(写真=PIXTA)
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 東京大学が、英語の民間試験(外部試験)を入試に利用しないという方針を表明しました。これはすなわち、スピーキングテストを実施しないということで、その反響はかなり大きくなると予想されます。

 もし、他の大学も同じような判断を下した場合、英語教育に対するインパクトはとても大きく、スピーキング力向上の機運が弱まることも考えられます。このたびの決定の背後に、実際にどのような事情があったのかは知るよしもありませんが、私が想像するところについて簡単にご紹介し、合わせて、あまり複雑に考えなくても日本の英語教育を「一夜」にして確実に変えることのできる方法についてお話ししたいと思います。

トップレベルの大学はどちらでも良い。

 まず押さえておきたいのは、じつは、国公立も私学も最上位にランキングするような大学にとっては外部試験があろうとなかろうと、大した影響は受けないということです。これらの大学に行くような学生は、それなりに努力を積み重ねてきていますので、「素の英語力」においてもTOEICで500~600点程度は簡単に取りますし、スピーキングについても、本当に必要であると分かれば猛烈に学習して、卒業までにはそこそこ話せるようになると思われます。

 実際、私の知る限りでも、工学部の院生でありながらTOEIC730点に加えて、そこそこのスピーキング力を身に付け、難なくグローバル企業に就職した例や、文系で2年生から3年生への進級要件がTOEIC730点のところを、自力で勉強して難なくクリアーしていくという例があります。後者は、ほかでもないその学部の学部長をしていた方から直接お聞きした話です。

 いずれにせよ、「スピーキングテスト」という点だけから考えるのであれば、上位層の大学にとって、外部試験を導入するかしないかということは、それほど大きな問題にはならないように思われます。ではなぜ東大はあえて外部試験の導入を見送ったのでしょうか。私自身は、大所高所からの判断ではないかと考えています。

様々なバラツキ

 その一つ目の理由として、目的や規模の異なる様々な民間テストを活用するということに、大きな無理があるということが考えられます。目的という点では、例えば、TOEIC(これだけ取り上げて恐縮ですが)の場合、上でも触れたとおり、海外経験やビジネス経験のない普通の高校生でも、それなりに鍛えている人であれば「素の英語力」でかなりのスコアを取ります。その意味では、英語力の判定基準にすることはできるのですが、入試に関わるとなれば「対策勉強」をする生徒も出てきます。そうすると「中・高校生+TOEIC」となるわけですが、この組み合わせはやはり厳しいと言わざるを得ません。高校生、いや、下手をすると中学生が受験対策ということで、「benefits(福利厚生)」や「construction equipment(建機)」、「factory expansion(工場の拡張)」といった主にはビジネスの場面でしか登場しないような言葉を含む英文に取り組むことになるからです。

(※)実は、英検などもいつの頃からかビジネス寄りの英文を出題するようになっているのですが、TOEICほどにはビジネスに傾いていません。

 他にも、易から難への段階的な判定が難しい、実施回数が少ない、実施場所が少ない、受験料が高い、肝心のスピーキングテストの精度にバラツキがある、といった様々な問題があります。また、突如として10万人、20万人という単位で受験者が現れた場合、とくにスピーキングテストの質の保証がどうなるか心配です。スピーキングテストは、ただでさえ判定が難しく、合否が揺れやすいのですが、多数の試験官を雇うというような事態になると、その判定の揺れ幅が大きくなることは避けられませんし、公平性にも疑問が出て来ます。

そもそもの限界

 2つ目に考えられる理由は、そもそもスピーキング力をどこまで身に付けることができるかという問題です。現在進められつつある種々の変革によって、将来的には実情が大きく変わるかもしれませんが、少なくともこの先数年間に限ると、日本人のスピーキング能力が飛躍的に伸びるとはとても考えられません。

