良品計画は2019年、東京・銀座に「MUJI HOTEL」(仮称)を開く。「無印良品」の新たな旗艦店に併設するが、ホテルの経営そのものは手掛けない。良品計画がコンセプトを策定し、内装デザインや家具提供を手掛ける。無印良品の創業者である堤清二氏も、無印のコンセプトによるホテルの開業を構想していた経緯がある。
堤氏は2013年に他界しており、11月25日に命日を迎える。良品計画の金井政明会長に、堤氏との思い出や、ホテル開業の真意を聞いた。
堤氏は手掛けた多くの事業の中でも、無印良品への関心が晩年まで高かったようですね。
金井政明会長(以下、金井):創業時の思想からぶれずになんとかやっていると評価していただいていましたが、いつもひやひやしながら、みていたようですね。決算が終わるたびに堤さんに、状況を報告していましたが、そうしたニュアンスのことをおっしゃるときがありました。
バブルに向かっていた1980年に、消費社会や高級ファッションへのアンチテーゼという堤氏の思想からスタートしたのが無印良品です。ファッション性の高い商品を無印良品が手掛けるようになってはいけないと、晩年も心配していたそうですね。
金井:心配していましたね。ファッションの領域に入ってしまうと、無印良品ではなくなってしまうと。化粧品についても、もともと堤さんは販売することにあまり賛同していませんでした。
化粧品には1990年代後半に参入したのですが、当時、生活雑貨の責任者だった私が、開発前に説明に行ったところ、堤さんから宿題を出されて、それからまた行って、やっと発売を認められたという経緯があります。大変、勉強になりました。いまでは化粧品はすごく大きな商品分野に育っています。
苦労したからこそ、時間軸で遠くまで見る視野
1990年代の半ばには、すでに堤氏は経営の一線を退いていました。それでも消費者に対する堤氏の鋭い感覚を感じましたか。
金井:ありましたね。やっぱり苦労しているので、人間の本質みたいなことが見え、あるいは時間軸で遠くまで見る視野があったんだというふうに思いますよね。
その苦労というのは何でしょう。
金井:堤さんが、西武グループの創始者である父の康次郎さんから継承したのは、池袋駅前の百貨店でした。堤さんがこう語っていたのを覚えています。
「いつつぶれてしまうかみたいな恐怖感の中から必死にもがいただけのこと。私がやったことをイノベーションと言ってくれる人もいるけど、もがきあがいた結果だ。そして最後に、無印良品に行きついた」という内容です。
その後、セゾンという巨大なグループを作り上げた堤氏ですが、最初に入った西武百貨店の再建は堤氏にとっては大変な挑戦だったわけですね。
金井:三越や伊勢丹など、老舗の百貨店がやらないことを何かやらなきゃいけないという中で、今でいうラグジュアリーブランドを欧州から持ってきた。パリに妹の堤邦子さんがいたので、それも活用して、次々にブランドを百貨店に導入したんですね。
堤氏が完全に引退して以降、そういう歴史などについて良品計画の幹部や社員の前で、堤氏に話してもらう機会はありましたか。
金井:2008年ごろに堤さんをお呼びして商品開発の担当者らに対して、お話をしてもらいました。
金井さんが社長になって間もないタイミングですが、無印良品を立ち上げた創業者である、堤氏をお呼びしたいという気持ちがあったのですか。
金井:そうだったと思います。やっぱり正直、堤さんという存在は、どっちかというと詩を書いて、小説を書いて、映画を作ったりという面を見ると、本業の小売業じゃないものをいっぱいやった、みたいに思う人も多かったでしょうね。
セゾングループが、あれだけの事業、あれだけの会社をつくって、結果的に堤さんが全部見ることはできなかった。東京シティファイナンス(グループにあったノンバンク)など、ああいったところから、綻びが出たわけですが、当時IT(情報技術)も整備されていない中で、グループ200社の財務を的確にみられる人なんて、誰一人いなかったでしょうね。
無印良品の本質は堤さんにある
バブルという時代背景もあって、そういう面もあったかもしれませんね。
