米証券取引委員会(SEC)が米ゴールドマン・サックスを情報開示不正の容疑で4月に提訴した。それに関連して開催された連邦議会の上院公聴会(4月27日)の報道記事を読んで私は強い既視感(デジャブ)に襲われた。

いつか見たゴールドマンのデジャブ

 議会の公聴会では議員らが同社の証券化事業に従事していた社員(Fabrice Tourre)の電子メールなどを証拠に引用し、同社の責任と容疑を追及した。電子メールの文面が示唆するのは、市場でバブル崩壊が起こり始めていることを承知で自ら組成した証券化商品を「カモ」の顧客に売り抜ける姿だ。

 IT(情報技術)バブル崩壊後の2001~02年に起こった米エンロンや米ワールドコムなど一連の企業会計粉飾事件の時も同様のことが発覚した。米メリルリンチのIT企業担当の人気証券アナリストが肯定的な評価を公表していたIT企業銘柄に対して、内部では「くず(junk)」と語っていた電子メールが暴露された。

 今回SECが問題にしているのは、2006年末から2007年初にかけてゴールドマンが組成して販売した「アバカス(ABACUS)」と呼ばれるCDO(債務担保証券)の一種であり、その担保となる資産の選定に、当該資産価格が下落すると利益が得られるヘッジファンド(Paulson & Co)が関わっていたことだ。この事実をゴールドマンは投資家に開示しなかった。

 訴追の件に限らず、住宅バブル崩壊の兆しが出ていた2007年第1四半期にゴールドマンが自ら組成した同分野の証券化商品(自社の投資在庫)を内外の機関投資家相手に売り抜き、その後の価格暴落による損失を最小限にしたことは、これに関わった金融業界人の間では周知の事実だ。

 連邦検察当局もゴールドマンに対して詐欺罪での調査を開始したと報道されている。クリントン政権ではルービン長官、ブッシュ政権ではポールソン長官など歴代財務長官を同社の経営幹部出身者が務め、権力と金融市場を制したかに見えた同社であるが、「驕れる平家は久しからず」の展開になるかもしれない。

リスクは過小評価される

 ゴールドマンの問題について私は報道されている事実しか知らない。ゴールドマンのCDO売り抜け手口は興味深いが、長くなるので本稿では省略する。ご関心のある方は筆者のブログをご覧頂きたい。

 ここでは視点を変えて一連の損失を被った投資家側の問題を考えてみよう。今回のバブル崩壊で莫大な損失を生んだ証券化商品の購入者は、米国内外の機関投資家、金融機関だった。

 彼らは素人ではない。

 リスク管理部署に多くの専門スタッフを擁し、高度なリスク管理システムで投資資産を管理している。にもかかわらず、なぜリスクを過小評価し、あっけなく巨額の損失を被ったのだろうか。この点を考えるとリスク評価と管理に潜んでいる問題が浮かび上がる。

 金融機関、機関投資家、大手企業は今日ではVaR(Value at Risk)と呼ばれる資産ポートフォリオのリスク管理手法を使用している。VaRは1990年代の初め頃に米国で開発され、90年代に世界中に普及し、リスク管理に大きな革新をもたらした手法だ。

 株式、債券、外国為替、各種デリバティブ(金融派生商品)など実に様々な投資手段で構成される資産ポートフォリオのリスクをどのように管理したらよいだろうか。1980年代までは、投資商品ごとに様々に異なった「持高限度額」を設定することで対応していた。例えば上場株式なら総額1000億円まで、外国為替持高なら総額10億ドルまで、などという持高限度額の設定だ。

 しかし、これでは自社が抱えているリスクの総額(=起こり得る最大損失額)が集計できない。すべてのリスク資産が損失を生むような最悪の事態が起こった時に、最大損失額(=リスク量)はいくらになるかが分からないのだ。

 最大損失額が1000億円と見込まれる場合に自己資本が1000億円以下ならば、その規模の損失が生じたら企業は債務超過になり、破綻する。反対に1000億円を大きく上回る自己資本があれば、生き残ることができるだろう。VaR管理手法は、そうした要請に応え、資産ポートフォリオ全体がもたらす可能性のある最大損失額を確率的な手法で算出、集計する画期的なものだった。

 例えば上場株式で構成される持高なら、過去何十年も遡って株式相場の変動性を計測することができる。そして過去の価格の変動性を前提に一定の期間内に99%までの確率で起こり得る最大損失額を算出できる。同様に他の投資手段についても、過去の価格(相場)の変動性に基づいて、最大損失額を計測し、すべてを集計すれば自社が抱えるリスク量の総額が分かる。

 そのリスク量の総額を自己資本の範囲内に収めれば、99%の確率で起こり得る最悪の状況でも、債務超過にならずに済むという仕組みだ。このVaR手法は確かにリスク管理に画期的な革新をもたらしたのだが、90年代からその運用上の限界、注意点も語られていた。

リスク量を見誤らせる3つの限界とは?

 第1の限界は、私たちは過去の価格変動性を基にリスク量を計測することはできるが、問題なのは将来のリスク量である。過去のデータであっても、景気や市場の複数の山と谷を含む長期のデータが使用されるならば、それを将来にも適用してリスク量を計測することには相応の妥当性があるだろう。

 ところが投資手段によっては長期にわたる過去データの利用が不可能なこともある。米国の住宅証券化市場は1980年代から拡大した。とりわけサブプライム住宅ローンは90年代のクリントン政権の下で低所得者向け住宅取得の奨励・促進政策によって拡大したものだ。従ってその債務不履行の発生データも90年代中頃からしか利用できない。

 しかも90年代半ば以降の米国住宅市場は右肩上がりのブームが続いた。つまり、2000年代にサブプライム住宅ローンを盛り込んだ証券化商品の大量組成と販売が進められた際、そのリスク評価のために使えるのは住宅ブーム期のデータしかなかったことになる。それを基に計測されたリスク量が過小評価になるのは必然だったとも言える。

 第2の限界は、リスク量の計測に際して、市場の価格変動は正規分布をすることを前提に最大損失の確率計算が行われることだ。正規分布とは釣鐘型の分布である。つまり、一定期間を見たとき、小さな価格変動の頻度は多く、大きな変動ほど稀になる。これはVaR手法のみならず、現代投資理論の根底にある想定だ。

 ところが、実際の市場では極めて大きな変動が、正規分布が想定するよりも高い確率で生じる。これは1990年代後半にはリスク管理の専門家の間では既知の事実だった。つまり、価格変動が正規分布することを前提としたモデルとそれで算出されたリスク量は、「稀な大変動」の確率を過小評価してしまうのだ。この点は、世界的ベストセラーになったナシム・タレブの「ブラックスワン」が詳しく語っている。

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