働き方改革に伴い、人事制度を再構築する企業が増えている。これまで曖昧にしてきた部分をクリアにすることが、社員のモチベーションを引き上げる。一番のポイントは、昇給の差、賞与の差を説明できる人事制度にすること。「なぜ、A君の昇給と私の昇給に、○円の差があるのか」。この質問に明確に応えられない会社は、人が辞めていく。人事制度構築を手掛ける松本順市・ENTOENTO社長に聞いた。
社員が思うように動いてくれないと悩む経営者が増えています。成果に応じて賃金を上げる人事制度を導入しても、あまり効果が得られていません。
松本:それは経営者の多くが「人事制度=賃金制度」と勘違いしているからではないでしょうか。
私が考える人事制度は、昇給や昇進を決めるためのものだけではなく、社員全員に成長する機会を与えることを目的にしています。社員が成長しながら、会社の業績も上がる仕組みになっています。
昇給のことだけを考えた人事制度はダメだと。
松本:「限界効用逓減(ていげん)の法則」という経済理論があります。人間が得られる満足度は、だんだん減っていくというものです。
例えば、100万円の契約を取ったら1万円の歩合給を出すようにした。社員は初めのうちは喜びます。けれども、1万円では満足しなくなり、次に2万円に上げて、モチベーションを維持しようと考える。これを繰り返していると、ついには歩合給が100万円になってしまう──。
そんな馬鹿げたことにはならないと思うでしょうが、似たような状況に陥っていて、笑うに笑えない経営者もいるはずです。
しかし、業務の成果を「お金」で報いるのではなく、「褒める」ことに変えたらどうか。実は、給料を上げるよりも、褒めたほうが業績が伸びます。私が提唱する人事制度を導入した約1000社が、それを実証しています。
「死ぬ気」が不足…
褒めることを重視する。
松本:脳科学の研究では、「お金を得ること」と「人から褒められること」は、脳内の同じ回路を刺激することが知られています。つまり、褒められることは、お金を得るのと同等の満足が得られるのです。
ただ、経営者なら分かると思いますが、社員一人ひとりを褒めるのはなかなか難しいですよね。
私は大学時代、「魚力(うおりき)」という鮮魚店でアルバイトを始め、卒業と同時にそのまま就職しました。当時の社長の参謀役を務めさせてもらったものの、現場はまさに「死んだ魚の目」のたとえがピッタリの無気力な社員ばかりでした。
その理由の1つが、売り上げが大きい大型店の店長は、数字のインパクトもあり褒められるけれど、小型店の店長はどうしても隅に追いやられること。どこの会社でもある話ではないでしょうか。
これは他社であった笑い話ですが、大型店の店長に数字を上げる秘訣を聞くと、「死ぬ気で頑張りました」と答えました。小型店の店長にも同じ質問をしたら、「私も死ぬ気で頑張りました」。すると社長は小型店の店長に向かって「おまえは死ぬ気が足りていないんだ」と。
いや、ちよっと待ってくださいよと私は言いました。人事評価に「死ぬ気があるかどうか」という項目をつくるつもりですか(笑)。
社員を自分の思い通りに動かすために、成果に応じたお金という「にんじん」をぶら下げてもダメ。根性論や精神論を振りかざしてもダメということなのです。
大型店の店長も、小型店の店長も、納得ずくで働いてもらうにはどんな人事制度を導入すればいいのでしょうか。
松本:魚力では当時、社員の評価や昇給は社長の一存で決めていましたが、ひと月に500万円を売り上げる大型店の店長と、30万円程度の小型店の店長とでは、数万円程度しか月給が変わらない。
これは、小型店の店長も頑張っていることを社長がちゃんと分かっていたからです。分かってはいるけれど、どうしても売り上げの大きい大型店の店長を褒めてしまう。では、どうすればいいか。
本人の努力によって変えられる数字を評価項目として立てればいいのです。その頑張りに応じて給料も上げる。これが私の提唱する「成長シート」です(下表参照)。
大型店と小型店では、立地も規模も違うため、来客数や売り上げの数字は違って当然です。ならば、お客1人当たりの単価や購入点数を比較すればいい。事実、それらの数字では、小型店が大型店を超えることもありました。
同様に、本人の力で伸ばすことができる鮮度や料理の知識なども評価の対象としました。一人ひとりの努力や工夫を測ることができる指標で評価したのです。こうして魚力の社長は、大型店の店長も小型店の店長も本人が頑張った分だけ、正しく褒められるようになりました。
「教えること」は得
ベテラン社員と若手社員を同じ基準で評価するのは難しくないですか。ベテラン社員は新しい技術や知識を習得する余地が若手ほどなく、評価が頭打ちになる。
松本:そこで、後進に技術や商品知識を教えることも評価の対象にしました。私が入社したとき、職人に「包丁の使い方を教えてください」と頼むと、「背中を見て盗め」で終わり。当時の新入社員は、入社して数年間は包丁を持てず、雑用ばかりさせられていました。
それはなぜか。ベテランが若手に仕事を教えてしまうと、給料が安くてバリバリ働ける若手に、自分の仕事が奪われるかもしれないと考えるからです。
そこで私は、教えることを「損」ではなく、「得」になる仕組みに変えました。若手に自分が蓄積してきた技術を教え、早く一人前に育てることで評価が上がり、昇給にもつながるようにしたのです。
若手は喜び、ベテランは上から褒めてもらえる。なおかつ給料も上がるわけですから、ベテラン社員は惜しみなく自分の経験や知識を提供するようになりました。成長シートは、社員の成長が見えるとともに、褒めるきっかけをつくっているともいえます。
具体的な昇給額はどのように決めればいいですか。
松本:どの企業も、新人社員と中堅社員と幹部社員では昇給金額が違うものです。また、同じ階層の中でも昇給金額が違う。なぜ変えているのか。経営者に聞くと、皆さんこう答えます。「やはり、違いがあるから」。
その「違い」こそが、昇給の違いです。その違いをきちんと説明できれば、どの社員も納得します。ただし、今まで決めてきた金額は、新しい賃金制度を作っても一切変わらないようにしなければなりません。経営者が「勘」で決めてきた昇給額は間違っていません。問題は、「説明できないこと」。だから、「成長シート」のような経営者の考え方が埋め込まれた仕組みをつくるのです。そうれすれば、経営者は昇給のことで悩まなくなります。
会社と社員を強くする「松本式・賃金制度のつくり方」
中小企業1185社の人事制度を構築した講師が指導!
毎回、読者の皆様から大好評をいただいている松本順市氏の人事制度セミナー。今回お届けするのは、新しい賃金制度を完全につくり上げるところまでサポートする特別講座です。
多くの経営者が、一体どんな賃金制度にすれば、社員の不満が出ないのか、資金繰りに影響を及ぼさないのかと悩んでいます。そんな悩みに応えつつ、できる社員もできない社員もみんな成長するのが「松本式・賃金制度」の特徴。強い社員・強い会社をつくるための新しい賃金制度を、昇給・賞与の決定システムまで落とし込んで、確実に構築できます。
登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。
この記事はシリーズ「ベンチャー最前線」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。