イチローの気配り

id:namikawamisaki 僕が好きなイチローさんの言葉は(WBC日本練習を見に来た人たちのことを)「お客様と呼びなさい」(とあるテレビ取材者に)。身の回りをとりまく人々の立場を理解し、意識し、気配りができる人だと思った。 2009/03/25

はてなブックマーク - namikawamisakiのブックマーク / 2009年3月25日

イチローの他者への顧慮というのは日本にいた頃からそうで、そうして、彼はやはりすこし変わった人だからなのか「誰にでも」伝えるという技術は当時は少なくともなかったようで、ファン、それも地元のファンにはよく通じても、そうでない人には通じない発言というのが多かった。もう少し踏み込んでいうと、彼の顧慮というのには、野球選手としてのというよりは、神戸という街に住んで野球を職業にしているひとりの人間という視点からのものが多々あって、それは野球中継の中ではときに異様に響いたようにも思う。

それでO-157による食中毒が流行ったときに、ある試合でヒーローインタビューを受けたイチローのことばは自分が打ったヒットにはまったく触れず、手洗い励行を呼びかけ「ぼくも気をつけますからみなさんも気をつけてください」と保健所は喜びそうだがファンとしてはそういうことが必ずしも聞きたいのではなくて微妙な思いをさせられた。そういう食い違いはまだ苦笑どまりでよいとしても、地元の事情にまったく疎い人には、ぜんぜん違って響くこともあったようだ。

ある年のシーズンの割と初め、GS神戸での試合、NHKのテレビの解説があって、イチローが打ったヒットでオリックスが勝ち、ヒーローインタビューを受けたのはイチローだったが、これも野球の話には触れず「駐車場で選手が出てくるのを待っている人がいますが、やばいのでそういうことはしないでください。暗くなってからこの辺をうろうろしないでください。ファンの方は試合が終わったらすぐ帰ってください。暗くなるとほんとうにやばいんで」という意味のことを、非常に硬い口調でいったものだから、解説の森さんが「なんでしょうね、あれは。ファンをなんだと思ってるんでしょうね」と非難めいていい、アナウンサーもことばに窮していたようだった。

でも私にもテレビを一緒にみていた亡夫にも、そのことばの意図は明瞭だった。「森さんは、東京の人だからね」と夫はつぶやいた。イチローはそのことをいう機会をずっと探していたのだろうなと私は思った。「やばい」というやや余裕のないことばの繰り返しに、イチローはほんとうにそれをいうのに一生懸命なんだなと思った。

その日は土曜日だった。その夜、球場の近くの住宅街で、ひとりの少年が逮捕された。わたしたちはそのことをテレビの速報で知った。

「明日、GSに、野球みにいこうよ」「うん、いこう」

そうして日曜日、その日のヒーローインタビューもイチローだった。球場に彼の声が響いた。試合内容についてインタビューに答えた後、ファンへのひとことを求められたイチローは声を弾ませて晴れやかにいった。「この球場の周りは公園になっていて、いい場所が沢山あります。きょうはせっかくいい天気なんで、ファンのみなさんも、すぐ帰るんではなくって、のんびり愉しんでいって下さい」。ほんとうに、おだやかな、よい初夏の昼下がりで、スタンドのわたしたちも、数ヶ月間背負い続けた肩の荷を降ろしたようなおだやかな気持ちで、そのことばを聴いたのだった*1。

関連エントリ:

*1:追記:ウィキペディア日本語版「神戸連続児童殺傷事件」によれば少年Aの逮捕は1997年6月28日。翌29日神戸地検に送検。