日経ビジネス9月19日号特集「サラリーマン就活 定年後30年時代の備え方」では、定年まで勤め上げ、ようやく迎えた「第2の人生」で躓いてしまうビジネスパーソンを取り上げた。住宅ローンの残債、親の介護、妻が夫の在宅をストレスに感じる「夫源病」、これまでのキャリアへの過信…。定年後の生活にはいくつもの罠が待ち受けている。

 これらの罠は、定年後の人生が「余生」と捉えられていた時代には問題になりにくかった。だが今や平均寿命の伸長で定年後の人生は30年程度に及ぶ。もはや余生という言い方は相応しくないほど長い。

 30年もの人生を有意義に過ごすには、現役時代からの入念な準備が欠かせない。「私にはまだ関係がない」と思うなかれ。経済コラムニストの大江英樹さんは「定年間際になって地域のコミュニティーに溶け込もうとするのはやめた方がいい。慌てて準備をしてもうまくいくほど甘くなく、現役時代から5~10年は時間をかけて取り組むべきだ」と説く。

 早期退職優遇制度で伊豆半島に移住した日系グローバル企業の元幹部は言う。「毎週土曜に放送されている『人生の楽園』(テレビ朝日系列)。あんなのは嘘ですよ。定年を機に突然、田舎に移り住んでも地域に受け入れてもらえない。いまさらながら仕事と同じで入念な準備が必要だということが分かりました」。

 定年後の生活は想像するほど気楽なものではない。入念な準備とともに、新しい世界に飛び込むという心構えも重要になる。

 40代半ばでヤクザの世界から足を洗い、作家として「第2の人生」を送ることになった安部譲二さん。波乱万丈な人生を送ってきた安部さんに、これまでの歩みを振り返りつつ、定年を迎えるサラリーマンが持つべき心構えを説いてもらった。

(聞き手は林 英樹)

<b>安部譲二(あべ・じょうじ)さん</b><br />麻布中学校、慶應義塾高校とエリートコースを進むも、16歳で暴力団構成員に。22歳で定時制高校卒業後、日本航空の客室乗務員、キックボクシングの解説員などの職を転々とする。40代半ばでヤクザの世界から完全に足を洗い、作家・タレントとして活躍。今は妻と猫に囲まれた平和な余生を過ごす。著書は『塀の中の懲りない面々』『俺達は天使じゃない』など多数。作家・三島由紀夫が書いた『複雑な彼』のモデルとしても知られる。(写真:的野 弘路)
安部譲二(あべ・じょうじ)さん
麻布中学校、慶應義塾高校とエリートコースを進むも、16歳で暴力団構成員に。22歳で定時制高校卒業後、日本航空の客室乗務員、キックボクシングの解説員などの職を転々とする。40代半ばでヤクザの世界から完全に足を洗い、作家・タレントとして活躍。今は妻と猫に囲まれた平和な余生を過ごす。著書は『塀の中の懲りない面々』『俺達は天使じゃない』など多数。作家・三島由紀夫が書いた『複雑な彼』のモデルとしても知られる。(写真:的野 弘路)

40代でヤクザを辞めることになりました。どういった経緯で足を洗うことになったのでしょうか。

安部譲二さん(以下、安部):自分からヤクザを辞めたというより辞めざるを得ない状況になったのが真相だな。当時、組の中で色々あって、俺は刑務所の中にいた。そこに親分が面会に来て、「出所する前に身の振り方を考えろ」と言われた。「指(詰め)1本ですか」と聞いたら、「足りない」と言われた。

ヤクザを辞めて感じた無力感

 ヤクザの世界では自分のために詰める指はねえんだよ。例えば、人からカネを借りる。返せなくて追い込みがかかる。それでよく詰める奴がいるけど、本当のヤクザではない。兄貴分や親分が子分の不始末について「これで堪忍してやっておくんなさい」と言って差し出すためにあるんだよ。

 そこで俺はヤクザの世界から完全に足を洗い、どこの事務所にも顔を出さないことを誓ったんだ。

30年間も身を置いていた世界から飛び出すことになり、新しい世界で戸惑いなどはありませんでしたか。

「ヤクザの世界で大成できなかった」と笑う安部さん(写真:的野 弘路)
「ヤクザの世界で大成できなかった」と笑う安部さん(写真:的野 弘路)

安部:いや大変だった。何が大変って仕事がねえんだよ。周りはあんたが堅気になったらやってもらう仕事がいくらでもあるとか、会社の椅子を用意するとか言ってくれたが、なかなか実現しない。やっぱり前科者の元ヤクザを自分の分野に入れる訳にはいかないんだろうな。本当に何もやることがなくて困ったよ。拳銃も何もない裸の状況で放り出されたのでもう心細くって…。

