日経ビジネスの自動車担当になってから、もうすぐ1年になる。トヨタ自動車によるダイハツ工業の子会社化、三菱自動車の燃費不正問題と日産自動車による買収、トヨタとスズキの提携…。2016年の自動車業界は、幸か不幸か、さまざまな「事件」が立て続けに起きた。
記者がこれらの会見に出席する時、常に注目しているのが経営者の「姿勢」だ。姿勢には、発言の内容はもちろん、発言する時の言葉の選び方や言い方、声のトーン、ふと見せる表情、手振りなどの動作が含まれる。映像を通して見るよりも、その場にいることで得られる情報ははるかに多い。姿勢に着目すると、その経営者の本心が見えるような気がするし、その空気感も含めて読者に伝えられれば、読者にさまざまな感じ方をしてもらえるのではないかと思っている。
章男社長だけは素顔が見えない
ところが、何度、会見で同じ場を共有しても、「本当のところはどんな人なんだろう。何を考えているのだろう」と、むしろ謎が深まった人物が一人だけいた。トヨタ自動車の豊田章男社長だ。
10月12日に開かれたトヨタとスズキの業務提携検討を発表する場では、鈴木修会長に発言権を譲ったり、発言中の鈴木会長を敬うように見つめたりする場面が何度も見られ、人の良さを感じることができた。でも、なぜかその人の良さを信じることができない。「本当は何も話すことがないのではないか」「修会長に任せた方が、独特の『修節』で記者の質問をやり過ごせるから、あえてそうしているのではないか」などと、どうしても勘ぐってしまうのだ。
そんな時、章男社長の素顔を知る絶好のチャンスがやってきた。12月1日、日本科学技術連盟(日科技連)が開催した品質管理シンポジウムで、BSジャパン「日経プラス10」でメインキャスターを務める小谷真生子氏を聞き手に章男社長がトークショー形式の講演をすると聞いたのだ。出席者は日科技連の会員が中心。記者は「メディアばかりが相手の会見とは違って、素顔の章男社長を知ることができるかもしれない」と参加を願い出た。
その予想は結局、的中することになる。
米議会の公聴会後に流した、うれし涙
約90分の講演を聴いて最も印象に残ったのが、章男社長の「素直さ」だった。
講演の冒頭で流された47秒間の映像は、2010年2月、米国における大規模リコール問題で章男社長が米議会の公聴会に呼び出された時のものだった。4時間にわたって厳しい質問を浴びせられ、へとへとになった章男社長を待っていたのは、章男社長を激励するために米国内の販売店や工場などから集まったトヨタの関係者たちだった。
「どうかこれ(公聴会で起きたことやメディアで報道されていること)がアメリカのすべてだと思わないでほしい。私たちはトヨタが大好きだ。後は我々に任せてくれ。あなたは何もしなくていい。私たちがトヨタのクルマを売るから」
この言葉を聞いた章男社長の口はみるみる一文字になり、歯を食いしばるも涙がこぼれた。その後、手で額を覆い隠すようにして、下を向いて泣いていた。
「この時の涙はどんな涙だったのでしょうか」。小谷氏が聞くと、章男社長は真剣な表情でこう答えた。
「悔しいとか悲しいとか、そんな涙ではない。単純にあれは、うれし涙でした」。このうれし涙までには、章男社長が豊田章男だったからこその「苦悩」があった。
記者が豊田章男だったらグレていた
突然ではあるが、読者の皆さんは、「もし自分が豊田章男だったら」と考えたことがあるだろうか。記者は講演を聴きながら、もし自分が豊田章男だったら、どんな人生を送っていただろうと、思いをはせてみた。
まず、高い確率でグレていたと思う。常に周りから「豊田家のお坊ちゃん(お嬢ちゃん)」として見られ、褒められることをして当たり前。逆なら「ここぞ」とばかりにバッシングを受ける。
トヨタに入社するなんてとんでもない。ましてや社長になるなんて。トヨタ自動車は世界に35万人の社員を抱える超大企業だ。自動車産業は裾野が広い。社員の家族、取引先の社員に、そのまた家族…。そうした関係者を加えれば、ものすごい人数の人生を自分一人で背負うことになる。そんなプレッシャーは耐えられない。社長は適当な人にお願いし、自分はクルマとは全く関係のない世界で生きていたことだろう。
でも、章男社長は会社を継ぐことを選んだ。
「好き」が苦悩を飛び越えた
講演で章男社長は、こう言っていた。
「(公聴会に向けて)日本を出発する時、『これは私を辞めさせるゲームなのかな』と思った。社長になって1年も持たなかった。それを喜ぶ人もいるだろうな。でも、自分はどうなのか。トヨタのことをどう思っているのか」
「社長をやるとかやらないとかいう前に、トヨタを考えた時に『大大大好きだ』と思った。会社なしに自分を語れないと。社長としての私はこれで終わるかもしれないが、終わったところでこんなに大好きなトヨタを生意気だけど守れるなら、初めてトヨタのお役に立てるのではないか」
「これまで、やれ創業家だ、やれお坊っちゃまだ、世間知らずと言われてきたので、それまでの自分は『トヨタでは、やっかいものなのかな』という感覚もあった。(公聴会で矢面に立つことで、)やっかいものなりに最後にお役に立てるなら、自分にも役割があったんだ、かえって喜ばしい、とうれしかった」
57歳で亡くなった喜一郎氏の無念
豊田章男として生きることには相当の苦労があったはずだ。でも、その苦労以上にトヨタが好きだったのだ。章男社長は、こうも言っていた。
「私はおじいさん(喜一郎氏)に会ったことがない。57歳で亡くなったので、会ったことも話したこともない。でも、父から聞いた話では、(喜一郎氏はトヨタ自動車の)良いところを見ていなかった。苦労だけで終わっていた。きっと、57歳で亡くなったことに対して無念があったと思う」
「(その後を引き継いだ人たちが)その無念さを超え、今のトヨタ自動車、トヨタグループをつくってくれたおかげで我々がある。将来の我々の笑顔のために苦労してくれたのだから、継承者の我々がその恩恵を受けるだけじゃなくて、次の世代のために会社を持続的に発展させなければならない」
どんな経営者にも歴史がある。豊田章男という人は、有名過ぎるがゆえに、父や祖父が偉大過ぎるがゆえに、その素顔をあまり知られてこなかった。会見で記者がどうしても豊田章男という経営者を理解できなかったのは、彼自身の問題というよりも、記者自身の問題だったと気づいた。取材対象に入り込みすぎて客観性を失うのは論外だが、その人の歴史と苦悩を知って初めて、その人の言葉が示す本当の意味を理解することができる。
EV(電気自動車)の社内ベンチャー発足やコネクティッド戦略など、ここのところ興味深い発表を立て続けに実施しているトヨタ。それらの「決断」の見方が、今後は少し変わるような気がしている。
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