偏読老人の読書ノート

すぐ忘れるので、忘れても良いようにメモ代わりのブログです。

梅安影法師

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永い間読み逃していて気になっていた「梅安影法師」(池波正太郎)をブックオフで見つけて買ってきた。本書はシリーズ全七作のうちの六作目。

<巨悪・白子屋菊右衛門は倒したが、いまだ残党に狙われる梅安。彦次郎と小杉十五郎は、鍼医師として人助けに励む彼を陰で支えていた。しかし復讐者たちは、意表をついた方法で梅安に襲いかかってきた。なじみの料理屋「井筒」のおもんとの愛もじっくりと描かれる、仕掛け人・藤枝梅安シリーズ、円熟の長篇>

興味深かったのは「怖かった、でも、やさしかった」と題した北原亜以子さんの解説だ。

北原さんの「空白の二十年間」の間での、ある文学賞での池波さんに叱られたエピソードを語っているのだが、池波さんの時代小説に対する姿勢が窺がえて面白い。

<二度目に会ったのも文学賞のパーティで、その時は講談社の編集者氏が私を先生に紹介してくれた。優しい人だと思い込んでいた私は、少々馴れ馴れしい挨拶をしたかもしれない。

「君が北原亜以子か」と、先生は言った。たまたま「小説新潮」に短編が掲載されていて、先生の目にとまったらしいのだが、嬉しそうな顔をした私の耳に、いきなり「気障だ、気障りだ」という先生の大声が響いた。しかも怒りの矛先は、「あんなものでも掲載する奴がいる」と、担当編集者にも向けられた。その声を聞きつけて、当時私を担当してくれていた「小説新潮」川野黎子さんが飛んできてくれなかったら、先生の怒りはおさまることがなかったかもしれない。(中略)

頭を下げて通り過ぎようとした、どこの誰とも知れぬ女に、子供のようにはにかんだ笑顔を見せた人である。気取った小説を書くな、上っ面だけのものを書くななどと、説教じみたことの言えるわけがない。だらしのない後輩に、先生は大声をよりほかはなかったのだ>

これではまるで「鬼平」ではないか、と笑ってしまうが、数年後、「遊びにおいで」と誘われ、創作上の悩みを打ち明けたところ、「いいかい、歴史を追いかけていてはだめだよ。歴史をこちらに引き寄せなければ。小説なんだから」と諭され、その言葉を北原さんはずっと「忘れたことはない」という。いい意味での訓練を欠かさなかった作家さんなのだと、思う、池波正太郎という作家は。

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