金井:結果として、セゾングループが崩壊したということに対する責任も含めた議論は、当然社内にあります。それから、無印良品のアドバイザリーボードとの接点を嫌がる人もやっぱり一時は多かったですよね。
田中一光さんなど、堤氏が信頼するクリエイターを集めてスタートしたアドバイザリーボードですからね。
金井:でも、無印良品の本質がどこにあるかというと彼らにあった。堤さんが西武百貨店の立て直しに困った果てに、高級ブランドの導入など、いろいろなことをやっている一方で、無印良品を開発をするというのは、矛盾しているじゃないかということを言われながらも、結果的に堤さんの思想とか、田中さんの思想ということが、無印良品というものに集約されたというふうに思うんですよね。
困ってやったということではなく、あるべき姿、やりたいことを無印良品でおそらく具現化できたんじゃないかというふうには思いますね。
最近、良品計画は「感じ良いくらし」というキャッチフレーズを「感じ良い社会」へと広げて、小売業以外の分野も手掛けようとしています。例えば、社会課題解決をビジネスにつなげる試みとして、商店街の再生、団地のリノベーションなどを始めています。このあたりも、堤氏の思想と関係がありそうですね。
解釈も自己責任でやるしかない
金井:僕の世代というのは、辛うじて現役の時代の堤さんとの、お付き合いを末席でしていた世代なんですよ。末席の世代だから、僕たちの後の世代というのはもう直接、堤さんと関わった人はいないわけですよね。だから僕が直接触れる前の堤さんの発言とか、考え方ということを気になって調べながら、ある意味、無印良品がどうあればいいんだろうみたいなことは考えてきているということです。それを無印良品の探究という言い方をしてきています。
だからある意味、(堤氏の考えなどについて)書いてある文章をどう膨らませて考えるかということが無印良品を探究する上で大変重要です。いまいろいろ取り組んでいることは、おそらく、そうではないだろうかというふうに思ってやっています。正しいかどうかは分からないけど、僕たちなりにそれは世代が変わったわけだから解釈も自己責任でやるしかないわけです。
ただ、そのときに事業として堤さんのように、いろいろな会社をいっぱいつくってみたいなことのデメリットは見ているので、僕たちもいろいろな事業をやっているように見えるけれども、思想とかコンセプトを発信することが目的です。それぞれの事業で、大きな会社をいっぱいつくりたいというふうには思わない。
無印良品のコンセプトを取り入れた「MUJI HOTEL(仮称)」が2019年春に東京・銀座に開業予定です。堤氏はかつて、無印良品のホテルをやりたいと言っていたそうですね。
金井:無印良品がまだ300億円も売っていない時代ですね。つまりまだ「MUJI」という呼び方がなかった時代です。そのころから、無印良品のホテルだとか、無印良品の旅行だとか、すべて、無印良品の概念でつくることで、いいものができるという確信があったのですね。堤さんは、その無印の概念について、消費社会へのアンチテーゼという思いで「反体制商品」と言っていましたが。現状の住宅、ホテル、旅行などすべてを、アンチテーゼの目でみるということですね。
それくらい自由競争の中で、産業全体が商業主義的な構造になってきたことに対する、問題意識でしょう。堤さんは「消費の対象とならないものは、すべて無価値だ」と考える社会に対する批判精神がありました。無印良品が世の中に出たときは、高級ブランド品が全盛になっていった時期です。ホテルで言えば、ラグジュアリーホテルがあります。そういう方向にだけ向かっていくようでは、社会も経営者も、成熟度が足りないのでは、という思いですね。
例えば、旅行でいえば、至れり尽くせりの贅沢なサービスが付いているというよりも、本当に必要なものだけに絞って、価格を抑えるというようなものが、無印の考え方に沿った旅行商品になるだろうと。
金井:そうです。
銀座につくる「MUJI HOTEL」ですが、運営などは外部企業に任せて、良品計画自体は大きな投資はしないのですね。
