今年もまもなくお盆休みがやってきます。久しぶりに実家へ帰省し、お盆法要の参加や、お墓参りを予定している人も多いのではないでしょうか。今回は、福厳寺住職の大愚和尚に「お墓参り」について聞きました。お墓参りの作法や掃除の仕方よりも、大切なことがあると話します。それは一体、どのようなことなのでしょうか。

お墓参りは何のためにする?

 誰しも一度は「お墓参り」をしたことがあるでしょう。久しぶりにお墓参りに行くと、墓石の周りに雑草が勢いよく生え、汗だくになりながら草むしりをする。すると翌日には筋肉痛になる……、なんてこともあるかもしれませんね。

 ところで、なぜ私たちはお墓参りをすると思いますか。それは「人間」だからです。

 死んだ人を墓に埋葬し、弔う。その起源は、ネアンデルタール人がいた時代にまで遡るといわれています。イラク北部にあるシャニダール洞窟で発掘されたネアンデルタール人の遺骨の周りには、数種類の花の花粉も発見されました。それは、偶然遺骨の周囲に咲いていたのではなく、誰かがさまざまな種類の花を摘み、明らかな意図を持って遺体に手向けていた。それはあたかも葬儀をしたかのようで、仲間の死を悼んでいたと推測されます。

 一方で、昆虫や動物たちはどうでしょうか。アリは、コロニーの中に生体反応が見られなくなった仲間がいると、巣の外にぽいっと捨ててしまうそうです。猿などの霊長類は、死んだ子供の遺体を数カ月抱き続ける姿も見られています。生態によって死の捉え方はさまざまですが、いずれも死んだものを墓に埋葬し、弔うまではしません。さらに自然界では、動物の死骸は跡形も残りません。死骸はほかの動物たちに捕食され、やがて土に還(かえ)るからです。

 人間が、死者を埋葬し、弔う行為をするようになったのは、脳の発達によるもので、豊かな感情を持つようになったからです。亡くなった人に思い入れがあるからこそ、動物に捕食されてしまわないために遺体を土の中に埋葬し、守ろうとしたのですね。

 さらに人間は記憶力や想像力も持つようになりましたから、死んでしまった人の記憶をずっと持ち続けます。肉体はなくなってしまってもなお、その人の存在は自分の心の中に生き続ける。けれど、いつまでも悲しみに暮れていては、日常生活が成り立ちません。死んでしまった現実を受け入れ、納得し、「決別」しなければならない。その大切な人の死を受け入れる通過儀礼として、葬儀やお墓参りの存在があるのだと、私は思うのです。

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