10月25日、九州旅客鉄道(JR九州)が、東証一部に上場した。上場セレモニーの会場に現れた青柳俊彦社長の左胸には、星の胸章が光っていた。他の役員や社員が着けている赤いJRマークの胸章とは違う。記者が尋ねると、青柳社長は満面の笑みでこう答えた。

 「ななつ星の乗務員と同じ気持ちでね、これを付けてきたんですよ」。

 ななつ星──。正式名「ななつ星in九州」は、同社が2013年から運行する豪華寝台列車だ。九州中を回る周遊型なので、クルーズトレインと呼ばれる。工業デザイナーの水戸岡鋭治氏のデザインで、九州の木材をふんだんに使っている。現在募集中の来年3~9月の料金は、3泊4日コースで1人当たり63万~95万円(2人1室の料金)、1泊2日コースで30万~45万円(同)と高額だが、個室が14室で定員がわずか30人のため、予約困難なことで知られる。海外の観光客にも好評で、JR九州の名を国内外に広めた立役者として、語り草になっている。

 JR九州は1980年代から、現在は会長を務める唐池恒二氏の下で、「ゆふいんの森」「あそぼーい!」「A列車で行こう」など、ユニークで観光の目玉となる列車を走らせてきた。ななつ星は1つの集大成と言える。

 青柳社長の胸に光る星は、そのななつ星の乗務員が制服で身に着けているものだ。

 来年は民営化から30年を迎えるタイミングでの上場。そんなハレの日に、ななつ星の胸章を付けて現れたことに、記者は思わず納得した。それは、ちょうど1カ月ほど前に、ななつ星に客として乗る機会を得ていたからかもしれない。

クルーズトレイン「ななつ星in九州」。深い赤紫のような、茶色のような車体は、自然の青さに溶け込んで特別な雰囲気を醸し出す
クルーズトレイン「ななつ星in九州」。深い赤紫のような、茶色のような車体は、自然の青さに溶け込んで特別な雰囲気を醸し出す

 「1泊2日でも数十万円!それって高すぎじゃない」。3年前、記者が報道でこの列車を知ったときは、本当に驚いた。私は鉄道の旅が好きでJR九州の列車にも数多く乗っていたが、その料金に卒倒した。そして、一部の富裕層向けのビジネスで、一生乗ることはないと思った。

 それがちょうど1年前、たまたまJR九州の社員からななつ星について聞く機会があった。ななつ星とはなんなのか、どんな思いでこの列車を走らせているのか。その時に出てきた言葉は、「地元の方々に支えられている列車である」。自分が抱いていたイメージとのギャップを感じて、純粋に興味を抱いた。

 仕事として取材したり、撮影したりしても、乗客として乗ってみなければ、本当のところは分からない。だが、ななつ星は予約困難で、乗るためには抽選に当たることが必須となっている。多分一生乗れないだろうから、当たらないのを前提で応募だけでもしてみようと思った。

 その後、抽選の結果が発表され、キャンセル待ちを知らせる封書が届いた。かすかな期待はあったが、やはり無理だったかとがっかり。だが、10日間ほどして、知らない番号から携帯電話に電話がかかってきた。「今回のご旅行に参加していただけることになりました」という女性の声に思わず驚いて、「行きます!」と叫んでしまった。

ラウンジの車両の端は、足元まで大きな窓ガラスとなっている。これは「30億円の額縁」と呼ばれているそうだ(30億円は窓の金額ではなく総工費です)
ラウンジの車両の端は、足元まで大きな窓ガラスとなっている。これは「30億円の額縁」と呼ばれているそうだ(30億円は窓の金額ではなく総工費です)
個室にあった十四代酒井田柿右衛門氏による洗面鉢。同氏はななつ星が運行する前に亡くなり、遺作となった
個室にあった十四代酒井田柿右衛門氏による洗面鉢。同氏はななつ星が運行する前に亡くなり、遺作となった

「あえてアナログ」に納得

 今回申し込んだ旅行は、JR九州が企画した4泊5日のもので、車中には1泊するコースだ。叔母と参加し、料金は1人当たり65万円だった。

個室にあるデスク。とても使いやすかった
個室にあるデスク。とても使いやすかった
ベッドにもなる椅子。車窓から見える風景を眺めると、ゆったりした気分になった
ベッドにもなる椅子。車窓から見える風景を眺めると、ゆったりした気分になった

 旅行の詳細は割愛するとして、列車の旅を終え、率直に高いと感じたか、安いと感じたか。記者は分からなくなってしまった。もちろん、金額は高い。そして、地元の食材を使ったおいしい料理と手をかけた車両はすばらしい。だが、それらのモノよりも、そのほかの部分がなぜかとても印象的で、心が動いたからだ。