 これは識者からよく指摘される点ですが、国内で週何時間かチョコチョコとスピーキング練習を行ったところで、大したことにはならないからです。実際、外国語習得に関する専門書を見ても、スピーキングの習得が困難であることが必ず触れられています。

 もちろん、これは何をゴールとするかにもよるわけで、ここを明確にしないといけないのですが、もし授業でいわゆる日常英会話的なものばかりをやっていると、ハードなリスニング力やリーディング力、ライティング力を養うことは極めて難しいと思われます。

 それに、そもそもこれまで、スピーキング以外の3つの技能(読む、聴く、書く)をうまく伸ばすことが出来ていたのかについても検証が必要かもしれません。スピーキングの練習が、他の技能の習得を助けるという面は間違いなくあるのですが、逆にスピーキング練習がなくても、他の3つの技能をある程度のレベルにまで伸ばすことは可能で、もしこれがこれまでしっかりと出来ていなかったとすると、あやふやな土台の上に、さらに負荷をかけることになり兼ねません。

他国の事例

 ちなみに、他国の事例を見ると、つぎの2つのうちのいずれかのパターンのようです。1つは、熾烈な競争下で学習を続け、学校だけでなく専門塾にも通い、さらには留学までをセットにした「ハングリー精神+現実的なアプローチ」で成功している例。もう1つは、ややこしいことを言わずに、国語以外の科目は「すべて英語」で行い、そのスタートも幼稚園からという、まあ、言ってみれば、英語環境を徹底的に作って成功している事例です。ただ、この場合に、「国語」というものが一体何を意味するのかははなはだ疑問ですが。

 1つ目の、「留学とセットにする」というのは、とても現実的で、よく考え抜かれた戦術で、国内で勉強したところでどうせ大したことにはならないという点をしっかりと前提に置いているところが評価できます。わが国も、やるならここまでやらないと、スピーキング能力が思うように伸びない上に、他の3技能までもが緩んでしまうという懸念があります。

日本人の英語力を超短期間で革新する方法

 さて、次に日本の英語教育を変える別の可能性についてお話ししたいと思います。というのも、私自身も長年英語教育に携わって来て、内心じくじたるものがあるからです。英語では、特に文法に関して、本当に苦労しましたし、実際に教える中で、同じ理由で、とてもポテンシャルの高い生徒が英語嫌いになってしまった例、英語が苦手になってしまった例を多数見てきたからです。たまたま私と接点のあった生徒はほぼ全員救出しましたが、ひとりで出来ることなどたかが知れています。

 これは本当に莫大な損失で、いくら外国語の習得が難しいとはいえ、そこそこのレベルの大学の入試問題でも、英文の内容そのものはせいぜい中2か中3の国語程度です。出来ないはずはありません。

 とはいえ、この間、関係者も決して無為無策でいたわけではなく、様々な指導方法を研究・実践するとともに、リスニング試験を導入するなど最大限の努力がなされてきました。しかし、どれも決め手とはならず、とうとう昨今の急速なグローバル化の波(嵐?)に飲み込まれてしまった、というのがこれまでの経緯かと思います。

 ここで留意しておきたい点は、グローバル化への対応の遅れは何も英語だけではないということです。多種多様な文化を越えてのコミュニケーション、また競争においては、論理的思考能力や探求能力、プレゼン能力が必須なのですが、これは国語をはじめ理科、社会、数学など、今やすべての学科の課題です。決して英語科だけの問題ではありません。

日本人の英語力を一夜にして変える方法

 現実的かどうかは別にして、スピーキングを含む、日本人の英語力を短期間で確実に伸ばす方法があります。それは、公的機関主導の「全国共通完全アチーブメントテスト」の実施です。アチーブメントテストというのは、簡単にいうと、学んだ英文がそのままテストとして出題されるということで、「やれば100%確実に結果につながる」形式のテストのことです。

