考える技法、思考のノウハウについては、世の中に数多くの本やコンテンツがある。しかし、いつ考えるべきかという問題については、あまり論じたものを見たことがない。今回はこれについて考えてみよう。 Systems Thinkingの方法論などで知られるジェラルド・M・ワインバーグの名言に、「やり方(Know-how)よりも大事なのは、しおどき(Know-when)だ」と言う言葉がある。良い結果を得るためには、どのようにやるかの方法を知ることも必要だが、いつどんな時にその方法を用いるべきかを知ることの方が大切だ、と言う意味である。 考えるという行為も、同様だ。「どう」考えるかだけでなく、「いつ」考えるべきかを、理解しておく必要がある。 ここで言っている「いつ」とは、もちろん朝昼晩などの時間帯のことも含む。だが、それは人によっていろいろだろう。朝型の人も、夜型の人もいる。自分がいつ集中できるかは、それなりにわかって習慣化しているものだ。 むしろ、ここで問題にしたいのは、「自分がどういう状態のときに」考えるべきであり、逆にどういうときには考えるべきではないのか、と言う問いだ。
その問いに答えるためには、わたし達の心の中にある、「思考と感情と欲求からなるシステム」の性質を理解しておく必要がある。 図を見て欲しい。システムズ・エンジニアリングの世界ではよく、IPOモデルの形でシステムを表現する。IPOとは、Input-Process-Outputの略だ。左側にインプットとしての「知覚」がある。わたし達が視覚、聴覚、触覚などを通じて、外界や自分自身の体内から、脳にインプットされる情報である。 真ん中にはプロセスがあるが、これは思考と感情と欲求の3層構造になっている。そして右側には、アウトプットとしての「行動」がある。アウトプット行動には、言語や記号を書いたり話したりするほかに、顔や表情・口調などが伴うし、さらに身体の様々な反射的あるいは意識的な動きが付随する。 真ん中のプロセスの最上位層にあるのは、「思考」であり、今、わたし達が問題にしている行為だ。思考がコンピュータのように、単純な演算処理なら、インプットの記号列があり、記憶や計算処理を経て、アウトプットとしてまた記号列が生成されるだけだ。しかし生き物としての人間には、その下に「感情」の層がある。
思考のエンジンそれ自体は、外界からの様々な情報をトリガーとして、起動する。わたし達が何かを考え始めるきっかけとなるのは、外界からの些細な情報の場合が多い。例えば、いつもの電車が時間通りに来ない、といった状況への気づきが、「何が起きたんだろう?」という思考のトリガーになる。 他方、感情は、思考のエンジンにいわば燃料を与え、その方向付けをして駆動する。「まずい。このままじゃ遅刻だ。朝1番に大事な会議があるし…」という訳で、あなたの思考は、電車が来ない理由を推測するだけでなく、代替ルートについても頭の中で探索を始める。 ところで問題なのはここからだ。代替ルートを探すだけなら、すでに頭の中にあるかもしれないし、今どきならスマホを取り出して、乗換案内などを検索すれば済む。後は、まだこのまましばらく待ってみるか、今すぐ代替ルートに切り替えるかを決断するだけだ。本当だったら、それは理知的に決断すべき問題だ。 ところが、ここに「感情」が登場すると、「思考」の回り方が影響受ける。あなたは怒っているかもしれない。「ここの鉄道ときたらしょっちゅうこれだ。何とか金を取り返したり、クレームしてダメージを与えたりする方法は無いものか」と言う方向に思考が転換していく。 あるいは、あなたは、恐れているかもしれない。「顧客を前にした大事なプレゼンテーションだと言うのに、どうしていつもこんな巡り合わせなんだ。また上司に怒鳴られるに違いない。今期の査定に響いたらどうしよう。別の職を探すべきだろうか」と思考は転じていく。
鉄道会社にダメージを与えたり、もっと良い職を探したりする問題に、すぐ答えは出ない。なので、あなたの思考は堂々巡りになる。と言うよりも、これらの問題は、あなたが多分これまで既に何回も、いろんな角度から、ぼんやり考えてきた問題なのだ。 感情は思考に対し、新しい問題よりも、手慣れたいつもの問題を考えるように、しばしば誘導する。だが、答えは出ない。そしてあなたは、考えるための脳のリソースを浪費して、極めて非効率的な思考の時間を費やしてしまう。 厄介なことに、思考の機能の中には、「想像力」がある。将来の具体的なシチュエーションを想像したり、過去にあった状況を目の前に再現するような機能である。感情によってドライブされた思考は、しばしば、このような想像の情景をアウトプットとして差し出す。この想像は、さらに自分の感情をかきたてることになるだろう。「憂い」とか「悩み」といった感情は、こうした自分の想像から再体験され、再生される種類の感情である。 言いかえると、わたし達が感情の強い影響下にあるときは、考えるべき時ではない。考えても、思考の生産性が著しく低くなるからだ。また新しいことも、なかなか思いつかなくなる。