 例えば、予約が成立してから、ツアーデスクと何度か電話でやり取りした。内容は、食物アレルギーの有無や旅行中の行程で選べるプランの相談・確認だけでなく、東京から九州までの往復の移動手段、車内で演奏してもらいたい曲のリクエストにまで及んだ。

 何回か電話をもらうと、「メールでやり取りできないものか…」と思ってしまったこともある。だが、実際に旅行に行ってみると、なぜそれが必要だったのかが分かった。この旅行は、相手への気遣い、寄り添うサービスを徹底しているからだ。

 そう感じた一例が、叔母に出された食事のボリュームだった。叔母は小食で、その日の体調などによって食べる量がまちまち。ツアーデスクと何回か電話していると、そんなことにまで話が及んだ。何気なく伝えていたことが共有されていたのか、旅行の途中で、さりげなく「ボリュームを減らしましょうか」という声掛けがあり、叔母はとても喜んでいた。メールだったら、こんなことを伝えられていただろうかと思う。

各車両は使用している木材が異なるため、廊下の雰囲気がそれぞれ全く異なる。記者が乗った6両目は明るかった
各車両は使用している木材が異なるため、廊下の雰囲気がそれぞれ全く異なる。記者が乗った6両目は明るかった

 ななつ星の出発地はJR博多駅だ。出発前、駅内にある専用ラウンジに集合する。そこで電話でやり取りした人物から挨拶を受けた。初対面とは思えない親近感と「その節はお世話になりました」と思わず言葉が出てしまった。

 ラウンジから列車に向かう際、JR九州の役員が旅の安全を願うハンドベルのような鐘を鳴らす。その前を1組ずつ、通り過ぎるのだが、まるで花道を通っていくような気分だった。

 後から唐池会長の著書『鉄客商売』を読んで知ったのだが、ななつ星のサービスはアナログ中心だという。効率を高めるよりも手間をかけることを重んじていて、人間臭いコミュニケーションを重視したといい、思わず納得した。

地元との交流で感じた温かさ

 また、地元の人との交流を大事にしていることの意味も分かった。今回の旅行で、地元の子供たちも踊りやダンスを披露してもらう機会があった。うち1回は、子供の保護者も見に来ていた。保護者の一人に「上手ですね」と声をかけると、「今日を楽しみに一生懸命練習していたんですよ」と笑っていた。

 ななつ星がホームに停車しているときや走行中は、地元の人、観光客がにっこり笑って手を振ってくれる。心が温かくなるとともに、なんとも不思議な気持ちになった。

JR博多駅で出発前のななつ星。大勢の人が撮影に来ていた
JR博多駅で出発前のななつ星。大勢の人が撮影に来ていた

 ななつ星の乗務員は、ホテルマンなど接客経験を持つ人が多いが、乗務する前に1年間、老舗旅館の接客、九州の伝統文化を学ぶといった社外の研修を受けている。だが、実際にその接客に触れると、マニュアルや規則ではなく、自分たちなりのサービスを誇りに思って顧客や仕事そのものに向き合っていることが感じられた。最終日に車内で行われたフェアウェルパーティーで、乗務員の代表が思わず涙を見せていた。記者も感極まって泣いてしまった。

 旅行が終わって数週間後、乗務員の署名入りで、礼状が届いた。そこには「再びななつ星の車内で、九州のどこかでお会いできますことを楽しみにしております」という言葉があった。列車にただ乗りにきてほしいというのではなく、九州に来てほしいというメッセージを感じた。

 運行開始から3年、既にリピーターが多いというのもうなずける。今年10月から来年2月までの出発分ではリピート率は18%になるという。今回の旅行では4回目という人がいたようだ。

 来年春からは、JR東日本が「TRAIN SUITE 四季島」、JR西日本が「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」という豪華寝台列車を運行し始める。バスタブ付きの個室や展望デッキなど、これまでにないような設備が話題だ。それぞれが個性を発揮するような商品が出てくることは、旅行業界のすそ野を広げることにもつながる。

 旅行の価値は、行った本人にしか分からない。数千円の日帰りでも大切な人との時間であれば、かけがえのない旅行。数百万円かけても寂しい気持ちで参加したら、味気のない思い出にしかならない。

 今、旅行会社は、付加価値の高い旅行を提供することに腐心している。これから消費者の眼はもっと肥えてくるだろう。その中で、どんな旅行が支持され、生き残るのか。それは見た目の豪華さ、便利さ、快適さだけではない、心を動かす旅行だ。それこそが、旅行の企画者が知恵を発揮するところ、そして、サービスに携わる人に求められている部分だろう。

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