が減らないように、賞与を上げるという決断をした。賞与アップの総額は7500万円だった。

新卒社員の基本給も19万3050円から7千円アップの20万50円にした。「武蔵野スピリッツ」に合った新卒社員を採るためだった。それに伴い全社員の基本給もベースアップした。人件費負担が増えるばかりで大丈夫かと思えるが、小山さんの考え方は違った。

「残業時間を減らすには、社員の気持ちを無視してはいけません。みんなが取り組むようになるにはどうすればいいか。働く時間は減っても、給料を減らすどころか、むしろ増やしたのです。そうなると、社員は辞めません。会社の環境をよくして、働き方をよくする。そのツールがITです」

10年以上働いている人で、この10年間で辞めたのは1人だけという。3年間で71人の新卒社員が入社して、辞めた人は、たったの1人。「多くの会社は、若い人に会社の仕組みに合わせるように要求する。武蔵野は時代の変化に会社の方が合わせようと努めます。

今の時代、残業が多く、給料も安いという会社は人材を確保できません」と小山さん。

会社には利益をもたらし、社員にはより良い働き方を提供する。ウィンウィンのやり方を追求するのが「小山流」である。

―― 私用認めて社員に慣れさせるが先

「タブレット端末なしなんて、もう考えられません」

いまではこう話す社員も少なくないが、最初は社員にも戸惑いがあった。

「私が提案したことで、社員の反対を受けなかったことなんてありません」と小山さんは笑う。ここでも小山流の提案をした。

会社支給のタブレット端末を「私用OK」としたのだ。スマートフォンも同様だ。もちろん、通信費は会社持ち。タブレット端末で料理レシピを検索するのも良し、ゲームするのも良し、SNSを見るのも良し、とした。ITに疎い年長世代には「孫の写真を撮って友人に見せればどうだろう」と、私用で楽しむ方法を教えたほどだ。

「新しいツールに慣れさせるには、不純な動機でもいいから使うことが近道。ITを導入し、失敗したという会社は、ほぼ私用を禁止にしている。それでは端末は会社に置きっぱなしになる。日常的に使い、その便利さの中毒になれば、『仕事で使いたくない』と言っていた社員も、『タブレットを返したくないので、仕事で使います』となります」

 仕事にだけ使え、とケチなことを言っていては、社員のやる気は失せてしまうのだ。

社内に670台もタブレット端末があれば、社員のためのサポート担当者が多数必要ではないかと思えるが、武蔵野には担当者は1人だけ。どう対応しているのだろか。

2年ごとの機種変更ではデータ移行も大変だ。武蔵野では担当者がセミナー形式で古い機種から新しい機種へのデータ移行を教えるが、その進め方がユニークだ。データ移行が早く終わる人とできない人とに分かれるのは、いずこも同じ。武蔵野では「できた人は、だれか1人に教えないと帰れない」というルールをつくった。その結果、みんな早く帰りたいので、できていない人を積極的に探して教えるようになったという。

小山さんは「担当者1人でも十分に対応できる。ちなみに、古いタブレットは、希望があれば社員に格安で譲る。それは社員の奥さんや子どもにわたり、家族間でもITを日常的に活用するようになる。とにかくITへの毛嫌いをなくすことが先決です」と指摘する。

要は「○○だからできない」と考えるのではなく、「わが社の場合、どうすればITを導入し、生かせるか」を前向きに検討することが重要なのだ。

ラーメンチェーン「凪スピリッツ」の社長室の本棚。小山さんの著書をバイブルとして愛読する経営者は少なくない

―― 悩む前にやるべし

「会社が生き残るカギは、常に変化する時代に会社をいち早く対応させていけるかどうか」小山さんの警句である。

ITが社会と切っても切り離せない存在になっていることを考えると、いつまでもITを遠ざけておくわけにいかない。悩む前にやる。これが全てだ。経営の決定権を持つ社長が動くしかない。小山さんはITについて学ぶため、週1回、専門家の教えを請うた。専門的な用語を何時間も説明されても、1回では理解できない。同じ説明を1時間、計3回繰り返してもらい、少しずつ身に付けていった。

昨年5月、人工知能(AI)の導入を決めた。2億円までは稟議(りんぎ)なしとした。担当者から「二つの会社のシステムのどちらにするかで決めかねている」という相談を受けた際、即座に「両方やれ」と答えた。理由はこうだ。

「AIも初めてのことです。やってみないと何がいいかわからない。そして、どちらか一方を試して、駄目なら次、というやり方では、時間がもったいない。時代は常に動いているのです。時間を損することを考えたら、両方同時に試してみて、1年後に決めればいい」

現在、新卒採用のホームページには、対話ができる高精度AIを導入した。24時間365日対応のため、学生は思い立った時に、採用担当者には聞きづらいことでも質問できる。採用担当者の経験に左右されないので、回答の品質向上も期待できる。武蔵野をより理解してもらい、「入社したけど、思っていたのと違った」とならないようにするのが狙いだ。

コールセンターには、音声認識、ディープラーニングなどの機能を持つAIを取り入れた。オペレーターと顧客との会話の中からマニュアルやルールブックをピンポイントに探すことができるため、業務の効率が向上。ベテランと新人とのスキル差もカバーでき、結果的にサービスの向上がはかれると期待している。

「たとえ失敗しても、それは成功につながります。もったいない、ということはない。IT投資をためらってはいけません。必ず投資を上回るリターンがありますから」

まずは使うことからすべてが始まる。

株式会社武蔵野
本社:東京都小金井市東町4-33-8
E-mail:[email protected]
従業員:800人(パート、アルバイトを含む)
資本金:9,900万円
創業:1956年
事業内容:ダスキン事業、経営サポート事業、採用kimete事業など

代表取締役社長:
小山 昇(こやま・のぼる)

1948年、山梨県生まれ。東京経済大学を卒業し、日本サービスマーチャンダイザー株式会社(現武蔵野)に入社。一時期、独立していたが、1987年に武蔵野に復帰。1989年に社長就任。2001年から中小企業の経営者を対象とした経営コンサルティング「経営サポート事業」を展開。そのほか、全国各地で年間240回以上の講演・セミナーを開いている。

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