慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)がエグゼクティブ向けに開設する「Executive MBA」。

 「経営者討論科目」を担当した冨山和彦・経営共創基盤代表取締役CEO(最高経営責任者)は「挫折からすべてが始まる ~乱世の時代のリーダーへの道」をテーマに授業を行った。東芝の不正会計問題を切り口に、企業のリーダーに求められる資質を探る。

 共同体的性格を持つ日本企業の経営者は、情緒を重んじ、多くの人のコンセンサスを得ながら意思決定していく傾向にある。だが、時に経営者は「あれか、これか」というシビアな選択に迫られる。企業の成長性、収益力を保つためには「捨てる」「選ぶ」決断を下し、新陳代謝力を高めることが不可欠だと訴える。

(取材・構成:小林佳代)

<b>冨山和彦(とやま・かずひこ)氏</b><br/>1985年東京大学法学部卒業。同年ボストンコンサルティンググループ入社。92年スタンフォード大学経営学修士及び公共経営課程修了。2001年コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年に産業再生機構設立時に参画しCOO(最高執行責任者)に就任。2007年に解散後、経営共創基盤を設立。現在、オムロン、ぴあの社外取締役、みちのりホールディングスの取締役を務める。経済同友会副代表幹事。近著に『IGPI流 経営分析のリアル・ノウハウ』(PHPビジネス新書)、『なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略』(どちらもPHP新書)、『稼ぐ力を取り戻せ!―日本のモノづくり復活の処方箋』(日本経済新聞出版社)、『ビッグチャンス』(PHP研究所)など。(写真=陶山勉、以下同)
冨山和彦(とやま・かずひこ)氏
1985年東京大学法学部卒業。同年ボストンコンサルティンググループ入社。92年スタンフォード大学経営学修士及び公共経営課程修了。2001年コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年に産業再生機構設立時に参画しCOO(最高執行責任者)に就任。2007年に解散後、経営共創基盤を設立。現在、オムロン、ぴあの社外取締役、みちのりホールディングスの取締役を務める。経済同友会副代表幹事。近著に『IGPI流 経営分析のリアル・ノウハウ』(PHPビジネス新書)、『なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略』(どちらもPHP新書)、『稼ぐ力を取り戻せ!―日本のモノづくり復活の処方箋』(日本経済新聞出版社)、『ビッグチャンス』(PHP研究所)など。(写真=陶山勉、以下同)

 前東京都知事・猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』という本があります。この本は、日米開戦直前の夏、時の政府が立ち上げた総力戦研究所という組織の若手エリートたちが、日米が戦争に至った際のシミュレーションを子細に行ったことを明らかにしています。

 シミュレーションでは、緒戦こそ日本は奇襲攻撃で勝利するものの、国力の差から次第に劣勢となり敗戦に至るという結果が出ていました。

 ところが、当時の指導者たちは、「敗戦に至る」と結論づけたリポートを読んでいるにもかかわらず、無謀な戦争に突入していったのです。

 開戦直前には米国側から大陸や半島での権益放棄などを求める「ハル・ノート」が提示されました。日本では受け入れるべきかどうかという議論もあったようです。ただ、最終的に「日清戦争以来、大陸と半島で命を落とした20万人の英霊に申し訳がたたない」という命題を乗り越えられなかった。おめおめとここで撤退はできないと結論づけられたのです。

 もし、皆さんが戦争をするかしないかの判断を迫られ、「ここで屈しては、20万人の英霊に申し訳がたたないではないか」と主張されたら、どうしますか。

受講者:……。戦争するしかないと判断するかもしれません。

 そうですか。けれど、その20万人の命というのは、米国と戦争に至ろうと至るまいと生き返ることはありませんね。これを経済学用語で何と言うか分かる人はいますか。

受講者:サンクコストです。

歴史や伝統の大半は「サンク(sunk)」

 そう。サンクコスト(sunk cost)と言います。サンクとは「埋没した」という意味。つまり、既に支出され、どのような意思決定をしたとしても回収できない費用を指しています。

 経済的に正しい判断をしようと思ったら、サンクコストを考慮に入れてはいけません。20万人のことは忘れた上で議論をしなくてはならないのです。けれど実際のところ、情緒論としてそれを持ち出されると非常に苦しいですね。

 伝統とか歴史の大半はサンクです。ただ、このようなサンクを抱えた場合、未来に向かって完全に自由に合理的な判断をすることは極めて難しい。構成員のモチベーションはサンクについたものだからです。下手に「サンクだから関係ない」などと言ってしまうと、もしかしたら、組織の士気はすごく下がってしまうかもしれません。

 一方、サンクの情緒に流され戦争に突っ込んでしまえば、より悲惨なことになります。太平洋戦争で日本はどれだけの犠牲が出たか。300万人です。20万人のサンクコストの呪縛で300万人の命を新たに失ってしまった。結果を見れば、全く不合理な決断をしてしまったわけです。

ポイント・オブ・ノーリターンを見逃さない

 カネボウにおいても、おそらく似たよう心理が働いたのでしょう。売却可能だった1980年代には「ここで繊維部門から撤退したら、先人に申し訳が立たない」といった情緒論が通ってしまった。繊維部門の伝統や歴史の重みを捨て去ることができず、引きずってしまったわけです。

 バブル崩壊後、本当にこれ以上は抱えきれないというタイミングになってから、真剣に撤退を検討したけれど、その時にはどうにもやりようのない状況に陥っていました。「ポイント・オブ・ノーリターン」を越えてしまったのです。

 大きな問題を起こす会社は大体、どこかでポイント・オブ・ノーリターンを越えています。東芝も越えたのだと思います。実力で、ライバルである日立製作所や三菱重工業や三菱電機と良い勝負ができた段階は、既に過ぎてしまっていた。もっと早く事業選別に関して本気の選択をしなくてはいけなかったのです。

 カネボウにとっての繊維にしろ、東芝にとってのパソコンや家電にしろ、かつては稼ぎ頭だったということがネックになっていたのでしょう。長年、赤字を垂れ流しているような事業なら、誰もが「撤退するのも仕方ない」と納得するものです。1つの時代をつくったようなかつての花形事業に対しては、なかなか意思決定ができないものです。みんな腹の中では「撤退すべき」と思っていても、です。

空気に抗うぐらいなら辞めた方が楽

 東芝やカネボウの不正会計のように、日本企業特有ともいえる不祥事はタマネギのようなものです。むいてもむいても中身は出てこない。芯もない。結局のところ、何もないのです。

 東芝の不正会計は、旧経営陣が日本経団連会長の座を射止めたかったことが背景にあると言われていますが、では彼らは本気で、命懸けで財界総理を目指していたのかと言ったら、そんなことはないでしょう。不正会計は起訴され、旧経営陣は刑事責任を問われる可能性があります。刑事罰に触れるリスクを冒してまでも経団連会長になろうなどとは、誰も思っていなかったはずです。

この記事は会員登録(無料)で続きをご覧いただけます
残り2625文字 / 全文文字

【初割・2カ月無料】お申し込みで…

  • 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
  • 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
  • 日経ビジネス最新号12年分のバックナンバーが読み放題