落日燃ゆ
「落日燃ゆ」(城山三郎)は、外務省出身で外相、首相を務めた広田弘毅の半生を描いた実録小説。エピソードを積み重ねていくだけで細部の描写が不足しているのは、この種の小説にしては仕方がないところなのだろうが、いわゆる「小説」としての面白さはあまり感じられなかった。ただ、東京裁判がどのような意図の元に行われたのかという一端を知ることは出来る。戦勝国が敗戦国を相手にする裁判など見せしめ以外の何物でもないことは分かっているのだが、それでもなお、その見せしめにされた人たちの無念は計り知れないものがある。
本書では主人公である広田の「功」ばかりが取り上げられていて、その人間性に深みが感じられないのが残念だが、著者は「明治人の気骨」というものを描いてみたかったのだろう。そういう意味では、成功した作品になっている。
<東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水を差し続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した文章で克明にたどる。毎日出版文化賞、吉川英治文学賞受賞。>
ところで、冒頭「実録小説」と書いたが、もちろん「在りのまま」が描かれているわけではない。ここでは城山さんの広田弘毅に対する思い入れがあって当然のことだ。本書のラストシーンでは、広田は処刑前意識して、天皇陛下万歳を唱えなかったとあるが、教誨師としてその場に立ち会った花山信勝氏はその著書「平和の発見」で
<――板垣さんの音頭で大きな、まるで割れるような声で一同は「天皇陛下万歳」を三唱された。もちろん、手はあげられない。それから、仏間の入口に並んで、みなにブドー酒を飲んでもらった。このときは、米兵の助けをからず、私がコップを持って、一人々々全部に飲ませてあげた。広田さんも、おいしそうに最後の一滴まで飲まれたし、板垣さんの如きは、グッと元気よく一気に飲みほされた。>
と書いている。万歳をしたかしなかったかで、広田の人間像は随分違ったものになると思うが、ここは「城山の広田像」ということで、そのまま事実として受け止める「野暮」はしないのが賢明だ。