故・今北純一氏は、日欧をまたにかけて活躍する経営コンサルタントとして著名な方だったが、わたしの研究室の大先輩でもあった。年齢差があったため、大学時代はお会いする機会が無く、ただ、ずば抜けて頭の良い人との噂を聞いていた。それが、たまたま20年ほど前からご縁があり、謦咳に接するようになった。 お目にかかる度にいつも非常に刺激を受け、勉強になったが、残念なことに2018年の暮れに急逝された。72歳だったという。あいにく訃報に触れたのが遅く、せめてお線香をと思いつつも、なかなか果たせずにいた。しかしようやく今月、以前からの知人のGさんの導きで、東京・本郷にあるお寺にお参りすることができ、ほっとした思いでいる。 今北さんにはじめてお目にかかったときのことは、今でもよく覚えている。パリ16区、トロカデロにある今北さんのオフィスを訪ねた。2001年だったと思う。ちょうどその頃、わたしはプロジェクトの仕事でフランスに駐在していたのだ。今北さんはCorporate Value Associatesという欧州系の戦略コンサルティング会社の上級パートナーだった。 欧米で活躍してきた方はたいていそうだが、今北さんもムダな儀礼や美辞麗句がきらいで、単刀直入にいきなり切り込んで来られる。すすめられて椅子に座り、自分の名前と今の仕事を紹介すると、「お名前は先生から伺っていました。それで、最近日本はどうですか?」と聞かれる。わたしはとっさに答えた。「廃墟です。」 「そんなにひどいですか?」今北さんは驚いたようにたずねられた。じつはわたし自身、とっさの答えに自分でも驚いたのだ。が、ともあれ、言葉を重ねた。「ひどいです。若い人に、希望がありません。」すでに中年にさしかかっていたわたしは、こう答えた。「世の中の仕組みはがんじがらめになっており、新しい良いことを思いついても、参入するスキマもありません。これで、どうやって希望が持てますか。」
今の日本はどうか、というような大きな問題設定を、それまでちゃんと考えたことはなかった。一介の技術者で、会社員なのだ。だが今北さんは、それを求めた。そこでとっさに考えたのが、日本には希望がない、ということだった。そして20年後の今でも、その状態は同じだと思っている。 希望とは何だろうか。いろいろな定義が可能だろうが、「人生は運不運だけで決まるのではないはずだ、と信じること」だと、わたしは考えている。すなわち希望とは、自分にとってより良い未来を期待し、自分が働きかけてそれを創りだしうる、という感情だ。努力すれば報われる可能性がある、と信じることだ。 自分の努力が関わらない願望、例えば「今年は宝くじに当たりますように」「白馬に乗った王子様にプロポーズされますように」は、たんなる夢である。夢を見るのは自由だ。だが、夢は希望ではない。未来に自分で働きかける方法がないとき、人は夢を見るのだ。 個人的なこと、たとえば結婚や家族や趣味・健康に関する希望も、もちろんあるだろう。ただ人は一人で生きていくのではないから、社会との関わりにおける希望のあり方こそ、社会の実情を示すと考えることができる。公務員や学者になる人を除けば、多くの人はビジネスに関わる。じゃあ、そこにはどのような希望の相があるのか。 日本における起業の数が少ないこと、またスタートアップや中小企業の成長する比率が小さいことは、いろいろな統計で示されている(たとえば経団連は5年後までにスタートアップを10倍にしたいといっている)。べつに起業だけがビジネスにおける希望の姿ではないが、社会への新規参入のしにくさを示す指標の一つではあろう。
