(写真=ロイター/アフロ)
(写真=ロイター/アフロ)

 完全に民主的な手続きによって、非民主主義的な独裁者が生まれることがある。先進的なシステムを有したワイマール共和国は、ナチスとヒトラーの独裁を生み出し、そして世界に禍根を残した。多くの国民は、熱狂に包まれ、ナチズムに傾いていった。そのへんの過程は名著「自由からの逃走」(エーリッヒ・フロム)に詳しい。

 ヒトラーとドナルド・トランプ氏を比較すれば、さすがにトランプ氏に失礼だろう。しかし、表現の自由を保証する国柄で、自由とはいえ、まゆをひそめたくなるような発言が多い。他国にたいする差別的発言があふれ、白人至上主義的なスタンスはトリックスターというより、アブない独裁者に映る。

 しかし、「トランプ氏が大統領になったら、日本への影響はどうなるか」と聞かれた識者は困るに違いない。TPP(環太平洋経済連携協定)反対、中国への嫌悪感、輸入関税の大幅アップ……など、表面的には刺激的な言葉が並ぶ。ただ、実際の演説内容を読んでみても、それは表面レベルにとどまっており、具体的な施策は述べられていない。おそらく、詳細を語っても、支持を取り付ける側面からは意味がないと考えているのだろう。過激な発言と、扇動で、人々を引きつけるのだとしたら、なるほど元不動産王にふさわしい。

 ただし、トランプ氏は単純明快なメッセージを述べ、人々に訴求する点では、確かにうまい。中国へ出張に行った、アメリカの空港に戻ってきたら、なんだこのボロボロさは? 中国に富と労働を持って行かれたからだ。いまこそ工場と労働をアメリカに戻そう。それに景気が盛り上がりつつあるのに、なぜ失業率は高水準にあるんだ? 不法移民のせいだ。メキシコから人々がやってこないように壁を作ろう。もちろん、費用はメキシコ政府が払うべきだ。なぜなら、彼らはドラッグと犯罪も持ち込んでいるのだから……と。

 トランプ氏が目指すのは、「Make America Great Again!」というが、言葉を換えれば、偉大なる“ひきこもり”国家をつくろうという意味なのかもしれない。

まともな米国民はいないのか?

 トランプ氏が熱狂的に支持されている様子を、各国は冷めた目で見ている、というのが現状だろう。もちろん、米国内でも、そのいきすぎた発言に反応がある。例えば、移民に否定的なトランプ氏をメイシーズは批判した。メイシーズのような巨大小売店は、移民を含むマスを相手にしている。従って、移民がメイシーズに来店した際に、トランプ関係の商品が陳列されていたら、売上減少につながるかもしれない。トランプ氏はメンズウエアのコレクションを持っており、メイシーズはそのネクタイ、スーツ、シャツ等の販売中止を決めたのだ。

 メイシーズは「私たちは、彼とのビジネスを停止せざるを得ないと決めた(we have decided to discontinue our business relationship)」と述べている。トランプ氏はトランプ氏でインスタグラムにメッセージを掲載した。それによると、トランプ氏もメイシーズとの取引中止を望んでいる。さらに、ネクタイとシャツが中国製であることについて、喜ばしいと思ったことはない、とまで語った。トランプ氏は新たな商品ラインナップを予定しており、それらはすべて米国製にするのだという。

 売り言葉に買い言葉、といった気がする。メイシーズは、トランプ氏のメンズウエアを2004年から販売している。決して短い関係ではないものの、トランプ氏は一転し支持者に、メイシーズでの不買(ボイコット)を勧めている。

 有名人の商品を置くことは小売店にとっても安価なマーケティング手段となりうる。しかし、その有名人が小売ブランドを傷つけるとなれば引きあげる。その意味で、メイシーズの反応は経営的に正しい判断だったといえるだろう。

 そして、次にトランプ氏は、米アップルを引きずり出して問題を引き起こした。

アップルが米国でiPhoneを作らないのは悪いことか

 トランプ氏は先週、アップルについて言及した。早い話が、アップルが米国で商品を製造してほしいと願っているという。これは彼が主張したメイドインUSAを増やすことにも、米国への労働回帰にもつながる。

 「私は労働を引き戻す。私はアップルに、コンピュータやiPhoneを中国ではなく米国で生産させる("I'm going to bring jobs back. I'm going to get Apple to start making their computers and their iPhones on our land, not in China")」とまで語った。これは、大統領候補が、一企業の生産システムやサプライチェーンに口出しして行政指導する可能性があることを表す、かなり大胆な発言だ、と私は思う。