金井:そうですね。僕たちは開発も運営もやらない。言ってみれば、経営はしないのです。ただし、こういう考え方のホテルがあれば、皆さん多分喜ぶのではないか、というコンセプトをつくります。僕たちは、家具など商品もつくってきたし、店舗の空間デザインも、磨いてきたと思うので、そういうノウハウを提供すれば、そのホテルの経営としても立ち行くと思ったのです。無印良品というものが何を考えているかということが伝わり、あるいは間接的に無印良品の空間や家具が魅力的で、いいものだよねというふうになればいいなと。MUJIの思想が伝わればということを思っている。そうしたことがメリットですね。
「日本」アピールでは長続きしない
小売の店舗だけでなく、ホテルなどにも広げながら、無印良品のコンセプトを発信していく必要があるということですね。
金井:無印良品が世に出た、最初のころに、例えば再生紙を使ったり、いろいろな意味で一般的な商品常識とは違うことをやって、当時はこんなもの売れないよとみんなに言われたわけですよ。割れた椎茸にしても。生成りのTシャツにしても。ところが10年、20年たつと、そういうものが当たり前になってくるわけ。オーガニックコットンにしても何にしても。そうすると、そこでの違いを出していくのは、なかなか難しいよね。要は再生紙のノートといったって、今そこら中で売っているわけですから。
そうすると僕たちはやっぱり常に無印良品とは何ぞやということを、世に発信をする必要があるんですよね。だからそれがMUJIのホテルだったり、無印の住宅だったり、というわけです。現在、当社が取り組んでいる、里山を守ろうとか、シャッター通りを何とかしようというような活動も同じ意味です。
常に世の中を見て、これはおかしいなとか、感じが悪いなということに対して、MUJIとして価値観はこうあるべきですよねということを提示していくのです。そうしたことによって、今はすごく当たり前になった商品も、もともと無印良品がパイオニアなんだということを、顧客が感じることにつながるのだと思います。製品そのものの競争ということで違いがなくなってきているけど、根っこでどんな精神性を持っているかということが多分大事なんだと思うんですよね。
常に新たな課題を探していくわけですね。
金井:探すというか、逆に生活者ということなんですよね。商売とか良品計画の社員である前にやっぱり1人の市民ということなんですよ。一般的な企業は会社に来て、自分の席に座るといきなり売る立場になっちゃう。そうならないように、ならないようにって、思っています。私が「中小企業でいたい」と言っている理由はそこなのですよね。
すでに無印良品は国内店舗数より海外店舗の方が多くなっています。海外展開をするうえで「日本」のイメージは、消費者にアピールする要素のひとつになっていますか。
金井:今もアピールはしてないし、それをアピールしようとも1回も思ってないですね。そこで支持されるようでは長続きはしないのです。
無印良品の誕生に大きな役割を果たしたアートディレクターの田中一光さんは、日本的なものを意図して表現しようとしたことは、あまりないでしょう。ただ、日本の伝統的なものの美しさにみんなが目をそらしていた時代に、彼は、そこに美の本質、表現の本質があると思っていました。彼が表現した無印良品の中には日本的な美意識、精神文化というのがやはりあるのです。
堤氏は、どのような発言をしていましたか。
金井:「堤さんは『日本らしい』ということで商売をしていると長く続かない」と言っていました。顧客に異文化を楽しんでもらっているうちに、早く価格と品質が合理的だと思ってもらえる構造を作らないといけないと、ずっと心配していました。
堤氏は、日本に比べて、海外の無印良品が割高に売られていることを、懸念していたそうですね。
金井:今も価格の問題は残っています。それは仕組みの問題です。現地である程度の店舗数とか、生産ロットがないとやっぱり価格を下げるというのは難しい。この課題をなんとかクリアしたいという事が僕たちの1つの大きな目標ですね。
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