そもそも、わたし達がワクワクするのは、新しいユニークな製品に接したり、そうしたものを開発しようとするときではないか。ところで、あるプロダクトが面白いと感じるのは、そこに作った人達の意思を感じるときだと思う。iPhoneでもTeslaの車でも良い。Dysonの掃除機でも良い。そこには設計し生み出した人の「こういうものを作りたい」という強い意志を感じる。 たまたま挙げた例はどれも、ジョブズやマスクやダイソンといった個人にひもづく製品だが、別に作り手の固有名詞はなくてもいい。英仏海峡トンネルは誰か個人の「作品」ではないが、それでも一度は列車で通ってみたいと思う。「もはや英国は島国ではない」と言わしめた一大プロジェクトには、やはり意思を感じる。 海底掘削工事の90%は単調で苦労の多い、面白くない作業の連続だったろう(そして事業はひどい赤字だった)。それでも完成できたのは、誰も達成したことのないプロダクト(海底トンネル)と、その生み出すアウトカムを、プロジェクトに関わる人達がイメージして、意思を持ち続けられたからだ。面白くないプロダクトを作るプロジェクトに燃えることは、誰もできない。 そして意思のない、数字目当ての戦略は面白くない。これは今北さんがよく言われていたことだ。よくある日本企業の、経営数字目標だけの『中期経営計画』。そこにどんな意思があり、どんな意味があるのか。こうした経営計画を、今北さんは有害無益と批判しておられた。 経営にはミッション、ビジョン、そしてパッションが必要だ、というのが今北さんの持論だった(このことはビジョン・ステートメントなどがビジネス界で流行り出す、ずっと以前から言われていた)。そのパッションとは、すなわち意思のことに他ならない。
ところで周囲を見渡すと、わたし達の社会には、与えられた課題解決が得意な人ばかりだ、と感じることが多い。日本のビジネスマンは真面目だし、現場でもオフィスでも勤勉に働き、PDCAでの改善や、目標達成のための問題解決には能力を発揮する。しかし、自分で課題設定するのは不得意である。 わたしはプロジェクト・マネジメントを教えるとき、時間が許す限り「ゴール・目的・目標設定」の演習をする。自分が関わる身近なプロジェクトをとりあげて、当事者として、何を作ったら完了と言えるのか(ゴール)・なぜそれをやるのか(目的)・どうなったら成功と言えるのか(目標)、を言語化するエクササイズだ。 だが、学生だけでなく多くの社会人が、「なぜ=目的」と「どう=目標」について、うまく答えられない。 就活のゴールは? 内定をもらうことです。じゃあ、なぜ就活するの? だってもう、3年生ですから。あなたの目標は? それは・・内定をもらうことです。——この問答は、ゴールが目標になっている典型例である。本当のことを言うとこの学生は、周囲が就活しているから、自分もしなきゃと思っているだけだ。社会に出て何をしたいのか、肝心な自分の意思がよく分かっていない。たぶんまだ、ないのだろう。 こんな学生の答えを笑う社会人に、じゃあ、あなたの職場のプロジェクトの目的は何?とたずねてみる。もちろん、良いプロダクトを作って納品することです。そんな答えがかえってくる。でもそれは、ゴール(完了条件)なんじゃないの? 良くないプロダクトだったら、そもそも顧客は受け取らないでしょう?(ここでも、ゴールが目的・目標になっているのがお分かりと思う) じゃあ、どんなプロダクトだったら「良い」と言えるんですか? それは、顧客が示した仕様条件を満たして、不良のないものです。——すなわち、言われたものだけを、作る。言われなければ、作らない。課題は与えられるもので、そこには特段、自社の考えや意思はない。ゆずれぬ設計上のスタンスも無い。このどこに、未来を作り出すワクワク感が生まれるだろうか?