 しかし、iPhoneという固有名詞を使って、またしても大衆受けを狙ったようにも思われる。さらに読者の中には、いまさらかよと感想を抱いた人もいるだろう。この話題は現職のオバマ大統領も掲げたテーマだったからだ。

 2011年にオバマ大統領は、当時のアップルCEOスティーブ・ジョブズとディナーで話し、iPhoneの生産を米国に戻せないか質問している。なぜならば、アップルはもともと自社商品が米国製であることに誇りをもっていたからだ。ジョブズは、単に労働コストの優位性からではなく、柔軟性や効率性の点からも、とても米国には生産を戻せないと“力説”した。

 中国人の勤勉性は、ときに米国人が想像するそれを超えている。2011年に喧伝された優位性は次のようなものだ。iPhoneの製造不良が見つかったとき、すぐさま鴻海精密工業の中国工場ではリカバリー対応がなされた。真夜中から始めざるをえなかったオーバーホール(修理)では、8000人の従業員が叩き起こされ、ビスケットとマグカップの紅茶が与えられ、30分以内に作業が開始、そこから12時間シフト労働が交代で96時間ほど続き、1万台以上のiPhoneができあがった……。

 ここまで仔細な話をオバマ大統領が聞いたかは分からない。ただ、事実として米国へiPhoneが生産回帰することはなかった。また、iPhoneに限らず、デバイス類の90%以上は東アジアで生産されている。アッセンブリを米国で担わない施策はこの点からも正しかった。

メイドインアメリカに意味があるか

 私はトランプ氏の主張を読んでも、細部が分からない。ただ、輸入関税については45%を検討する、と示唆している。この45%という高率の根拠が分からなかったが、要するに、そこまでして生産を米国に戻したいという気持ちの表れなのだろう。ただし本当にそうすれば、アップル以外にも、生産の機能を中国などに集中している多数の企業が被害を受けることになる。

 これはトランプ氏のサプライチェーンにおける不理解を示したともいえるものの、たまたま面白い点が明らかになった。iPhoneの生産が戻ってきたとしても、ほとんど意味がない、という意見が出てきたのだ。推測ではiPhoneのアッセンブリコストは、総製造コストの3.6%にすぎないとされる。それは金額にすれば6.5ドル程度なので、輸入関税を高率にしたところでなんら意味がないという。実際に、iPhoneが米国に輸入されてから費やされるコスト(流通、販売、通信、ソフトウエアダウンロード等々)がはるかに大きく、そちらの方が米国経済に貢献している。

 さらに製造は中国にあるとはいえ、企画コンセプトやソフトウエア開発、マーケティング等の高付加価値機能の大半は米国にあるままだ。もちろん、メイドインアメリカの商品が増えることは、心情的に素晴らしいことかもしれない。ただし、その効果がトランプ氏のいう通りかは分からない。

ブラックジョークか悪夢か

 しかし、だ。こうやって真面目にトランプ氏の議論を追いかけることが、実際にトランプ氏の思いに乗っているのかもしれない。

 イスラム教徒を批判しながら、トランプ氏はドバイにトランプ・インターナショナル・ホテル&タワー・ドバイを持っている。不法移民を批判しながら、一部のネガティブキャンペーンでは、自身のホテルで不法移民を雇用していると伝えられている。

 だからiPhoneについても、と思っていたら、やっぱり調べている人がいた。トランプ氏は、ツイッターで韓国サムスン電子製のAndroid端末とiPhoneの両方を持っているとし、そしてサムスン製を使うと発表した。それはアップルがテロリストの情報を当局に与えなかった姿勢とも関係していた。実際に、数日はサムスンを使ってツイッターをつぶやいていたようだが、その後は、使いにくかったのかどうかは分からないが、再びiPhoneを使っているようだ。

 おそらく、先ほどの文章の文末には「(笑)」と挿入すべきだったのかもしれない。もちろんつぶやきは付き人が行なった可能性はあるが、ボスの不買運動が身近な人にすら浸透しなかった証左ではあるだろう。

 ただこれに懲りず、トランプ氏はメイシーズ、アップルの次は、ワシントン・ポストの買収は税金逃れのためだったとして、アマゾンも批判する構えだ。私たちはただ単に面白いオヤジがいる、と見るべきなのか。本気、と見るべきなのか。

 そして、トランプ氏が大統領に選ばれる可能性があるというのは、ブラックジョークなのだろうか。それとも、悪夢なのだろうか。

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