「この人、痴漢です!」。先日山手線に乗っていると、ドア付近で女性が叫んでいる。背広姿の男性の腕をつかみ、激しい口論となっていた。
もちろん痴漢をしていたなら、法に基づき罪を償うべきである。被害者の心身に大きなダメージを与える卑劣な犯罪は許すべきではない。だが、怖いのはえん罪だ。満員電車の中で本人に覚えのない告発を受けるケースもあると聞く。満員電車に乗るビジネスパーソンにとって日々つきまとうリスクとなっている。
もし駅員に「混乱を避けるため、事務室に来て下さい」などと言われてついていくと、そのまま警察官に引き渡され、警察署で勾留される可能性が高い。弁護士法人プロシードの多田猛弁護士は「逮捕後、最大20日間まで勾留は延長できる。起訴後も保釈が認められなければ何カ月も勾留され続ける可能性がある」と指摘する。えん罪で本人が罪を認めずに無実を主張すると「罪証隠滅・逃亡すると疑うに足りる相当の理由がある」となってしまう可能性が高いからだ。
ではどうすれば良いのか。多田弁護士は「その場で正々堂々と自身の無実を伝えるとともに、メモ用紙に自身の名字と電話番号だけを記載して渡す。自宅まで押しかけられると危険なので、住所を記載するのは控えた方が良い。駅事務所には行かずそのまま立ち去れば良い」と指摘する。
弁護士がこうアドバイスするには理由がある。数カ月間も勾留されてしまうと、業務に支障をきたすばかりか、有給休暇を使い切り退社扱いになりかねない。痴漢だと騒いだ女性へも「故意と立証されない限り損害賠償は難しい」(多田弁護士)という。疑いが晴れて損害賠償を求めても負け、職までも失ってしまう可能性があるからだ。
リスクが大きい割に一般的な会社員は無防備だ。そんなときに味方になってくれるのが弁護士保険。問題が発生した場合に補償の範囲内で、弁護士を紹介されたり、アドバイスを受けられたりする。日本ではまだ馴染みがないが欧米では一般的になりつつある。
日本の代表例として、プリベント少額短期保険が提供する弁護士費用保険「Mikata」がある。月額2980円を支払うと、補償の範囲内で法律サービスが受けられる。加入者には保険証を発行している。痴漢を疑われた場合には保険証を見せて「弁護士から改めて連絡する」と伝えれば良い。「痴漢のえん罪以外でも個人にふりかかる問題は色々ある。『あとは弁護士から連絡する』という台詞を言えるだけで問題に巻き込まれても落ち着いて行動できる」(プリベント少額短期保険)。すでに1万1000件の加入があるという。こうした保険に入っていれば、万が一の際にも落ち着いて行動できそうだ。
無防備な中小企業も多い
実は無防備な状態は企業でも起きている。中小企業のほとんどが弁護士と顧問契約を結んでいない。そればかりか日弁連の調査によると「弁護士を利用したことがない」と答えた企業は55.2%に達した。2008年の47.7%と比べても増加傾向にある。
顧問契約を結んでいても機能していないケースも多い。東大阪市で板金業を営むA氏は売掛金150万円を抱えていた。未払いの企業に支払いを申し出てものらりくらりとかわされてしまう。業を煮やしたA社長は顧問弁護士に連絡した。弁護士から「私は専門外でわからない。着手金や成功報酬を考えると、手元に残らないのでやめた方が良い」と言われたという。A社長としてはいざという時のために月5万円を支払って顧問契約を結んでいた。A社長は「何のための顧問契約だったのかわからない」と嘆く。
こうしたなか、日弁連を中心に企業向けの弁護士保険を提案する動きがある。保険さえ加入しておけば、労務や知財など分野別の専門家に依頼できるようになる。紛争時の弁護士費用も保険で賄えるため、中小企業も自身の権利を主張しやすくなる。企業にとっては分野別に専門性にたけた弁護士に依頼できるので効率が良い。欧州では同様の保険が既に発売されていて約77億ユーロの市場規模に成長しているという。
多田弁護士は「医者の専門医認定制度があるように、弁護士を得意分野で選ぶ時代がやってくる」とみる。弁護士に依頼するとなると、裁判沙汰のような大げさなものに感じる。だが弁護士は話し合いで解決することも少なくない。当然のことながら専門家が味方についた方が勝率は上がる。コンプライアンスや企業の防衛能力の向上により、紛争件数は増えている。
政府は2002年、法曹人口の拡大を目指し、司法試験の年間合格者数の目標を3000人とする司法制度改革の閣議決定をした。だが若手が法律事務所に入所できないなどの問題が生じ、2013年に目標を撤回している。こうした保険制度が導入されると、企業も個人も弁護士を利用しようという機会が増える可能性が高い。
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