 英語の場合だと、私は基本的には、これは「暗唱」であると考えています。

 例えば、日本では「百人一首」や「和歌」をすべて覚えさせるような教育を行っているところがあります。しかし、なぜそのような「丸暗記」を「強要する」のでしょうか。「丸暗記」なんて、絶対にしてはならない「禁断の学習法」、生徒の創造力・思考能力を奪う「亡国の学習法」ではないのでしょうか。

 あなたの意見はどうでしょう。上のような教育には反対でしょうか、それとも賛成でしょうか。もし「反対ではない」としたら、それは「なぜ」でしょうか。

 私はこう考えます。言葉は理屈ではない。良い日本語、歴史の重みをもつ日本語をしっかりと音読し、身に付ければ、それは必ず深みをもつ良い日本語、はては文化の継承につながる。その強い信念が上のような教育の背後にあると。

 英語の場合、文化の継承までは考える必要はないと思いますが、単純に考えて、良質の文章を多数暗唱して完全に身に付ければ、良質の英文、良質のスピーチ、良質の会話につながると考えられます。よく(固定的な)暗唱などは応用につながらないという事が言われますが、人間の脳が凄いのは、きわめて複雑な「ディープラーニング」によって、一見「固定的」で、かつ関連性も無いように見える情報が、相互に作用しあって、応用力、さらには創発力につながっていくということです。

 これを公的機関主導の統一試験として実施するというのが私の案です。たとえば、良質の40~80語程度のパッセージや会話文を500セット用意して、そこから30セットを出題する(※)。そして、それが英語の成績の40点の重みをもつとするわけです。英文とテスト方法をすべて明確に提示し、あとそれをどのように訓練するかは、すべて各学校や民間教育機関に任せます。

(※)これは、マイクロラーニングという教材設計の考え方です。

 さて、こうした場合、どのようなことが起こるでしょうか。直観的に予測されるのは、つぎの3点です。

①入試で40%の重みをもち、かつ努力がそのまま成果につながるとなると、日本の「全生徒」が(超高品質の)英文を、おそらく聞いて声に出して、懸命に学習するようになる。

(※)「必ず出る」そして「このように出題される」と分かっているので、高い集中が生まれます。生徒も教師もあれこれ迷わなくて良いので、無駄がありません。

②出題する英文の内容レベルをうまく調整すると、中学1年、さらには小学5年や6年からこの学習を始める者がどんどんと出てくる。

(※)百人一首や和歌のような様々な実施例に学び、応用すれば、アクティブラーニング的なものを含む、まさしく理想的な早期英語教育の展開が可能かと思われます。

③副次的な効果として、この40%へ向けての学習を行う中で、英語の基盤がしっかりと固まっていくため、相乗作用が起こり、残り60%の学習が加速される。

(※)相乗作用は必ず起こります。なぜなら、上でも触れたとおり、人間の脳はネットワークが多層に重なる超ディープラーニングを行っているからです。

「全国共通完全アチーブメントテスト」が実施できる理由

 細部を詰める必要がありますが、このテストは120%実施できます。なぜなら、これまでこの国は、「センター試験」という、途方もなく高度なマネジメントを要する試験を長年行ってきた蓄積と実績があるからです。

 普通に考えて、このようなテストが実現する可能性は、「ゼロ」に近いかもしれません。ただ、もし実現したなら、この国の英語力は文字通り「一夜」にして底上げされると考えられます。なぜなら、英文と実施方法が発表されるや、即座に、全国のすべての対象学年において高品質の英文の学習が一斉に始まるからです。

 そして、あらゆるテストにこの40%が組み込まれることになります。そのインパクトは計りしれません。

 あれこれと策を練ることも大切ですが、「ドン」とひとつ要となるものを置くというのも一つの考え方ではないかと思います。特に、語学の場合においては。

英語に関する限り、私たちの能力は30%程度しか引き出されていません。これはとても残念なことです。どうすれば残りの70%の能力を発揮できるのか。さまざまな観点から考えています。私の公式サイトはこちらです。

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