偏読老人の読書ノート

すぐ忘れるので、忘れても良いようにメモ代わりのブログです。

この本が、世界に存在することに

「読書力」(斎藤孝)を、書店で立ち読みしていたら、読書とは、読んだ本の内容を言えることだという意味のことが書かれていた。それが正解だとしたら、私の場合は読書とは言えない。私にとっての読書は単なる時間つぶしに過ぎない。そこで、私の好きな作家さんがどんな読書をしているのか拾ってみた。 
 「面白いもの、楽しいもの、愉快なもの、それを下品にならず、自分が面白く感じて、心が少しはずむようなことになればいいかなあ、という感じですね、本を読むっていうことは」(山本幸久)
 「開高健(今でも大事にしているのは『ベトナム戦記』)は、27歳のときにベトナム旅行に行くので友達が「輝ける闇」をくれて、初めて読んだんです。ぶったまげまして。書くことに対する姿勢みたいなものは影響を受けたと思います。開高健に出会わなかったら、どうなっていただろうと思うとちょっと怖いですね。
 一番本を読んでいる時期は今です。(中略)
 生活の隙間に全部本が入っているんですよ、何時間ってまとめて読んでいるわけではなく、例えば出かける時の電車の中とか、煙草休憩の間とか、エレベーターで一階に降りる間も、鍋に火を入れている間も、トイレでも読むし、あと歩きながら読めればどれだけいいかと思って」(角田光代)
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そんな本好きの角田さんの「この本が、世界に存在することに」(角田光代)を再読(10年近く前に読んでいる)した。少しは覚えていると思っていたが、思った通り読み進むうちに少しずつ思い出してきた。「泣きたくなるほどいとおしい、ふつうの人々の“本をめぐる物語”が、あなたをやさしく包みます。心にしみいる九つの短編(「旅する本」「だれか」「手紙」「彼と私の本棚」「不幸の種」「引き出しの奥」「ミツザワ書店」「さがしもの」「初バレンタイン」)を収録」した短編集。

「あとがきエッセイ」と題するあとがきで、角田さんは本に対する愛を次のように語っている。

<あんまりおもしろい本に出合ってしまうと、読みながら私はよく考える。もしこの本が世界に存在しなかったら、いったいどうしていただろう。世界は何にも変っちゃいないだろうが、けれど、この本がなかったら、その本に出会えなかったら、確実に私の見る世界には一色足りないまんまだろう。だからこの本があって良かった。助かった。友達のいない、みんなのできることのできない、未発達の小さな子供のようにそう思うのだ>

「友達のいない、みんなのできることのできない」この世の中にぽつんとひとり取り残されたような感覚は私にも了解できる。だから角田さんはそういう人たちに向かって書きつづけているのだと思う。角田さんの本に出会えてよかったとつくづく思う。

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