言われたことだけをやる、与えられた課題だけを解決する、そんな思考習慣の人びとは、しばしば未来予測に頼りたがる。誰か予測の上手な人が考えた、所与のものとしての未来予測をベースに、自分たちの“戦略”を立てたがる。未来は意思を持って作り出すものではない。いつのまにか周囲が(「世のトレンドが」)決めるものなのだ。自分たちはほんのちょっと、先回りして適応すればいい。それが正解のはずである、と。 意思とは何だろうか。それは、目の前の傾斜に逆らってでも、未来に向けた行動をとろうとする気持ちである。わたし達は、体育館で単調に見えるトレーニングをいつまでも繰り返している子を見ると、「あの子は意志が強いな、良いプレーヤーになるだろう」と思う。それは目の前の楽な休息状態を避けてでも、自分のありたい姿を目指すからだ。 生物学に走光性という言葉がある。単純な生き物が、光のある方向にむかう性質だ。誘蛾灯や魚群集光機はこれを利用している。だが高等動物は、おとりの餌が仕掛けてあっても、あえて避けることができる。判断力と意思の力があるからだ。人が単に外界の刺激に反応し、自分にとってベターと感じる方向に向かうだけなら、原始的な動物と変わらない。 好き嫌いはある、もしかしたらワガママかもしれない、だが意思がない。こういう人が周囲に居たら、扱いにくいのは想像できるだろう。何をしたいのか、自分でも分からないので、満足させることが困難だ。こういう人が顧客だったら、あるいは上司だったら、途方に暮れてしまう。わたし達の社会が無用のストレスに満ちているのは、じつは意思の足りない人が多すぎるからかも知れない。
今北純一氏は、学部時代は応用物理だったが、大学院で化学工学に進学した(当時はそういう人が結構いた)。化学工学とはプラントの設計論である。そして複数の熱交換器のネットワークに関する最適化理論を打ち立てて、卒業した。いったん化学会社の研究部門に就職し、米国に留学する。帰国後、今度はオックスフォード大学の経済学の招聘教員として渡英。だがそこは短期で終わり、スイスの有名なシンクタンクであるバッテル記念研究所にいく。 このバッテル・ジュネーブにおける5年近くの体験が、その後の今北さんを作ったらしい。今北さんの著作は多数あり、「仕事で成長したい5%の日本人へ 」「交渉力をつける 」「ビジネス脳はどうつくるか 」「西洋の着想 東洋の着想」など、どれも面白いが、最も今北さんらしいのは、初期の「孤高の挑戦者たち」ではないかと思う。ここではバッテル時代のことが、個性的な同僚達の群像とともに活き活きと描かれている。 今北さんはその後、仏ルノー公団にスカウトされ、パリに移る。そして国際的企業エア・リキードに転じて、アジア・パシフィックの代表取締役になる。ここまで登りつめれば、普通のビジネスマンだったら、あとは余勢を駆って栄達・引退までを思い描くだろう。 でも、彼はそうしなかった。50歳を過ぎて、今度はCorporate Value Associatesという経営コンサルティング会社に転じる。移った理由は、自分自身への挑戦である。ご自身ではそれを、「はい上がりのプロセス」とよんでおられる(「国際マヴェリックへの道」 P.16)。それはつまり、目の前の楽な、だが何かに依存した状態から、もっと標高の高い状態へと、ご自身の「知的対決」の技法を駆使して、進んでいく強い意志の表れである。 今北さんの生き方を見ると、自分の意思とは自分で育てるものである、という事が分かる。必要なときには自分を背水の陣に置くこと。それによって新たな道を切り開くこと。それが未来をつくりだす秘訣なのだろう。それはずいぶん孤独な営為だろうとも思う。きっと、意思とは孤独なものなのだ。人と群れるのは楽だが、流されやすい。流されないことが、意思の証明なのだ。 「経営者とは孤独なものなのだよ、佐藤君。」とおっしゃった今北さんの言葉が、忘れられない。そのころ、日本を代表する重工メーカーH社の経営者と、毎月あって話し合うのが、仕事の一つときいていた。孤独だから、利害関係の無い誰かと、本音で語り合いたいのだ。意志の強い人同士はたぶん、お互いに分かるのだろう。長年、流されるように生きてきたわたしだが、混沌とした時代の今、もう一度今北さんと話し合いたかったと、強く思うのである。 <関連エントリ> 「クリスマス・メッセージ--夢よりも希望を語ろう』 (2008-12-24) 「書評:ビジネス系新書2冊『真説・企業論』中野剛志・著、『仕事で成長したい5%の日本人へ』今北純一・著」(2022-03-25)
by Tomoichi_Sato
| 2022-10-25 07:00
| 考えるヒント
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