じゃあ、感情をコントロールすればいいだろう、と思うかもしれない。いつも沈着冷静、クールに居れば良いのだ。こういうセルフイメージが持てるとかっこいいし。 ところが実はこれは簡単ではない。なぜなら、図に示すように、感情の下には、もう一つ「欲求」のレイヤーが存在して、感情を左右しているからだ。 わたし達の抱える欲求には、様々な要素がある。もちろん1番下には生き物としての生理的欲求がある。食べたいとか眠りたいとか。その上には、もう少し人間として分化した欲求がある。人間は社会的動物なので、多くは人との関係に関わった欲求である。 たとえば「承認欲求」とは、人からよく思われたい、尊敬されたい、あるいは得をしたいといった欲求である。「支配欲求」とは、文字通り、他人を自分の支配下に置いてコントロールしたいと言う欲求だ。(ここらへん、わかりやすさを優先し、あまり心理学や脳科学の正統な学術用語には従っていないことをお断りしておく) 「共感欲求」と言うのは、あまり聞かない言葉かもしれないが、他人と感情を共有したいと言う欲求だ。人間とは不思議なもので、悲しみとか怒りといったネガティブな感情でさえ、それを他者と共有できると、心のどこかで満足感を得られるのである。しかし、それとは、逆に、周囲の人から独立したい、違いを示してアイデンティティを得たいという「分離欲求」を持つことも多い。 こうした欲求は、体感や快不快といったインプットを蓄えつつ、喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの感情を励起する。あなたが鉄道会社に怒りを感じているのは、その下に支配欲求を抱えているからかもしれない。ボーナスの査定を恐れるのは、もちろん承認欲求に根ざしている。
欲求は満足することによって、ひとまずは沈静化する。生理的欲求ならば、感覚や体感で直接満足させられるだろう。社会的欲求ならば多くは、ネガティブな感情が消えて、ポジティブな感情に転化したことで、満足される。 難しいのは、こうした自分の抱える欲求が、なかなか自分自身に意識されないことだ。意識のアテンションは、一種の舞台上のサーチライトのようなもので、照らし出されてはじめて、観客(意識)が認知できる。サーチライトは多くの場合、思考の舞台上を動き回る物体を照らし出すが、ストーリーや音楽といった感情のモードは、ぼんやり感じさせるだけだ。まして、舞台装置や小屋全体の構造は、よほど注意深い観客でないと理解できないようになっている。 そのような訳で、わたし達はしばしば、いとも簡単に「感情」に「思考」を乗っ取られる。そういう時にものを考えてはいけない。問題解決のために、深く考えるような行為には適さないのだ。感情の波が通り過ぎ、自分の中の欲求が沈静化するのを待ってからでないと、良い考えは浮かばない。 少なくとも何かを真剣に考えようとするときは、その前に、自分は今どういう感情のモードの中にいるかを自己点検するべきだ。自分が、怒りや恐れや不安の波の中にいないことを確かめた上で、問題に取り組んだ方が良い。 もう一つ。必要ならば、自分が「考えない」「感じない」でいるための方法を身に付けるのが良い。茶道を嗜む、ある友人はかつて、夫婦で何となくイライラしているときは、お茶を立てていただくことにしていると言っていた。それによって、心が落ち着くのだと言う。感情のサイクルはせいぜい、20-30分である。30分ほどかけて波が通り過ぎれば、冷静な思考モードに入るチャンスが得られる。 わたしのように、音楽を聴いている間は、思考できない人間にとって、音楽もまた1つの道具だてだ。もちろん音楽は感情を同調させ、ドライブする装置だが、感情の波をあえて後押しし、通り過ぎさせる役には立つ。 わたしがこのところずっと、感情というものについて調べたり考えたりしているのは、こうした理由による。「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」で、折に触れて感情をテーマとした講演者を招いてきたのも、こうした問題を共に考えたかったからだ。 わたし達は自分で思っているよりも、はるかに感情的な動物だ。感情的に考え、感情的に行動している。それにもかかわらず、自分は合理的だ、知性的だと信じている。自分の感情的な、あるいは欲求に動かされた行動や決断を、後づけで理屈付けて、合理化するのに長けている。自分を合理化することに、貴重な思考のリソースを使っている。考えるべきでない時に、考えるべきでない方向に思考をドライブしたからだ。 考えるべき時に、考える。考えるべきでないときには、考えるのをやめる。それだけで、思考の生産性は上がる。ただ必要なのは、自分が感情と欲求に動かされやすい人間だとの、自己認識なのである。 <関連エントリ> 「感情のマネジメントとは、どういう事を指すのか」 https://brevis.exblog.jp/28237710/ (2019-04-26)
by Tomoichi_Sato
| 2023-04-25 20:02
| 思考とモデリング
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