 あの頃は、自分の能力がないことも痛感したな。思い返せば、俺はヤクザの世界でも大成しなかった。警視庁の刑事に言われたよ、「30年間、看板持ちのヤクザをやっていて親分になれなかったのはお前を含めて5人しかいない」って。5人ともに博打が下手だったわけではないし、特に根性がなかったわけでもない。それだけ長くやっていたら武勇伝もあるし。

何が理由だったのでしょうか。

 ある共通項があったんだよ。爺さんと婆さんのいる家で育ったということ。家では「人様のご迷惑になることをしてはいけません」と口酸っぱく言われて育った。うるせえと思うが、どこか体に染みついているんだろうな。それがブレーキになって、最後の部分で甘さが出て、残虐になれなかった。

競馬の予想屋で糊口をしのぐ

どのように第2の人生を切り開いたのですか。

安部:まずは競馬の予想屋を始めた。2年間やって勝率は105%ぐらい。それで100人限定で客を集めて予想を打ったんだ、電話で。1カ月で200万円ぐらい稼いだ。

 ヤクザの世界と違って義理もない。6畳1間に住み、小さな自動車に乗って…見た目には落ちぶれたように映ったかもしれないが、本当に豊かな生活だったな。200万円でこんなに豊かに暮らせるのかと驚いた。

 あとは仏壇屋で高級仏壇をトラックで運ぶ仕事もしたな。半年ぐらいしかやらなかったけど、いろんなところにトラックで仏壇を運んだよ。キャベツやレタスを運ぶことも、とにかく何でもした。

 そんな時に講談社が小説を書かないかと声をかけてくれた。ちょこちょこと小さな雑誌にコラムを書いていたのを見た、作家の山本夏彦さんが「面白いものを書く奴がいる」と言ってくれたんだ。その流れで『塀の中の懲りない面々』(文藝春秋社)も出版することになった。まんまと作家となりおおせたわけだ。

第2の人生で成功するサラリーマンが少ないようです。これまでの価値観に縛られてしまうという面があるようで・・・

安部:身も蓋もないけど、俺だったら40年も働いたとしたら、定年後は何もしないで風俗や居酒屋に行くだけの生活を送るけどな。もっと働かなきゃ、何かしなきゃってのはどうかと思うよ。

家にいても妻に煙たがられる人も多いようです。

安部:母ちゃんがうるさく言うなら、追い出せばいいんだよ(笑)。うちの父親は日本郵船で38年間働いた。兄貴も船会社でサラリーマン生活を全うした。日本の堅気はすごいよな、偉いなと尊敬しているよ。だからこそ定年後は自由に好きなことをやればいいんだ。それぐらいの自信を持っていいんだよ。

 彼らはこれまでやってきた仕事についてはエキスパートだと思う。だけど会社という看板があって、資本力があって実現できてきた部分って少なくないんじゃないか。1人になって能力が発揮できるかって言うと、なかなか難しいと思う。

 よくサラリーマンを辞めて喫茶店とかそば屋、おでん屋を経営したり、タクシーの運転手になったりする人がいるけど、大抵は失敗するな。自分もできるように感じるかもしれないけど、客として見ているのは上辺だけだ。気楽そうだから、儲かりそうだからという理由で第二の人生を選ぶのではなく、自分に合っているものを時間がかかっても探さなきゃダメだよ。

運がいいと思い込め

安部さんがサラリーマンだったらどうしますか。

 俺だったら何をするかな。儲かるのは金貸しだけど、集金が大変だしな。手っ取り早くやろうと思ったら、やっぱり恐喝かな(笑)。

 ヤクザを辞めても退職金がない。そう言えば、給料なんてもらったこともなかったな。親分にうまく使われたし、旦那たちにもうまく利用され、タダ働きだった、全部。ヤクザをうまく使う旦那が一番悪い奴だよ。

定年後の人生に悩むサラリーマンたちにかける言葉をお願いします。

安部さんが終活に臨むサラリーマンへ送る言葉は「おまじないをしろ」(写真:的野 弘路)
安部さんが終活に臨むサラリーマンへ送る言葉は「おまじないをしろ」(写真:的野 弘路)

安部:「自分は運がいい」と本気で信じることだな。俺が今、不自由のない幸せな生活を送れているのは運が良かったからだと思っている。体中バサバサに切られて、弾も撃ち込まれて。そうじゃなかったらとっくに死んでいた。

 人との出会いも運。運がいいと信じれば、看板がなくても道を切り開けられる。原動力になる。だから座布団をひっくり返すとか、自分の中で何かおまじないを見つけることだな。ヤクザはよく唾を吐くけど、実はあれはお祓いの意味でやっている奴も多いんだよ。

 おまじないをしろって、堅気のいい歳の人に勧める話じゃない。だいたい俺のキャラクターに合ってないしな(笑)。

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